断章 魔竜討伐~下~
激しい襲撃の末、“雷雨”が止んで上空の積乱雲が晴れたときまで生き残れた強運の持ち主は、俺を含めてたった四人だけだった。
俺は間一髪で落雷の直撃を避け続けることができたが、衝撃による余波でHPの八割方を削られている。
すぐにでも回復薬を使わないと、次の魔竜の攻撃に耐えきれる気がしない。
俺は懐からHP回復用の薬が入った瓶を取り出して、中身を一気に飲み込む。
これでとりあえずは大丈夫だ。
しかし、完全に回復が終わるまでに時間がかかるため、しばらくは下手に動けない。
仕方なく、俺は他の生き残りに視線を運んだ。
一人はサクヤ。
彼女は予め張っておいた結界のおかげで、あの落雷の雨に耐えきることが出来たようだ。
さすがは『華炎の巫女』と呼ばれるだけはある。
ちなみに結界とは、範囲内の術者が攻撃によって受けるだろうダメージを十分の一に抑え、HPではなくMPから引かれるようにするという効果がある。
ステータス上昇の大部分を“知力”と“気力”に回しているサクヤは、魔術攻撃であるあの落雷で受けるダメージが俺なんかより少なく、MPの量も段違いなので、結界は非常に有効な防御手段だと言えるだろう。
だが、そんなサクヤでもMPを切らして結界が消えてしまっている。
彼女はMP回復の薬を飲まねばならないだろう。
サクヤも俺と同じように、しばらくは戦えないはずだ。
二人目のあの姿は『神射手』だろう。
その圧倒的射程距離の長さと、離れた位置からでも立て続けに矢を命中させる精確性。
それら二つを兼ね備え、弓を使わせれば右に出る者はいないと称えられた少女だ。
彼女は森と焼かれた荒れ地の境界付近で弓を手に持ち、膝をついて肩で息をしている。
その背後ではいくつも樹が燃えているので、彼女は樹に隠れてそこから矢を射ていたのかもしれない。
見ると、彼女も薬瓶を咥えている。
俺と同じように衝撃でダメージを受けたのかもしれないな。
だとすれば、彼女もしばらくは動けないだろう。
そして最後の一人。
あの魔竜の足元でウロチョロしているのは『無頼侍』か。
あいつは誰も考え付かないような姑息で少し卑怯な手を駆使して前線まで上り詰めた男だ。
本人は「失敬な!拙者は誰も知らぬような抜け道を探しているだけでござる!」と、言い訳なんだか認めているんだかわからないことを堂々と言い張るやつだ。
だが今回ばかりはあいつのアイディアには脱帽する。
確かに魔竜の体の下にいれば雷は当たらない。
魔竜の踏みつけやボディプレスに気を付ければいいだけだから、どこに落ちるかわからない雷よりは何倍もマシだ。
(どうやら現在まともに動けるのはあいつだけのようだな)
俺は『無頼侍』を見て、あいつが少しでも時間を稼いでくれるように願った。
しかし…。
そんな俺の願いはあっさりと聞き流される。
「ぎゃああー、でござる!」
なんだかふざけているかのような言葉と共に、侍は尻尾の一撃で吹き飛ばされ、俺の近くに落下した。
あまりにも呆気なくHPを減らした駄目侍に、俺は無性に腹が立ってきて、五メートル程離れたところに落ちたそいつを怒鳴りつけた。
「おい、あんた!いくらなんでもあんな尻尾の攻撃が躱せないなんて酷すぎないか!?」
侍は顔を上げるとマゲを揺らして苦笑いを作り、
「いやー……拙者、巨大な物の怪は苦手なのでござるよ」
などと言いやがった。
世界観のまるで違う物言いに非常にイライラしたのだが、そんなことを考えている場合ではなくなった。
『無頼侍』がこちらに飛ばされたことで、俺や、俺からそれぞれ十メートル程離れた位置で回復を待っているサクヤと『神射手』も見つかってしまったのだ。
魔竜の双眸が赤く光り、徐々にその大口が開かれていく。
(マズイ!)
