第九話「進化と適応のアミューズ・グール」
どんどん便利になっていく世の中ですね。電話は携帯できるし、スイッチ一つでお風呂もご飯も温め直しも出来る世の中です。
これからもきっともっと便利になっていくと思いますが、そうなるとこの今の状況さえいつか、昔は不便だったね、と思い出話になるのでしょうか。
そんな事を考えながら、パンケーキ型のお掃除ロボットを羨ましがりつつ、今日も掃除機で掃除をしています。
準備中のプレートをかけて、店先にディスプレイしてある鉢植えやらメニュー書く用のミニ黒板やらを店内に仕舞う。ゴミが落ちていたら軽くはわいて、シャッターを下ろす。と、途中で手を止め、う~ん、と耕は腕を組んで唸った。
従業員2名募集。アルバイト可。未経験者可。
やる気のある方、大歓迎。分からない事も、一から教えます。
従業員希望者は、今だ一人もいなかった。
□■□
「仕方ないだろう、まだ張り出して4日だぞ。」
「まぁ、そうなんだけどね。」
レジを閉めながら、呆れたように咲は言った。確かに気が早いかもしれないが、思い悩んで一念発起して求人を出したのだ。毎日ソワソワしてしまうのは雇用者の性かもしれない。
花瓶の花を片付ける。明日は休みだから、部屋に持っていこう。明後日にはまた、新しい花を飾ればいい。食事をする場所なのであまり香りの強いものは好ましくないが、それでもやはり景観というものがある。美味しいものは、綺麗にされた場所で食べたい。
「咲、また何か花を買って来て貰えるかな。」
「分かった、明後日だな。」
備品の類の例に漏れず、花を用意してくれるのも咲だ。トイレットペーパーや紙ナプキンといった消耗品だけなら耕も買いに行った事があるが、流石に花は無い。考えて見ると、自分の人生で花を買いに行った事なんて、母の日のカーネーションくらいだ。妹の高校入学の時に花束を用意したが、注文してくれたのは兄である。そんな自分が買いに行った所で、何を買えばいいのか分からず長時間苦悩するのが目に見えている。餅は餅屋ともいうし、やはり咲に任せた方が安心だろう。
「夕飯だぞー。」
蜜の声と共に、湯気と共に美味しそうな香りが広がってきた。
「今日は材料処理を兼ねて、具沢山クリームシチューな。」
「耕―、余ってるパン切ったけどいいよね?」
「いいよ、また明後日入れてもらうから。」
フランスパンは外部発注品だ。毎日焼きたてが届く事になっている。外側はパリッと、中の白い部分はもっちり。かなり美味しく、レベルの高いパンだ。お客さんの評判もいい。偶に何処のパンですか?自家製?なんて聞かれたりもする。そう言えば恵は「パンもうちで焼きたい!もっと切った時に小麦の匂いがするのがいい!」と言っていた。きっと本場のパンとは違うのだろう。だが、耕はおそらくこの日本人向けに改良されたバゲットがいいと思っている。パンにかまけて本命の料理が疎かになってしまっては元も子もない。
因みに、その日の内に処理しきれなかった分が、翌日にパンペルデュへと姿を変える。オータムシエルでの定番デザートメニューの一つだ。その他では細長くスライスしたガーリックトーストなどもスープに軽く一枚添えたりもする。日本人だが、パンって凄いと思う。主菜から添え物、デザートまで多岐に渡る変化を見せ付けてくれる。
そんな事を考えていると、いつかパンも焼いてみるか・・・・・なんて考えに変わりそうになる自分にハッとなる。いけないいけない。頭を軽く振って席に着くと、具材がゴロゴロ入ったクリームシチューがいい匂いをさせていた。
「頂きまーす。」
「これはさやえんどうか?」
「そ、ブロッコリーみたいに、さっと湯がいて彩りに乗っけてみた。」
成る程、確かに緑が綺麗なさやえんどうが白いシチューに乗せられている。スプーンで掬うと少し掬い難い。が、口に入れると歯触りがいい。彩りにブロッコリーを使う事は良くあるが、食感や見た目の変わった点では、さやえんどうも悪くは無い。
具材はこれまたゴロゴロと色々入っている。じゃが芋、人参、玉葱、ヤングコーン、鶏肉、後これは、蛤だろうか。ベーコンも刻んで少し入っているようだ。それからマッシュルームと・・・・。
