第七話「冬はカキフライもおすすめです」
勢いだけで仕上げました。接客経理担当、咲ちゃんです。
実はこの四人のみならず、登場人物達には実は前科というか、
履歴経歴があります。別の話で使用した登場人物達を思い入れで引っ張ってきています。意外とはまって驚いています。いつかその元の話も上げたいです。
その際には、この作品の登場人物との比較などもしてみて下さい。
・・・―――――ぴピっ!
2音目でべしんと時計の頭頂部が叩かれ、それ以上の音は鳴らされなかった。むくり、とでも音を立てるかのように咲は頭までかぶっていた布団を退け、起き上がる。ふあ、と欠伸を噛み潰す。
時刻8:26分。月曜日。
本日、オータムシエルは週に一度の定休日である。
普段、就寝は0時を過ぎるので、睡眠時間は削られがちである。その為、咲は休みの日だけ何も無ければいつもより朝寝坊をするように心がけている。但し、目覚ましだけはセットする。以前、働き始めの頃昼まで寝ていて、一日を無駄にした気分になるわ眠りすぎたのか逆に頭痛いわと散々な目にあった。その後、色々錯誤してこの時間に至る。何故か自分は8:30分より、5分前の方が気分がいい。
「・・・・――――っ!」
カーテンを開くと朝日がまぶしい。これはどう見ても良い天気だ。他の地方はどうか知らないので、全国的にはどうだか知らないが、少なくとも今自分がいる場所は良い天気だ。
まずは洗顔と歯磨きである。と、歯磨き粉が残り少ない事に気付く。磨きながら洗面台の必要品が入っている所を覗く。一つ買い置きがあった。暫くは買い置きで持つが、また買わなければいけないなと思う。特に拘りが無いので、メーカーはどこでもいい。財布を圧迫しない方が重要である。
嗽をしたら洗顔、ぬるま湯で洗い、最近買ったミルクタイプの洗顔を使ってみる。効果はまだ知らない。少なくとも肌がぼろぼろにならずにいればそれでよし。
「・・・・・ふぅ。」
タオルで顔を拭いて、タオルかけに戻す。と、これも今日洗ってしまおうかと思って洗濯用の籠に入れておく。ついでにヘアーバンドも外して入れておいた。
さて、朝食である。冷蔵庫からミニサイズの片手鍋、卵、調味料を取り出して、鍋を火にかける。中身は一昨日仕込んだ味噌汁だ。そして冷凍庫からタッパに入ったご飯を取り出す。そして残っていたこんにゃくのピリ辛炒めと、ひじきの煮物も取り出す。いい加減処分してしまおう。
まとめてレンジに投入して、後はお任せ。文明の利器とは凄いものだ。
さて、後は卵焼きを作って、と考える。
「・・・・・ふむ、青物が無いな。」
葉野菜は痛みやすいので仕方が無いが、彩りはいまいちだ。何というか、全体的に黒っぽいというか、茶色っぽいというか。普段彩りまで考えられた食事を見ているのもあるかもしれないが。こういう所で普段仕事にしている人間としていない人間の差が出るのだろうか?
まぁ今更悩んでも仕方が無いので、器に卵を割る。ちゃちゃっと手早く混ぜたら、砂糖、塩、白出汁ほんの少し。む、これも減ってきているな。そう思ってカレンダーを見に行く。うん、安売りは5日後か。それまでは持つだろう。そう思いながら卵を良く混ぜる。
因みに賃貸なので画鋲ではなく、粘着式のフックでカレンダーを固定してある。正直剥がす時大丈夫かとも疑ったが、その時はその時だ。穴が開くより確率は良い。
味噌汁の入った鍋を火から外し、テフロンのフライパンを乗せる。専用の卵焼き器があれば綺麗に仕上がるのだが、無いものは無いものだ。味に変わりはないし、客人に出す時には端だけ切れば良い。
ここでレンジに呼ばれる。考え事をしていると手際が悪くなると思いつつ、温まった食材を取り出し、ご飯を箸でかき混ぜて、ついでにヒジキを混ぜて器に盛る。簡易ヒジキご飯だ。こんにゃくは皿に出す。皿は卵焼きが後で乗るので、少し大きめのを出しておく。そしてフライパンに戻る。うむ、熱くなった。
「よし。」
卵液を半分流し込むと、じゅわ、と音を立てる。すぐブクブク膨らんできたら、巻かずにオムレツのようにフライパンの端に寄せる。巻いてない?気にしない気にしない。そして残りを流して、寄せた半熟卵を箸で持ち上げて下に卵液を流し込む。泡をちょいちょい潰しながら、向こうからくるくる巻く。