今あの場所からブレスを放たれたら、俺たちの内一人ないし二人は確実にやられてしまう。
俺たち四人は慌てて立ち上がり、必死に逃げようとするが、魔竜の口内の蒼白はドンドン大きくなっている。
とても逃げ切れない。
万事休す。
そう思った矢先、その男は現れた。
魔竜が、逃げようとする俺たちに向かって灼熱のブレスを吐きつける直前、焼け残った森から走り寄ったその男は、全速力でのダッシュから跳躍し、魔竜の顎まで瞬時に肉薄すると、今にも蒼白の炎を吐こうとする竜に手にした槍を突きこんだ。
槍は魔竜の下顎を捉え、痛みと速度による衝撃で狙いが逸れた白炎はあらぬ方向へ飛び、またも森を焼いた。
だが、おかげで俺たち四人は誰も超高温の餌食にされることなく済んだ。
俺は駆けつけた男をじっと見つめた。
長く伸ばした黒髪を肩のあたりで結って纏め、蒼い衣に銀の長槍を携えている。
(蒼い衣に盾なしの長槍……?どこかで……)
視線の先を行く男の格好に何か引っかかるものを感じながらも、俺はHPの回復を待つ間、男へと視線を注ぎ続ける。
男は地面に着地したかと思うと、顎から血を流して呻き声を上げる魔竜をよそに、大きな脚の間に潜り込んだ。
そして先程俺が狙ったのと同じように、固い鱗で覆われた外皮よりもずっと柔な腹部へ、槍を突き込む。
魔竜が二度目の呻きを上げ、弱点ともいうべき腹部を狙った襲撃者を撃退しようと腹を地面に打ち付ける。
しかしそのとき既に、槍使いの男はそこにはいない。
彼は今度、竜の正面に回って止まり、まるで挑発するかのように槍を竜の頭部へ向けた。
二度も深い傷を負わされて怒る魔竜は、真下に立つ男へ向かって口を開く。
蒼白の炎が奴の口内に蓄えられ、男に向かって放たれた。
だが、おそらく奴は初めて、正面からブレスを回避された。
目にも留まらぬ動きで横へ移動した男は、ブレスを吐いていて隙だらけの魔竜の右前脚を槍で貫き、次いで脚の付け根、胴の部分にも槍の一撃を見舞った。
男の流れるような無駄のない動きに、俺は圧倒されていた。
いつの間にか俺の近くに寄って来ていたサクヤや、先程立ち上がったときにこちらへ走ってきていた『神射手』も同様にあの男の鮮やかな手並みに言葉を失っている。
「あの人は……誰…?」
サクヤがポツリと呟く。
だが俺は彼女の問いに答えてやることができない。
あれほどの使い手だ。見聞きしていれば忘れることはないと思うのだが…。
「あれは……『戦神』」
そんな俺やサクヤの疑問に答えをくれたのは、『神射手』の呟きだった。
思わず漏れたような声だったが、俺の耳はそれを聞き逃しはしなかった。
『戦神』。
それはトッププレイヤーの集まる攻略最前線よりも、ただ一人だけその先を行っていると噂される男だ。
誰よりも強く、誰よりも先に進み、誰よりも転生に近い。
そんな風に言われてさえいる。
「あいつが…あの『戦神』だって…?」
驚いて訊きかえしてしまった俺の方をちらっと見て、彼女は小さく頷いた。
「蒼い衣に盾なしの長槍。間違いないわ」
『神射手』は淡々と語り、離れた位置で魔竜を一人で相手取る男をじっと見つめる。
それから何かに気がついたような仕草を見せると、左手の弓を持ち上げ、右手を矢筒に持っていく。
俺は彼女の言った言葉に妙に納得して、男を眺めていた。
だが、彼女が見せた仕草が気になって目を戻す。
「ようやく全快したか…」