「白菜?これ。」
「おう、うちで作る時は良く入れてたんだ。」
確かに白菜はクリームに良く合う。今回は煮込む時間が短めだったのか歯触りはシャキシャキした部分があるが、良く煮込んでもトロトロになって美味しいかもしれない。耕は首を傾げた。
「美味しいけど、どうやるんだ?白菜って水っぽくならないか?」
「だから、入れる時は水少なめにな。」
「ああ、成る程。」
覚えておこう、と耕は頷いた。
それから、ウィンナー、しめじと。流石蜜、長年やってるだけあって冷蔵庫の掃除が上手い。
「でもこれ、最早クリームシチューじゃないよね。」
「確かに、クリームのごった煮感はあるな。」
「うるへーよ。」
茶化すような恵と咲の言葉に、蜜が笑いながら言った。
デザートはガトーショコラのきれっぱしだった。
定休日前は、耕、蜜、恵は少し長めに残って掃除をする。普段は中々出来ない所まで手を入れておく為だ。ただ、電車の関係もあるので咲のみ、先に帰宅する。別に仲間外れでも贔屓でもない。そもそも咲は休日も店の帳簿付けや業績管理など色々な細かい仕事もやってくれている、これ以上の拘束は忍びない。一人一人が出来る所得意な所をやっているだけだ。それがオータムシエルの経営方針でもある。
当初は一人先に帰る事を気にしていた咲だったが、今では納得したようだ。
「耕―、この大皿欠けてるみたい。」
「うわ、買い換えなきゃな。」
「だったら一緒にバット一つ追加して貰えるか。」
頷きながら備品をメモしておく。明日は休日だし、特に用事もないから買いに行くか。これ位の補充だったら耕でも出来るだろう。いや、一応咲には報告しておくけど。
「そう言えば、全般的に食器が少なくない?」
「そうか?別に割ってる訳でもないから減ってないだろ?」
「そーじゃなくて・・・・・んー・・・・?」
考え込んで、ああ、と恵が手を叩く。
「お客さん多いんだ。食器の回転が速いんだよね。」
言われて見れば、と耕は思った。
どうりで最近は厨房で皿洗いに勤しむ器械が多い筈だ。いっそ食器洗い機を導入するべきだろうか?いいや、それをやってしまうと何だか自分のテリトリーを侵犯される気が・・・・・ううん、食器洗い機がライバルってオーナーとしてどうなんだこれは。
「あー、早く新人入って欲しいな。」
「だよね、悪いけど雑用やって欲しい。」
ふー、と蜜と恵も溜息をつく。
どうやら新人が待ち遠しいのは自分だけではないらしい。あんな事を言ってはいたが、咲だってそうだろう。楽しみかつ、そして現状も色々一杯一杯なんだろう。少し考えて、耕は顔を上げる。
「蜜、恵、明日何か用事ある?」
「ん?」
「えー?」
不意に尋ねられ、二人は首を傾げる。いや、と耕は前置きする。
「折角の休みだけど、どうせなら久しぶりに4人で何処か行くなり、何かしない?午後からでもいいし、夕飯を一緒に食べるのでもいいし・・・・・。」
どうかな?と尋ねる耕に、蜜と恵は顔を合わせる。
「うん、いーぜ。偶にはいいな。」
「アタシも大丈夫、あ、でも昼過ぎくらいの方がゆっくり出来ていいな。」
「そうだな、皆一人暮らしだし。やる事もあるだろうし、昼過ぎにするか。」
好感触に、耕は、ほ、と安堵する。
「良かった、ほら、結構4人とも煮詰まってるしね。ガス抜きも兼ねて。」
「じゃ、咲にはアタシが連絡しとくよ。」
「よろしく。でも、どうする?買い物?」
「んー、どうせなら材料持ち寄るかなんかで新メニュー研究でもするか?」
久しぶりに足元が浮き立ったような感じに包まれる。もうかなり前、それこそ学生時代のような感覚になりながら、三人はあーだこーだと明日の予定について盛り上がっていた。
勿論あの頃のように、今回は電話口から咲に『いいから一先ず帰れ、携帯という文明の利器があるだろうが』と言われて取り敢えず解散に向けて三人は再び動き出した。
実はまだ掃除すら終わってないとは言えなかった。現状が通話相手に見えない携帯電話は本当に素晴らしい文明の利器だと耕は思った。
□■□
結局、集まるのは昼過ぎ、昼食を取って、2時半~3時頃とアバウトな時間で設定した。