多分、もう一度くらい巻いた方がいいのだろうが気にしない。フライパンでやると真ん中が膨れてやり難いのだ。熱々のそれを皿にぽん、と乗せる。切った方が見栄えはいいが、一人で食べるのだから気にしない。皿の上で箸で切れば良し。最後に味噌汁をよそう。具はくたくたに溶けた玉ねぎと、ちょっと味がしみて固くなった豆腐。多分残ってたからいれた気がするお揚げさん。
よそい上げると、水を出して洗い桶に水を張る。桶はシンクが狭いので台の上に置いて、洗い物は放り込んで置く。そろそろこの洗い桶自体も洗ってやるか、と思いつつ、ご飯と味噌汁、いくばくかのおかず達を食卓へと運ぶ。そして冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出すついでに、愛用のコードレスケトルに水を入れて、スイッチオン。
「頂きます。」
ずず、と味噌汁を吸う。うむ、やはり味噌汁があると朝食、という気分がする。グザイが少なめなのも実に良い。最近は特に忙しい為、中々朝に味噌汁というわけには行かなかった。寧ろ夜に多く、しかもある野菜を片っ端から放り込んだやや田舎くさい具沢山の味噌汁だった。
(まぁ、それもそれで嫌いじゃないが)
そう言えば母親もそんな味噌汁が多かったな。中学生くらいの頃はそれが何だか嫌な時期もあったが、中々どうして。気付かないうちに色々と引き継いでいるものだ。と、想像してぶるりと震える。頭をぶんぶん振って浮かんだ考えを振り落とし、卵焼きを口に放り込む。じゅわ、と甘めの卵焼き。こんにゃくの炒め物は唐辛子を聞かせたピリ辛仕様、味のバランスはとれているじゃないか。
「む」
と思ったらヒジキご飯が意外と味付けが薄かった。元々控えめにしていたからか、はたまたヒジキ自体の量が少なかったからか。混ぜご飯としてはやや物足りない味だ。ふむ。
しかしおかずが結構味が濃かった事を考えると、これはこれでいいか。そう思い味噌汁をもう一口。
ずずぅ。
「ごちそうさま。」
手を合わせて呟く。例え一人で食べようとも自分で作ろうともその挨拶はかかさないように、と言ったのは母だったか。そう言えば弟達はどうしているだろうか。中学?高校だっけ?また今度連絡をしよう。そう思いながら沸かした湯を急須に注ぎ、食後のお茶を淹れる。咲の好みだが、食事中は冷たいお茶、食後は熱いお茶を頂きたい。食器は桶の中へ。
注いだお茶を卓上に運び、飲む。まさに食後の一服。
ふぅ、と息を漏らす。
そう言えば、と咲は考えを巡らす。耕達はちゃんと朝食を摂っているだろうか。耕と蜜はシェフだ。普段はしっかりと見た目やバランスを考えてのレシピをこさえるが、自分の事となるとなんというか。しかも見た目に合わず食事量は男性・・・・いや、見た目もしっかり男性だが、それこそしっかり食べる。賄いもしっかり大盛りである。炭水化物が気になる。特に蜜なんか昔から両親の都合で料理をしてきたからか、平素は主婦のそれである。休みの日に一人なんだから有り合わせで簡単にすませちゃお~なノリである。他人は気遣うが自分の食生活には意外と無頓着だ。
恵は恵で別の意味で心配だ。あっちは休日だろうが平日だろうが作りたいもの食べたいものを作る。サラダだろうがスープだろうが合わせる。こう見ると安心だが、恵は食べたいものを作る。そう、自分が食べたいものを食べる。要するに、それが食べたい作りたいとくれば、何日間も同じ食事が並んでも一切平気というこっちもこっちでどうなんだな生活をする。
以前、5日連続で卵ご飯を毎日二杯ずつ食べていると聞いた時には顎が外れるかと思った。その前の週はキノコソテーを入れたオムレツに季節の野菜サラダを添えて、焼いたバゲットと手作りフルーツジュース、フルーツグラノーラのヨーグルトがけを食べているとか言ってたのに何処で卵かけご飯に目覚めたんだ。だがしかし卵かけご飯に何をかけるか論争は中々に有意義だった。合掌。
「さて」
心配していても仕方が無い。咲は茶を飲み上げると、先に寝室に行って布団を干しにかかる。何気にこの部屋はベランダが広いので助かる。そしていい加減パジャマを脱いで着替える。洗い物をまとめ、洗濯機のスイッチを入れた。消音タイプのちょっといいお値段のものである。次はキッチンへ。
