第八話「天国の種子、ひとつぶ」
起承転結をつけるなら、この話は 起 でしょうか。
ゆっくりゆっくり、ペース遅く成長する登場人物達ですが、
長い目で、見てあげてやってください。
「さーせん、お冷いいっすか?」
「あ、すみません!」
入口近くの席に座っていたお客様にそう声をかけられて、耕は慌ててお冷を注ぎに行く。これはやってしまった。如何なる理由があろうとも、お客様に言われてから気付くなど接客業としてあってはならない事だ。申し訳ありませんでした、ともう一度頭を下げると、珍しいその一人の男性客は、いや、大丈夫っす、と笑ってくれた。耕達より年下だろうか?まだ学生かもしれない。
「3番、デセール!」
「はい!」
少し張り上げたような恵の声が響く。では、と挨拶して皿を受け取り、それを注文の客に運ぶ。
「お待たせしました、パンペルデュ、本日の果物はパイナップルです。」
「わー!おいしそー!」
二人の女性客だった。見た事がない気がするので、新しいお客様かもしれない。そう考えると最近、見慣れないお客様が多いのは所謂、新客層を開拓した、という所だろうか。
「うわ、見て見て!このじゅわってしてるのがいーよね!」
「熱いのでお気をつけて召し上がって下さい。」
「口コミサイトで知ったんですけど、凄く美味しかったです!」
オーナーもカッコいいし!なんてお世辞を言われると、耕は照れ笑いを浮かべるしか出来ない。もっとこう、ウェットに飛んだジョークで上手くかわしたいのだが。
「そうですか、ありがとう御座います。」
「大学でも結構評判なんですよー。」
大学で評判、と言われて成る程、と思った。最近若いお客様が増えたのはそのおかげだろうか。しかもその評判の元はネットの口コミサイト。
ううむ、時代を感じる。
「でも、本当に少人数でお店をやってるんですねぇ。」
「オーナーは人員とか、これ以上増やしたくないんですか?」
「いえ、正直な話をしますと、人手はあるだけ嬉しいですよ。」
本当に正直な話である。少し前から、ちょっとしたきっかけで始めたコース+単品オーダー。それが意外なほど人気を呼んだようだ。男性はお腹が満たされるし、女性は色々食べられるし、という事だろうか?サービスで始めたが、それがこうも当たるとは嬉しい予想外である。
だがしかし、お客さんが増えてオーダーの数が増えるという事は、売り上げが上がるというばかりではない。調理場の蜜と恵はそれこそ怒涛のような勢いで鍋やらフライパンやら振り回して料理をしている。今までなら一品二品作ればすぐ次のオーダーに取り掛かる所を、横からまた同じ席のオーダーが入ってきたりするのだから、混乱もあるというものだ。
そして料理の提供や、サービス、予約などの管理、食材の発注、備品管理などを殆ど一手に引き受けてくれている咲の負担も、顔には出さないが大きそうだ。あ、勿論洗い物も増えた。耕も大忙しである。
出来たら厨房にも客席側にも人員を増やしたい、それは耕の願いであり、考えだった。
「お釣りになります。」
「ごちそうさんでした。」
「ありがとう御座いました。」
レジを打ち、お釣りを渡して笑顔でドアを開き、お客様を見送る。あの、と話しかけられて何でしょう?と咲は首を傾げた。青年も首を傾げながら、聞き難そうに口を開く。
「その、やっぱり夜来る時は、予約とかいるんすか?」
「いいえ、勿論予約なしで来られるお客様もいらっしゃいますよ。ただ、予約をされた方が確実ですし、場合によってはアレルギーなどのメニューも対応出来ます。」
「・・・・・ぶっちゃけ、予約した方が料金高いんですか?」
声を潜めるように、口元に手を添えて小声で尋ねられる。一瞬目を丸く仕掛けたが、すぐにいつもの営業スマイルで咲は返答する。
「いいえ、当店では特別な場合以外は、サービス料は頂いておりません。」
ご安心下さい、と微笑むと、男性もホッとしたように笑っていた。
□■□
「ぎっつぅ~・・・・・・。」
昼休み、何とか昼食をかきこんで、お茶で流し込む。もう最初やっていた一休憩する余裕さえなくしたように、恵は天井を仰ぎながら溜息と共に吐き出した。隣で蜜は卓上に突っ伏している。今日もまた目の回るように忙しかった、それ自体は嬉しいのだが。
「午後は、2組予約が入っているぞ。見慣れない名前なので、新規の方だろう。」
「2組か~・・・・。」
「但し1組は7人グループだそうだ。」