名目上は新メニューの試作を幾つか。それを夕食を兼ねての試食となった。
実際4人が4人とも一人暮らしな為、一週間の内一度しかない休日にやる事は多い。午前中から集まると忙しなかっただろう。咲に連絡を取って正解だった。
昨日が(事実上の帰宅時間を考えると今日だが)遅い帰宅となってしまったので、耕が目を覚ました頃には既に9時前だった。真っ先に洗濯機をフル活動させ、大慌てで部屋の掃除やらを始める。因みに、ゴミ出しは既に諦めた。しかし掃除機という素晴らしく便利なものがあるが、結構時間がかかるものだなと耕は思う。丁度鳴った電子音に急いで洗濯機の元に向かい、脱水が終わった洗濯物を今度はベランダに干しに行く。この作業を洗濯板とたらいでやったら恐ろしい事になりそうだと再び思う。
つくづく、古人とは立派なものだ。
「・・・・・そうは言っても、無ければ無いでやるんだろうけど。」
腰に手を当て、ふぅ、と息をつく。一人暮らしも最初は分からない事ばっかりだったが、今はそれなりに出来ている。人間とは状況に適応して生きていける生き物なんだな、と感慨深く思いつつ、腹の虫に急かされて時計を見る。そう言えば、朝食を忘れていた。
「買出しを兼ねて、外で食べよう。」
昨日メモした紙を忘れないように鞄に入れて、耕は久しぶりに街に行く事と相成った。
良く考えたら先週は力尽きて一日外出しなかった。
昨日言われた大皿、バット二つ。酸に強いホーローのボール一つ。勿論割れ物は丁重に扱った。ついでに自宅のゴミ袋が少なくなっていたので購入。レストラン用の物はキチンと領収を切って貰った。
大皿を選んでいる途中では、ああ、こっちの皿の方が肉料理は栄えるかもしれない。と考えを巡らし、バットを購入すべく覗いた店内では、このフライパン欲しいなーでも値段がなー、とうっとりして、何てやっていたら時間は大分下がっていた。これが咲だったらとっくの昔に帰宅しているだろう。どうも自分は悩みすぎというか考えがふらふらするというか・・・・・そんな自身の欠点に今更と思いながらも悩みつつ、昼食は結局、某ハンバーガーショップで取った。久しぶりだがこのジャンクな味も中々に美味しい。というかコーラ美味い。何故こんなにこの店のコーラは美味いのだろう。何か秘密の隠し味でも加えているのではなかろうか。
とか考えながら飲んでいたら更に時間は下がってしまい、慌てて耕は帰宅した。店の裏口から入り、ボールやバットは一度綺麗に洗ってしまっておく。また明日使う時に消毒すればいいだろう。
そして急いで掃除をしていると、無常にも来客を告げる電子音が鳴った。
「いらっしゃーい。」
「「「お邪魔しまーす。」」」
3人お揃いだった。狭い玄関で押し合いしながら、部屋に入っていく。
常日頃から昼休みの仮眠などで利用される機会も多いので、3人にとっても耕の部屋はそんなに珍しいものでもない。勝手知ったる他人の家、とでもいうように迷いなくキッチンに向かう。
「材料買ってきたからな、三品は作るぞ。」
「アタシもちょっとデザート仕込んできた。」
冷蔵庫借りるね、と恵は大きな保冷袋を抱えて言った。耕、と呼ばれて振り返る。
「パソコンを借りるぞ。ここで作業をしてしまう。」
「分かった、いいよ。」
「後、今日の買出し分は経費で落とすから領収を皆渡してくれ。」
受け取ると、耕のなんだか咲のなんだか分からない事務仕事用の部屋に咲は入って行った。勿論、咲に渡された店のデータなどは耕も見ているし、入力したりもするのだが、あのパソコンの使用頻度は咲のほうが高いような気がする。もう少し自分もきっちり管理をしないといけないのかもしれない。
「耕、始めるぞー。」
「ああ、悪い悪い。」
既に蜜はエプロンを着けていた。恵はもう作業に入っている。慌てて耕も準備を始める。
広く作って貰ったキッチンだが、流石に3人も並ぶと少し手狭な気がする。下に調理場があるのだからそちらでやればよい、と指摘されそうだが、これはあくまで休日に自分達で自主的に行っている事であって、仕事ではない。だれないように、その区別をまだ着けておこうという考えだ。