腕を捲り上げ、漬けていた食器、及び使用した調理器具の洗浄にかかる。スポンジが大分古くなっていることに気がついた。これは今日で仕事納めにしよう。洗剤はまだ買い置きが有るから大丈夫だ。色々試したが、今使っているものが一番良く汚れが落ちる気がする。香りもグレープフルーツとかで気に入っている。手早く洗って濯いだら、勿論布巾できっちり噴き上げ、所定の位置へ。片付け終わったら、桶とついでにまな板を漂白にかかる。しっかり手袋をして、桶に漂白剤と水を入れて、布巾を入れる。二枚は取り出してまな板に貼り付ける。これは暫く置いておけばいいだろう。
洗濯機が乾燥に移行した音が聞こえてきた。部屋に戻り、パソコンを立ち上げておく。同時に取り出したるはメモ用のノートと帳簿。帳簿は専用ソフトでエクセルにまとめておく。此方は指定のやり方でやればいい。重要なのは(無論、帳簿つけも大事だが)もう一つのほうである。
と、やっている内に脱水が終わったようだ。既に温くなったであろうお湯が入っているケトルのスイッチを入れ、急いで洗濯物を干してしまう。一人暮らしは気楽だが、何もかも自分でやるというのはやはり大変である。因みにゴミ出しは大体木曜の燃えるゴミが一番回数が多い。ゴミの少なさだけは一人暮らしの利点かもしれない。
「ふぅ」
干し終わるとお湯が沸いていた。インスタントの珈琲粉末とお湯を注いで、砂糖を少し。掻き混ぜて溶かしたら牛乳を多めに入れる。消費期限は明日までだが、後でもう一杯飲んでしまえば無くなるだろう。
カップを持ったまま帳簿付けを再開する。終わったら次はメモノートを開く。此方の方が重要と前述したように、これには帳簿に無い店の全てが書き込まれている・・・・・・というのは大げさか。
(ふむ、先月は瀬島様が珍しく一回も予約が入っていないな)
主に書き込まれているのは予約客のデータが多い。その時の注文、使用金額、時間、客数などが走り書きされている。オータムシエルでは時々『お店にお任せオーダー』という所謂裏メニュー的なものを注文するお客様というものもいるので、このように有事に備えメモを取っている。面倒だが、こうしておけば同じようなメニューを出すというトラブルは避けられる。
尚且つ、次訪れた時の参考にもなる。その上、定期的に予約して下さる常連客などは、その予約の頻度まである程度把握できる。因みにこのノート、恵は影で「閻魔帳」と呼んでいる。
「ん?トマトのガスパチョはいまいち伸びが悪いな・・・・・これなら海老のビスクの方がいい。」
次に書き込まれているのは、その日のオーダー数だ。季節の移り変わりやその日の仕入れというものもあるので毎日同じメニューではないが、やはり定番メニューというものは作っておきたい。今はまだ試作の段階のメニューも多い。自分達では美味しいと感じても、客層に合わない事もある。客観的に判断できるように、此方も表にまとめる。もう少しデータが集まったら、比較してどんな方向の料理が好まれているか判断が出来るだろう。
因みに蜜には言い辛いが恵のデザートは全般的に伸びがいい。やはり客層としては女性が多いからかもしれない。ただ、こうやってデータにすると氷菓の類が多い。これは恵の好みだろうが、これから暑くなるので大丈夫だろうが、冬場は別のものが好まれるだろう。梅雨時期も厳しいか。
「おっと」
集中しすぎたか、と立ち上がって咲はキッチンへ向かう。もう漂白はいいだろう。手袋をはめて、洗い流して、布巾は干しておく。忘れていたスポンジも処分した。
さて、データ作業は一時中断しよう。人にもよるが、気分を切り替えつつやらないと咲は集中力が持たない方である。次は総収入、総支出をグラフにまとめ始めた。
(・・・・・一人当たりの注文単価が上がっているな、追加オーダーが多かったからだろうか)
これに関しては耕が最初だった。お客様の男性の一人に「メインを一皿追加できるたらいい」と言われたらしく、成る程、昔からの常連客や女性が多く占めていたので気付かなかったが、大食漢の方や男性には少ない時があるのかもしれない。という事で単品オーダーメニューも用意してみた。勿論メインは先代からのやり方であるコースのみだが、そこに追加オーダーを出来るように計らってみたのだが、これが結構好評だった。女性客のグループでも、2皿追加を受けた事もある。