恵も突っ伏した。想像だけで撃沈していては夜を乗り切れないと思う。
あっ、と蜜が顔を上げる。
「じゃあ午後のメニュー、六品じゃまずいだろ!一品増やさなきゃ!」
店側として言えば、今まで同じく六品から選ぶメニューでもいいだろうが、客側として考えたらメニューは選べる方がいいだろう。もっと言うなら、7人で来るなら人数+もう二品くらいあると選べる感じがしていいと思う。全員がバラバラに選ぶ、と決まった訳ではないのだが。
「うーあっと、そうだ!確かマリネしてる肉があったからあれの仕込み具合見てくる!」
「アタシもデザート増やす!」
言うなり二人とも立ち上がる。あ、と耕も立ち上がろうとしたが、耕、と咲に名前を呼ばれて振り返る。
「これは、先月のオーダー数をまとめたものだ。」
「あ、うん・・・・。」
「簡単だが推移表みたいなものも作ってみた。」
調理場の方を気にしつつも、これも仕事の一つだと頭を切り替えて渡されたものに目を通していく。
成る程、これは意外なものも多い。出した当初は人気だと思っていたものが、後半に行くにつれオーダー数が落ちていたりする。そういえば、確かこのメニューは最近蜜が出ないから別のものに変える、とか言っていたなぁと耕は思う。
「海老のビスクに戻したのは、正解だったって事かな。」
「店を始めた頃の定番だったが、そちらの方が人気は高かった。何、味が悪いと指摘されたわけじゃない。季節に合わなかったとも考えられる。」
「そうだね、夏場の暑い時期ならもっと出たのかもしれない。逆に、クリーム系は夏場にはちょっと重く感じるかもしれないね。」
「ああ、季節でメニューの移り変わりは大事だ。日々の定番メニューや日替わりメニューだけでなく、夏場冬場の定番メニューも考えて行きたい。そうなると何時頃メニューを変えていくかも重要になって行く。お前も客席でオーダーを受けるなら、その辺も考慮した方がいい。」
「確かに、これを見るとそれを痛感するよ。」
自分達が良いと思ったものでも、それが絶対に世間に受け入れられるという事ではないようだ。並べられたメニュー名を見ながら、耕はそう思った。これを見ると、自分達で試作して没にした皿も、結構人気があったのではなかろうかと今なら思う。
「レーズンの方が良かったかな?」
「一般的な日本人は好まないだろうとは思うが、そういう事もあるだろう。」
多くは言わなかったが、咲は察してくれたようだ。
「人間には好みというものがある為、全部が全員に受け入れられるという事も無いだろうが。」
「それでも、自分の店に来てくれるお客様の好みくらいは覚えておきたいよね。」
これは後で蜜や恵にも教えなくちゃ、と思っていると、耕、と不意に名前を呼ばれる。
「売り上げは伸びている。」
「あ、ああ。単品オーダーやりだしてからかなり評判がいいよね。注文も増えてるし、ただその」
「手が回らん。正直今の状態じゃこれ以上の客数は相手に出来ない。」
「うん・・・・・・。」
ぎゅ、とあいた手をきつく握り締める。
いつもそうだが、自分の無力さを痛感する。自分がもっと手際がよければ、もっと役に立っていれば同だっただろうか。厨房だけじゃない、ホールだって、経理だってそうだ。今だって殆どを咲に頼ってしまっている。こんなに他人ばかりを当てにして、何がオーナーだ。助けて貰ってばかりじゃないか。
「咲のいう事は・・・・・分かっているよ、だけどあいたっ」
「阿呆か。」
ばちこん、といい音と共に額に痛みが走る。不意打ちに涙と疑問符を浮かべていると、不機嫌そうな咲が「もう一発いこうか?」と、でこぴん発射用意体制の指を見せながら言ってきた。
耕は反射的に首を振る。咲は溜息をついて、それはそれは、深い溜息で。
「一人でぐるぐるするな。」
「・・・・え、あ・・・・・。」
ごめん、と謝る前に、私は、と咲が口を開く。
「客席の担当だからな。ホール側が欲しいぞ。」
「え?」
「正直仕事量がキツイ。ベストは正直に言えば、ソムリエ担当者だな。」
「あ、うん、それは頼って悪いと思ってるけど、あの」
「望みすぎているとは理解しているが、こういう客相手の仕事の経験者の方がいいな。誰でもいいという訳にもいかない。最低限のことはこなせる人間がいい。丁寧語、敬語は使える方がいい。そうだな、電話応対なども教えなければいけないだろうな。声の出し方は大きすぎる事無く、だからといって小さくは無く、聞き取りやすい声がベストだ。」