まぁ、そう言ってもいずれ人数も増えてきたら仕事場でするかもしれないが。
「さて、今日の材料は?」
エプロンを身に着け、耕と恵が並んで蜜に問いかける。今回恵はアシスタントをしてくれるらしい。
「鴨、キス、太刀魚を用意しました。」
演出がかったように蜜が言うと、おぉ~と二人が歓声を上げる。
「まぁ諸々の関係上、鴨じゃなくて合鴨だけどな。」
それは仕方ない。
「時間はあるから、なるべく同時進行じゃなくて一品ずつ作るぞ。その方が手順が分かりやすい。」
「OK。」
「じゃあまずは合鴨いくか。耕はソース作り、恵は付けあわせを頼む。」
了解、と各自仕事にかかる。
蜜はまず予め常温に戻してある合鴨の脂身サイドに切込みを入れていく。耕はまずオレンジの皮を千切りし、鍋にオレンジの皮、ハチミツ、赤ワイン、ビネガー、ブランデーを加え、弱火で煮詰める。
「耕、半分くらいの量になるまで焦がさないようにな。」
「分かってるよ。」
注意しながら煮詰め、煮詰まったらオレンジジュースとブイヨンを加え、更に煮詰めていく。今回はブイヨンはキューブで代用する。さて、その隣で蜜は合鴨を焼き始める。
中火でよく熱したフライパンに脂身を下にして鴨を焼く。焼き始めると一気に油が溢れ出てくるので、それをお玉やらスプーンやらですくって身の方にかけ火を通していく。この時、身の方は直接焼かない方が柔らかくて美味しい。脂身がカリカリに焼けたら、フライパンに滲み出た肉汁、大さじ5程度をソースに加える。そして合鴨は160度位のオーブンで保温して、じっくりと柔らかく火を通していく。
「よし、ソースは更に煮詰めたらバターと黒コショウを加えて出来上がりだ。恵、付けあわせは?」
「マッシュポテトと人参グラッセ、今回は簡易版で。」
保温しておいた合鴨をスライスし、付けあわせを並べて上からソースをかけたら、本格派フレンチ・合鴨のオレンジソースの出来上がり。フランス料理では定番だ。味は微調整し、日本人好みに甘さは控え、これから夏という事もあってやや酸味を利かせてある。
「後このブロッコリー付けあわせに使っていい?」
「いいぞ、あ、でも全部茹でといてくれ。そんで付け合せ以外はミキサーにかけといて。」
あいよ、と返事をして恵はブロッコリーを茹でる作業に移る。
「蜜、次はキスか?」
「いや、先に太刀魚やっちまうぞ。これは簡単だ。耕、下ろしたら塩コショウしてムニエルにしといて。」
「ん?いつも通りバターで?」
「そ、俺はトマトの湯剥きでもやってるから。」
言われた通りに太刀魚は塩コショウをして、少しおいて小麦粉をふりバターでムニエルにする。表面はカリッと香ばしく、身はふんわりと蒸された形になり、大変美味しい。フランス料理では舌平目のムニエルなどが定番だ。
「ブロッコリーミキサーかけたよ、次は?」
「んじゃ、バター、生クリーム、それから粒マスタード、塩コショウを混ぜながらフライパンでとろみがでるまで弱火でソース作りだ。」
「ああ、ソースを変えるのか。」
「そーだ。緑色で見た目にも綺麗かと思ってな。」
恵がふと首を傾げ、蜜に問いかける。
「ねえ、ソースは下に引くの?上にかけるの?」
う、と蜜が答えに詰まる。
「そこまでは考えてなかった・・・・・・。」
「駄目じゃん。」
呆れたように呟く恵に、耕が慌てて取り成す。
「ま、まぁまぁかけた場合と引いた場合両方作ろうよ。」
ソースを味見して見ると、おお、マスタードがいい仕事をしている。見た目の爽やかさとも相まって、夏にはぴったりだ。前述した舌平目のムニエルがソール・ア・ラ・ムニエールとなるので、こちらはさしずめ太刀魚・ア・ラ・ムニエールといった所か。
「んー見た目はかけた方がいい?かな?」
「皿によるかもね。縁にこの模様が無いなら引いても綺麗かも。」
「成程ね。で、シェフ。次は?」
「はい、キスとアスパラガスの温かいサラダ~アーモンドの風味をつけて~です!」
何ソレ、と恵が噴き出す。うん、確かにこのメニュー名はオータムシエルには似合わない。