という訳でデザートも追加できるようにしたらこれがやっぱり大好評だった。
のだが。
(蜜は限界だろうな・・・・・)
ほぼカフェオレの珈琲を一口飲む。
というか調理場への負担が半端ではない事は理解していた。耕を度々アシスタントに導入しているが、そうしたらそうしたで客席側が咲一人ではやはり辛い。
うん、と一度身体を伸ばしてまたカタカタと入力作業に戻る。
蜜も言っていたが、咲だって耕を調理側に回してやりたくない訳じゃない。だが現状として、耕を調理側に回せば客席側が回らなくなるだろう。その度に耕を戻していてはいつか無理が出る。
というか、絶対にパニックになった耕は何かをやらかす。咲には容易く予想が出来た。
カタン、と音を立ててグラフが画面に広がる。
うん、売り上げは出ている。少しずつだが伸びている。右肩上がりとはこの事だ。
ならば此処からが問題だろう。春も終わる。次に来るのは梅雨だ。売り上げは落ち込む可能性もある。だからこそこの、調子のいいところで何か手を打っておかなければいけない。以前、急遽行った苺フェアではないが、新しい客層を開拓しつつも、この勢いを落とさない、出来れば、この勢いを更にアップさせる手段。咲は手元のシャープペンシルを手に取り、かちかちと無言でノックする。昔からの癖だ。無意識なので直しようも無く、今では芯の入っていないシャープペンシルを持ち歩くようになっていた。
「・・・・・・・よし。」
思考回路が煮詰まる直前で、咲は考える事を止めた。
これは店の事だ。店のオーナーは耕であり、シェフは蜜であり、パティシエールは恵である。なら、店の事はまた4人で話し合うべきだ。煮詰まるようなら考える時間が無駄だ。自分に無い考えを出す仲間達だ、その考えを一つ一つしっかり聞いて、その上でまとめるのが自分の仕事である。
そうして、パソコンの電源を落として咲の思考回路は自宅へと向けられる。徐に立ち上がり、キッチンへと向かう。冷凍庫を開けて、冷蔵庫を開けて、閉めて、考える。振り返ると大分時間は経っていたようで、正午を回っていた。
「買い物に行くか。」
休みは今日しかないのだから、動ける内に動いておこう。
とりあえず、咲の本日の引き篭もりは終止符を打った。身支度を手早く整えると、戸締りとガス、伝記の確認をして咲は部屋を後にする。ガチャリと鍵をかけて、一度扉を引いてかかってるかどうか確認した後、マンションの階段へと向かう。
「あ、こんにちは。お出かけですか?」
「・・・・あ、こんにちは。」
話は変わるが、このマンションは変わった造りである。
正面から階段を挟んで、左が1DK、右が3LDKと分かれている為、左側には咲のように一人暮らし、対して右側には家族や夫婦、カップルなどが住んでいる。因みに一つの階に部屋は一つずつ。要するにお隣さんとか同階の家は一つのみという事になる。
そして今挨拶をして来た人物は、同じ階の人物の一人である。どうやら同い年くらいらしいその女性は、手にスーパーの袋を持っている。更に言うなら、頭だけ下げた後ろの男性も。
「はい、休日しか動けないので、買出しに。そちらも―――――お二人で買い物ですか?」
正直な所この住人達の関係は咲には分からないので、ヘタな事は言わない方がいいだろうと言葉を濁した。ええ、と女性は頷く。
「やっぱり買い物には、何かと男手があった方が助かるので。」
成る程。確かに食料品やら何やら荷物が多い。そう思いながら見てると、男性が、なぁ、と女性に声をかける。
「腹減ったんやけど。」
「ああはいはい、急いで作るね。じゃあ、また。」
頭を下げて、咲は二人と別れた。因みに四階建てのマンションの癖に階段しかない足腰に厳しい住居である。階段を下りながら咲は首を捻る。良く分からないが、多分、カップルじゃない。
大体あの二人の組み合わせを見るのは初めてだ。いつもは別の男性が一緒にいるみたいだし。
「いらっしゃいませー!」
駅に向かっていると、意外と空腹を感じている事に気がついた。朝は遅かったのだが、量が少なかっただろうか。先に昼食をとろうと咲は決めた。空腹時の買い物ほど危険なものは無い。気付けばいらないものまで見境無く買ってしまう。とりあえずいきつけのトンカツ屋でランチにする。