以上だ、と言うだけ言って、咲は立ち上がる。声まで注文つけるのか、といっそ清々しく尊敬してしまった挙句、呆気に取られたようにぼーっとしている耕を、咲はじろりと睨む。
「オーナーがいつまで休憩しているつもりだ?」
「え、ああ」
「こーうー!悪いけど詰め物の中身頼む!」
「あっ、わ、分かった!」
厨房から投げかけられた声に返事をして、慌てて立ち上がってエプロンを着ける。不意に上げた目線が、咲とばちっと合った。に、と笑う。あ、この笑顔。
「決めてくれよ、オーナー。」
悪い事考えている時のあの顔だ。と、耕はぎりぎり飲み込んだ。
「悪い、蜜、何する?」
声をかけると、魚を処理しながら、蜜はボールを指差す。
「そこの詰め物、作っといて!材料そこ!わかんない事あったら聞け!」
「分かった。」
成る程、今日のメニューの一つ、小鯛のきのことバジルの詰め物だろう。
一応材料とレシピをさらっと確認して、耕は仕事に取り掛かる。まず、フランスパンの外側を取ってしまい、中身の白く柔らかい所だけ牛乳に浸して柔らかくしておく。そして、ニンニク、アンディーブ、きのこ・・・・・今回は火の通りやすいマッシュルームを、みじん切りにしていく。全て切り終わったら、先ほどのパンを塩、コショウで調味し、全てを混ぜ合わせる。
「あ、きのことバジルは添えるから、大目に頼む。」
「OK、分かったよ。」
もう一度マッシュルームと、バジルの葉を何枚か細かく刻む。こちらは後で、詰め物をした小鯛をオーブンで焼く時に、周りに散らして一緒に焼き上げる。
「よし、蜜、出来たよ。」
「サンキュ、じゃあ俺テリーヌに取り掛かるから、後は小鯛、頼んでいいか?」
「了解。」
既に小鯛のうろこ、内臓、中骨、背ビレ、腹ビレは断ち切られて取られてある。後は面倒だが重要な仕事、小骨をピンセットで注意深く一つ一つ抜いていく。抜き終わったら、小鯛の腹の中にも塩コショウをして、詰め物として、バジルの葉をのせて閉じる。後はオーブンで焼けば出来上がりだ。
「・・・・・なぁ、蜜。」
「ああ、今回は無かったけど、中身をクールジェットなんかにしてもいいな。」
「あ、いやそうじゃなくて。」
因みにクールジェットとは、ズッキーニの事である。豆知識。
「えっと・・・・・さ、蜜は、新しく人を雇うなら、どういう人がいい?」
「はぁあ?」
ニンニクを茹でこぼしながら、蜜は怪訝な顔で振り返る。えー、と恵が声を上げた。
「蜜の希望だけきくのー?ひいきー?」
「あ、いや、恵にも聞こうと思ってたよ。どういう人がいいかな?」
「「即戦力。」」
事前打ち合わせでもしておいたかのように、二人の意見は揃った。ですよねー。
でもまぁ、と気を取り直したように蜜は言う。
「何つーの?耕が頑張ってるのは知ってるしよ、その、何だ。ホールに一人入れて、お前が厨房に専念するってのも、悪くないと思うぜ?」
その言葉に、そーかな、と呟いたのは恵だ。
「確かに今の耕は中途半端状態になってるよ。でもさ、そう始めたのは耕じゃん?手が足りなくなったからやっぱり厨房入りたいから入る、ってのも結構身勝手だよね?」
耳が痛い言葉を、耕は苦笑いしながら甘んじて受け止めた。
「まぁ、そこまで言っちまえばそうだけどよ。」
「別に、耕が厨房入る!って言うならいーよ、だけどね、アタシは中途半端な人間なら入ってこない方がいいよ。」
迷惑じゃん、ときっぱりと言い切った恵に、蜜は特に何も言わなかった。
何処までも正論である。痛いぐらいに真っ直ぐである。そして、恵の正直な意見なんだろう。耳に痛く聞こえるのは、その意見が間違ってないからだ。
「いやまぁ、何だ?その・・・・・恵のいう事にも一理あるけどよ、これをきっかけにして、ってのでもいいんじゃないかって、俺は思うわけだ。・・・・・耕だって、調理場に立ちたいんだろ?」
「・・・・・うん。」
そして、蜜のいう事だって、決して間違っているわけじゃない。調理学校でだって、修行中だって、うまく行かなくて腐りそうになる度に、叱咤激励してくれたのは蜜だ。思い出すだけで涙が出そうになる。それを分かってくれているからこそ、蜜は耕の事を思って調理場に立て、と言ってくれているのだろう。
「蜜、恵。」
「ん?」
「なあに?」
「ありがとうな。」
何だ、いきなり。耕、何か変なもん食べた?