「うるせーな。ほら、下準備しといたぞ。トマトは湯向きして、小さい角切り。白葱は千切りして水にさらす。スライスアーモンドはオーブンで焼いて、パセリは微塵切りにする。はい、助手さん達はきりきり次の作業に移行!」
パンパン、と蜜が急かすように手を叩く。はいはいと相槌を打ちながら、恵はソース、耕はキスを3枚におろし塩、胡椒し小麦粉をつけ、此方も先程よろしくムニエルの準備だ。
「材料いくぞ。蜂蜜に塩、ブラックペッパーを入れ、バルサミコ酢を少しずつ混ぜながら入れる。オリーブオイルをこれまた少しずつ混ぜながら入れよく混ぜる。次は野菜だ。」
トレヴィス、アンディーブ、サニーレタスは一口大にちぎり、トマトの角切りとボールに入れる。これに塩コショウをして、粒マスタード、白ワインビネガー、オリーブオイルを良く混ぜて作ったドレッシングと混ぜ合わせる。
「それじゃ、アスパラ茹でといてくれ。アスパラガスは茎から下の3分の2位の所の硬い皮を剥いて、塩を入れたお湯で茹でておく。」
「分かった。」
「蜜、もう焼き始めていいかな?オイルとバターだっけ?」
「あ、耕待て。キスは身が薄いから焼きすぎないようにな、皮から焼いて、裏返したら余熱で火を入れる。皮はフライ返しで押えて、パリパリにする。」
「ふんふん。」
「バターはすぐに焦げるから、ずっと混ぜておく。あ、色づき始めたらすぐに火を止めろ。」
さて、合わせて仕上げるぞ、と蜜はバターをフライパンで熱し始める。狐色になり香りが出てきたらアーモンド、パセリを入れ、塩、胡椒で味を整える。これでアーモンドソースが出来上がりだ。
「皿にアスパラ、サラダ、キスを盛ってアーモンドバターソースをかける。初めに作ったバルサミコソースは周囲にかけて、白葱、セルフイユを飾ってかんっせい!」
わー、と三人で拍手喝采。自分で作って自分で褒める。一風変わった自給自足。
「さて」
「食べますか!」
いそいそとテーブルに運び、用意したバゲットを切る。ちょっと店から一本ワインを拝借して、咲を呼びに行って4人で食卓を囲んだ。ワインをグラスに注いで、乾杯。
「では」
「「「「頂きます!」」」」
試食と銘された、ちょっと早い夕食&宴会開始。
□■□
「合鴨焼き加減良かった、でもソースもっとしょっぱめの方がいいかも?」
「うんうん、じゃあもうちょいレシピいじるわ。」
「全体的に酸味が効いているな。夏にはいい。それを考えると塩分補給も兼ねた味付けの方が好まれるかもしれない。」
「でもあっさり、ってだけじゃなくて、ボリュームも欲しいよね。夏はあっさりさっぱりすっきり軽いものをっていうのじゃ他の店と変わりないよ。」
「じゃあ土用には鰻使って」
「敢えての肉メニュー、スタミナメニューも取り入れて」
ああだこうだとメモしたり言い合ったりと食べながら論争は白熱する。咲はキスとアスパラガスの温サラダを一口食べる。アーモンドバターソースは香ばしく、添えられたようにかけてあるバルサミコソースとのバランスもいい。前菜が冷製ばかりになりがちな夏としては、逆に温かいものを用意するのは良い判断かもしれない。
ん?と咲は耳をすます。少し前、パソコンのキーボードを打ちながらも一回気になったが、部屋の外がうるさかった為にそのままになった。だが、今現在では真正面が煩い為、どうにも聞き取り辛い。
「・・・・おい、少し」
トゥルルルル
静かにしろ、と言いかけて部屋の電話が鳴った。目の前の3人はそれに気付いていない程、新メニューの味付けと方向性について話している。まぁ、自分が出ても左程問題は無かろうと咲は立ち上がって受話器を取った。
「はい―――畠山です。」
すみません、と電話口の相手は謝罪した、お店に電話したけど出なかったようなので、と。
ああ、やはり先程のは気のせいじゃ無かったんだな、と思いながら、咲は此方こそ失礼しました、と謝罪しておく。
「何かご用件でしょうか?」
そして数秒後、咲は一瞬だけ目を見開き、少しお待ち下さいと返事をしてから、受話口に手を当てて、耕、と少し急かすように耕を呼ぶ。え、と3人は話の腰を折られたように振り返る。
「アルバイト希望者だ。」
え、となったのは他3人だった。え、え、と耕は慌てる。が、咲は構っていられないと話を続ける。