そして彼女が何に気がついたのかを悟った俺は、視界に表示されている自分のHPも最大値まで回復しているのを見て、気を引き締め直した。
「さて、ここまで『戦神』殿に任せきりだった分、奴は俺が仕留める」
左手に握った長刀を身体の前に構えてそう呟く。
「冗談、魔竜を仕留めるのは私よ」
左隣に立った『神射手』もそんなことを言って、矢筒から二本の矢を抜き出した。
「私も手伝う」
サクヤは俺の右隣りに立ち、手にした木杖を掲げて続く。
「拙者も助太刀いたそう」
ブレス攻撃の寸前、一人だけ遠くまで逃げおおせていた『無頼侍』も、調子のいいことを言って俺たちの列に並んだ。
そして俺たちは誰からともなく、ほぼ同時に動き出した。
俺と侍が全速力で魔竜に接近を始め、サクヤは結界魔術の詠唱に入り、『神射手』は手にしていた二本の矢を同時に番えて引き絞った。
俺の眼前では『戦神』が未だ魔竜の踏みつけ攻撃を躱し続けている。
俺は魔竜を一足の間合いに捉えると、跳躍して下ばかり気にしている奴の首に一太刀浴びせた。
直後、俺の斬った場所のすぐ上に、二本の矢が突き刺さる。
それから一拍遅れて侍の刀が竜の腹を捌き、サクヤの放った亜音速の火炎弾が背中に突き刺さり、弾けた。
目の前の『戦神』にばかり気を取られていた魔竜は、俺たち四人の攻撃に悲鳴を上げ、地面に崩れた。
『戦神』は近くに降り立った俺にちらりと視線を寄越すと、
「もういいのか?」
と端的に訊ねてきた。
「ああ。世話をかけた」
俺も簡単に答えて竜に向き直る。
魔竜はそろそろ瀕死に近い状態のようで、呻きと共に荒い息を漏らしながら俺たちを睨んでいた。
そして奴は頭を空に向け、雄叫びを上げる。
同時に、奴の背中に雷光が集まり始め、空にも急速に入道雲が出来ていく。
先程多くのプレイヤーの命を消し飛ばした雷の雨だ。
それを見た俺は、すぐさま振り向いて『神射手』の方を見た。
彼女も雷の兆候には気付いているようだが、どうしようもないといった雰囲気で佇んでいる。
俺は彼女に向かって叫んだ。
「おい!今すぐサクヤの結界に入れ!」
『神射手』は一瞬戸惑うような、躊躇うような表情を見せたが、サクヤ本人から「早く!」と促され、大人しく結界の内側に入った。
それからサクヤは詠唱を重ねて、結界の効力の対象を拡張する。
その様子を確認した俺は、すぐさま魔竜の足下へと駆け出した。
「おい侍、あんたの知恵を借りるぞ!」
ついでに横を抜ける際、『無頼侍』にそう言って一言断るのも忘れない。
「ああ!拙者が最初に気付いたことでござるぞ!」
侍もまた、俺を追って竜の体の下へと入る。
『戦神』は、何も言わずに付いてきた。
そして全員がそれぞれの安全地帯へと逃げ込んだ瞬間、二度目となる落雷の雨が降る。
五十メートル程先では、結界やその周りにいくつもの雷が落ち、俺や侍、槍使いが駆け込んだ竜の体の近くにも数多くの雷が落ちて、衝撃が少しずつ、だが確実に俺たちのHPを削る。
と、竜の腹が打ち付けられるのに気付いた俺は、飛び退って回避する。
ついでに無防備な横腹を斬り裂いてやった。
直後、お返しとばかりに俺のすぐ脇に雷が落ちる。
俺は衝撃に飛ばされ、魔竜の左後足に叩きつけられた。
起き上がった俺は目に見えてHPが減っていたが、そんなことには構わずがら空きの腹や胴を撫で斬りにしていく。
侍や『戦神』も、落雷と踏みつけを避けながら魔竜の体に攻撃を加えていき、遠く落雷を受ける結界の中からも、数多の矢と火炎弾が飛来する。