そう不思議そうに首を傾げる二人に、耕は、色々と、だけ答えた。
「そこ、随分楽しそうだな?調理場はそんなに余裕があるのか?」
そして刺々しさを纏いながら飛んできた言葉に、三人は慌てて黙って作業に戻るのだった。
□■□
「ううう~~~~~~ん・・・・・・・。」
就業後、自室の机の上で、耕は今だ頭を抱えていた。結局の所、答えは出せていなかった。
(正直な気持ちでは、ホールに誰か入って貰って、俺が厨房に立ちたい)
その為に辛い修行にも耐えてきたのだ。実際に立てない、立つほどの能力ではないと気付いた時には、内心は台風がダブル上陸してブリザードが同時に吹き荒れているほど、酷い有様だった。もっと醜い、ドロドロした内心を話すなら、蜜に嫉妬すらした。恵にも。同じ人間で、何が違うのかと。
分かっている、耕に出来ない事をあの二人は出来る、それだけだ。四者四様で出来る事と得意な事と、出来ない事と苦手な事があって、昔から4人は一緒にやってきた。そしてこの店は、それが綺麗に形作られたようなものだろう。
だとしたら、何だろう?
昼、助けて貰ってばかりだと思った。3人だけじゃない、もっと沢山の人達に耕は今まで助けて貰いながら、ここにいる。不意に、竹嶋の言葉を思い出す。
『自分だけの力でそう何でもかんでも出来ると思うな。出来ない部分は人を頼っていい』
あの言葉は正しい。だが、その言葉にずっと縋っているようではいけない。成長が何も無い。
あの言葉を免罪符にして生きるようでは、それこそ人間として失格だろう。感謝をすれこそ、それが常識という惰性になって生きていてはだめだ。
だとしたら、自分には何が出来るんだ?
じっと、耕は自分の手を見つめた。自分には何がある?何をしなければいけない?
頭を抑える。もう寝なければならない時間はとうに過ぎているのに、このままでは眠れそうに無い。
(少し・・・・・気分を変えよう)
立ち上がり、キッチンに行く。取り敢えず、お湯をやかんで沸かす事にした。かち、とコンロの火をつけると、暗い部屋が少し明るくなる。ぼんやりと、その青い火を見つめる。
ぐるりぐるり。頭の中で、思考回路が絶えず動き回る。大変忙しない。
夢を追いかけて、それが叶っているのに。足りないものばっかりで、欲しいものばっかりで、毎日毎日贅沢三昧もいい所だ。そうして、それを自覚しているのが。
何より、辛い。
『他人を信頼して相談するのもオーナーとしての器量だぞ』
ピー、と鳴った音に、ハッとなる。慌ててキッチンに戻って、コンロの火を消した。ほー、っと深い溜息が漏れる。いつの間にか、自室にいた。机の上の、携帯に手を伸ばして。
何をしようとしたかは明白だ。自分で決断できなくて、自分の決断が信じられなくて、他人に決めて貰おうとした。最後まで他人任せかよ、こんな自分に反吐が出る。
頭を振ってどうしようもない考えを振り払い、お湯をコップに注ぐ。そこに珈琲を3杯ほど放り込んで、ぐっと飲み込む。うへぁ。
「にっが!これにっが!」
まぁ当然といえば当然だった。喝を入れようとしたつもりだったが、いや、これは気は引き締まったが、それ以前に胃をやられそうだ。冷蔵庫を開けて、牛乳を取り出す。注ごうとして、ふと思いついて、戸棚からマシュマロを取り出して、珈琲に放り込む。三つほど贅沢に入れると、しゅわわ、と溶けていく。小さなメロディが流れてきそうな、その光景を楽しんで、牛乳を足す。
飲むと、うん、先程よりは身体に優しそうな味だった。
「はは・・・・何をやってるんだか。」
暗い部屋で耕は呟く。だが、良い意味でも悪い意味でも、気が抜けた。
今する事は、今考える事は、新しく人を入れるか否かだ。経営的には余裕があると咲も言っていた。何より、蜜も恵も、咲も、自分も。今のままでは仕事は一杯一杯だ。余裕が無い。このまま続けていてはいつか何処かにこのしわ寄せが行く。そうならない為には。
「うん、まず絶対に、誰かには入って貰わなきゃいけない。」
それは決定事項だ。では何処に?