「面接はどうする?」
「あ、え、えと、明日の昼休み中にでも」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!明日休み明けだぞ!?それに午後は確か4組も予約入ってるんだ。」
「そーだよ!しかも一人バースデー予約であたしも特別ホールケーキ用意しないといけないんだよ!?」
抜けられると困る!と蜜と恵が声を上げる。じゃあ翌日は、と言うとそれもちょっと。と。じゃあ良く翌日は?と聞くとそれならまぁ、と頷く。咲を振り返ると既に電話口に何事か言っていた。
と、咲が首を振る。
「向こうの都合が悪いようだ。翌週から1週間ほど試験期間があるらしい。」
「えーと、じゃあ試験が終わるのはいつかな?もうそっちに合わせる。」
でないと決まらない、と耕は言いきる。
電話口で喋り出した咲の背を見ながら、3人はごくりと喉を鳴らした。
「結局、一週間?後なの?」
「ああ、試験期間とは言ったが、実際には実技科目と実習が重なっているようで、昼の時間が取り難いようだ。3時に約束をしたからな。その日は耕は早めに上がって昼食を取るといい。」
「ねーねー、どんな子?声から少しくらい分かるでしょ?」
そうだな、とキッチンに立ったまま、何かしながら咲は答える。
「少し緊張しているようだったな。所々声が裏返ったりしていたし、都合が合わないと此方より余程動揺していたぞ。気が弱いのかもしれん。ああ、女の子だった。大学生だろうな。」
「女の子かー、だったらホールかな?」
「いや、気が弱いんだったらホールとかは無理じゃね?」
電話口の君を想像し、気分が高揚する。初めての、自分達以外の店員、自分達の後輩。
どんな人物だろうか?そう考えただけで、何だか胸がドキドキしてくる。
出来たぞ、と咲が皿を運んできた。おお、と声が上がる。
「おにぎり!」
「おむすびじゃね?」
「どっちでもいいだろう。パンもいいが、休日にはやはり米を食べたい。」
分かる、と声が上がる。パンもパスタもいい。フランス料理は美味しい。だがしかし、いくら美味しいものでもずっと同じものは食べ続けられない。こう思うと、自分達の根っこはやはり日本人なんだろう。
「あ!この合鴨醤油付けておにぎりのっけるとうまい!」
「おいソース・・・・・いやこれ美味いわ!これソースに醤油あうな!」
「一口ちょうだい・・・・・あ、いいねこれ!」
「やっぱりお米サイコー!明日も頑張れるわ!」
塩むすびサイコー、と恵がもう1声高く啼いた。静かにしろ、と咲が呆れる。
「耕、一応新しく来る新人用に制服を用意しておくがいいか?」
「うん、頼むよ。ありがとう。」
「厨房はズボンだけど、ホールはどうすんの?女の子なんだからスカートがいいな!」
可愛いし、と恵は笑う。因みに咲はパンツスタイルである。
「動き難いだろう。」
「でもクラシックでいいんじゃね?前はロンスカだったじゃん。この際、咲もスカートに」
「動き辛いから嫌だ。」
取りつくしまも無く言い切られ、あ、そ、と蜜は項垂れる。それを見ながら、キシシ、と恵が笑った。そして思い出したように立ち上がる。
「忘れそうだった!デセールの試食!」
「ああ、何作ったの?」
「彩フルーツのゼリー寄せ、ココナッツムース乗せ!運んでくる!」
言うなりキッチンに駆けていく。グラスが開いていたので、耕は珍しくワインをお代わりした。
新しい店員、そう考えるとドキドキしたのはやはり不安なども有ったからだろう。だが、今ではただワクワクしている。この店の、自分達の未来を考えると、今は不安よりも其方の気持ちが多い。
ぐ、っと一気にワインを煽る。少し渋めの赤ワインだ。そう言えば昔は自分がお酒なんて呑めるようになるのかと思っていたが、意外とイケるものだ。
昨日より今日が大変で、今日より明日が楽しみで、明後日はもう未知の領域。
予想できないこの先だが、この仲間達となら大丈夫。そう思いながら、耕は3杯目は素直に水を飲む事にした。自分が唯一予想できる未来が、これ以上飲んだ時の明日の二日酔いだった事は言うまでも無い。