俺たちの全滅か、魔竜の絶命、最早どちらが先か、時間との勝負だった。
俺たちは攻撃の手を緩めることなく、魔竜も落雷と踏みつけで俺たちの命を刈り取ろうとする。
永遠とも思えるような時間はしかし、ほんの二分だけ続いた。
不意に落雷が止み、空の厚い雲が晴れていく。
絶えず上げられ続けていた竜の呻き声はいつの間にか断末魔の悲鳴に変わり、荒い呼吸を繰り返す俺の目の前で、巨体は支えを失う。
ひどくゆっくりと、七十人以上のプレイヤーを屠った凶悪な竜は倒れた。
そしてそのまま動かなくなり、鋭い双眸から光が消えていった。
こうして、この世界の短い歴史上最も過酷な戦いは終結した。
生き残ったのは二つ名を持つプレイヤーが五人のみ。
『戦神』、『神射手』、『華炎の巫女』、『無頼侍』、そして『武芸者』。
俺たちは魔竜の亡骸が横たわる元・森の荒れ地に立ち、互いの健闘を称えあった。
『戦神』だけは、戦闘が終わるとすぐにどこかへ行ってしまったが、俺はサクヤや侍と他愛もない会話をして、少し笑った。
『無頼侍』は話の途中、次のように名乗りを上げた。
「拙者、名を“ムサシ”と申す。『武芸者』殿、今日は本当に助かり申した」
大仰に頭を下げる侍。
特にこの侍を助けた覚えがないのだが、まあそのへんは気にしないでおこうと思う。
「俺はユートだ。こちらこそ、助かった。あんたも意外と腕が立つんだな」
そんな憎まれ口を叩いてみたが、当の侍は人の良い笑顔を浮かべるだけで、何も言わなかった。
それから俺は、一人で亡骸に寄りかかり、俺たちのやり取りを見ていた少女に近づく。
「お疲れさん。結局、誰が止めを刺したのかはわからなかったな」
数えきれないほどの矢を撃ちこんだ『神射手』に、俺は語りかけてみた。
「そうね。私の矢であいつを沈めたかったのだけど…」
彼女は俺の言葉にニコリともせず呟いた。
俺はそんな彼女に苦笑いを向ける。
「ハハ。さすがは『神射手』殿。気概が他とは違うな」
「……リィレよ」
だが、不意に告げられた言葉に、俺はきょとんとした表情になってしまった。
「名前…。『神射手』って呼ばれるのは、恥ずかしいのよ」
そう言ってそっぽを向いてしまう彼女、リィレの横顔は、少し赤くなっているように見えた。
俺は何故だか笑みが浮かんできて、それをなんとか堪えながら、こちらからも名乗った。
「俺はユートだ。『武芸者』と呼ばれるのは俺も恥ずかしいからな。今度からはユートと呼んでくれ」
その後、無事に王都に戻った俺たちを、『指揮者』が憎々しげに、『移動要塞』は悔しそうに、他の数々のプレイヤーは歓声を上げて迎えた。
このクエストで得られた報酬はかなりの額に上り、おかげで俺はこの第四拠点街での目標額を集め終え、最後の町に向かうことを決めた。
同時に、リィレも同じく最後の拠点へ移動することにしたというのを耳にしたが、当然のごとく、一緒に行くようなことはない。
結局、俺たちは揃ってソロプレイヤーなのだから。
俺は別れを惜しむサクヤとのパーティを解消し、一人、王都グラスを旅立った。
余談だが、この“魔竜討伐”以降、『戦神』の姿を見たものはいなかったという……。
今回の三篇は、第二部の主人公と『戦神』の初めての出会いや、リィレと名前を教え合った経緯として書き上げました。
勢いで一気に書いてしまったので、どこか矛盾が生じてしまっているかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。