厨房か、客席か?耕はもう一口珈琲を飲んだ。
先程まで、耕は悩んでいた。だが気付いた。
自分は、この店のオーナーだ。
自分の意見は、意見の一つだ。今日皆から聞いた意見と比べて、どれを優先するも優先しないもない。従業員の意見、一つ一つをきちんと聞いて、考える。それが、自分の仕事で、自分しか出来ない事で、自分がしなくてはならない仕事だ。よし。
カップを置いて、ぱんっと両頬を叩く。痛い。
「・・・・自分が入って欲しい人を、考えてなかった。」
咲も蜜も恵も、入って欲しい人間がいる。こんな人間に来て欲しいと言った。それに比べて、自分は新しい人間が入ってきたら自分自身がどう動いたらいいんだと、そればかり考えていた。
ガスを閉めて、自室に戻る。もう一度机に座って、考える。途中スタンドを着けて、ノートを取り出した。まとまらない考えなら、取り敢えず書き出してしまえばいい。
その方が、ぐちぐち考えるよりもすっきりする。
「俺が入って欲しい人・・・・・・その上で、オーナーとして、その人をどう上手く使う・・・・・・どう働いて貰うか・・・・・・。」
目を瞑って、考える。あんな人、こんな人。脳内で想像しながら色々な人間を思い描いて、ハッと瞳を見開く。そして、耕は急いで携帯を取った。二つ折りのそれを開いて、慌てて電話をかける。
「・・・・あ!あのさ!」
コール音にもどかしさを感じていると、もしもし、と声が応答した。
興奮気味に口を開いた耕に対して、相手は静かに。
『・・・・・今、何時だと思ってる?』
言われて時計を見て、耕は自分が何をやってしまったか気付いて、悲鳴にならない悲鳴を上げた。
まぁ、深夜に悲鳴を上げたら近所迷惑な事もあったのだが。
□■□
ぺたり、と三人の前で耕が、その募集要項を書いた紙を張る。
それを見ながら、へーえ、と蜜は呟く。
「で、従業員2名募集。アルバイト可。未経験者可、と来たか。」
「ちょっと曖昧だねー。」
今日も正直に自分の意見を言う恵に、苦笑いをしながら耕は答える。
「考えたんだけどさ、答えは出なかったんだよ。」
照れくさそうに、頬をかきながら耕は言う。
「どんな人間が来るかなんて、良く考えたらまだ分かるわけなんかないしさ。その人のしたい事、出来る事、何も分からずに決めるなんて出来なかった。厨房希望者、とか、ホール希望者、とかで最初からはっきりさせようかとも悩んだけど、勿体無いじゃん。」
折角、新しい人と出会えるんだし。
「どんな人が来るのかはちょっと考えてて楽しかった。その出会いを、最初から制限かけるのも勿体無い気がして、さ。」
そうして出した、まだまだ未熟なオーナーとしての答え。
ふーん、と恵が言いながら張り紙を眺める。
そして、咲が少し首を傾げた。
「だが耕、来た人間が両方ホール希望ならお前が厨房に入るんだろうが、逆だったらどうするんだ?」
「えっ」
「あー俺も思ったわ。その場合、客席どうすんだ?二人で大丈夫なのか?」
「あっ」
「まさか私らに客席まで運べって言わないよね?つか、耕ってやっぱ、」
「どこか抜けてるよね」。と。
三者三様の言葉が耕の心臓を抉る。
考えたのに。頑張って。考えたのに。これでも。
ううう、と唸りながら、浮かぶ涙をぐっと飲み込む耕に、ふふ、と笑い声がかけられる。
「だが、楽しみだな。こういう気分は久しぶりだ。」
「分かる分かる!後輩、ってか後輩だよね?うわっ、ちょっとたのしそー!」
「最初が肝心だからな、こーゆーの。ビシビシ行くぞ!」
先駆け者達も、後続が出来る事には興味津々なご様子で。盛り上がる3人に、お手柔らかにね、と耕は苦笑いをこぼす。が、聞こえていないのか何なのか、あーだこーだと新人教育に花が咲いている。
どうやらこの辛口な従業員達をまとめるには、まだまだ自分は修行が足りないらしい。だがいずれはオーナーとして、びしっとしなければ。
心意気を新たに、耕はその紙が飛ばないようもう一度しっかりと張りなおした。
従業員2名募集。アルバイト可。未経験者可。
やる気のある方、大歓迎。分からない事も、一から教えます。
オータムシエルで、一緒に働いてみませんか?
※ご希望の方、従業員へ気楽にどうぞ。