流石にお昼時とあって店は込んでいたが、結構大きな店なのですぐに席に案内された。カウンターは開いていなかった様で、通されたのは二人がけのテーブル席。お冷お持ちしますね、と笑顔で言われて頷いて、メニューを開く。うおう。
「お冷どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「お決まりになりましたら、そちらのスイッチでおよび下さい。」
至ってクールに無表情を貫いているが、内心奇声を上げていた。何とも美味しそうなメニューの数々だ。あ、うちでもこうやってメニューに写真をつけるのも検討してみようか。いやいや、今は注文を決めなければ。そう思い直して咲はメニューを順番に見ていく。とんかつ、エビフライ、クリームコロッケ、はたまたメンチカツとエビフライのセット。お、こっちの御膳にはミニ蕎麦がつくのか。いくつものメニューが咲の心を揺さぶっていく。
断っておくが、咲は休日の度に外食するというリッチな生活をしているのではない。偶の外食だからこそ、いくつものメニューに心を揺さぶられているのだ。何より揚げ物は一人暮らしではし辛い。
うむ、と頷いて咲はスイッチを押す。すぐに従業員がやってきた。
「ご注文お決まりですか?」
「ロースカツ定食、一つ。」
最後までヒレカツと悩んだ。
□■□
厚すぎも薄すぎもしないロース肉。それを覆う衣は薄い。熱々のそれを口の中で噛み切ると、湯気と共に肉汁が溢れ出る。肉汁と共に零れ出たラードは、あくまで甘く、しつこさはない。豚肉を揚げているというのに脂っこさは感じられなかった。但し、ボリュームととんかつを食べているという満足感だけは満たされていく。そしてそれにかけるソース。野菜と果物の旨味が凝縮されたそれが、衣と身に絡み、えもいわれぬ幸福を、いや、この場合は口福と表現するべきだろうか。その全てを短く、分かりやすく、簡潔に纏め上げると
美味しい
うむ、まさかの四文字まで削れた。美味いならば三文字か。
そんな事を考えながら、咲は買ってきた荷物を食卓上に一先ず置く。ゆっくりしていたら、時間は既に三時を回っていた。とりあえず布団を裏返して、買ってきた食材は冷蔵庫に。たまたま安かったので買ったトイレットペーパーは、明日、店に持っていく分だ。
さて、手を洗ったら次にやるのは、明日以降の自分への差し入れである。何のことは無い、朝使ったヒジキ達のように常備菜などを用意するのだが。とりあえずご飯を炊いておこうと米を研ぎ、給水させておく。冷凍ご飯も無いので、多めに3合は炊いておこう。
さて、常備菜の定番といえば、ひじきの煮物、切干大根の煮物、金平ごぼう。などだろうか。大体、咲もこの辺のものは作っておく。何より一品欲しい時に用意できる副菜なのも嬉しい所だ。因みにヒジキの煮物には人参とごぼうの千切りも加える事にした。金平と同時進行できるからである。ヒジキの味付けは控えめにするのがポイントだ。煮詰めると味が濃くなるし、冷めた時も味は濃くなる。同時進行で用意した金平だが、こちらにはこんにゃくも入れる。入れた方が食感が好みだ。味付けは甘目よりもピリ辛が好みなので、鷹の爪も加える。最後の仕上げは白ゴマだ。
さて切干だが、此方は一手間加えて、ちょっと変わったものにする。まずは用意するはベーコン、しめじ、エリンギ。これらを炒めて、コンソメで味付けをする。ちょっと黒コショウも追加。
「・・・・うん、中々だな。」
たまにはこんな味付けも面白い。心配なのは冷凍すると脂がどうなるかという所だが、汁を煮詰めてから、よく水気を切って冷凍してみようか。万が一固まるようであっても、よく温めればいいだけの事だ。それから、さっきのエリンギとしめじにえのきだけを加えて、にんにくとサラダオイルでキノコをソテーする。蜜に教わったが、これがサラダに合わせてもオムレツに入れてもいい。付け合わせにも便利だ。此方は多めに作ったので、早速晩ご飯の時にサラダにしよう。後は、鳥挽き肉で鳥そぼろ。丼におむすびにあんかけにの万能選手だ。最後にほうれん草とブロッコリーを買って来たので、茹でて冷凍しておく。これで今朝のように青物が欲しい時に助かる。
ふー、と息が漏れた。これは結構な重労働だ。あ、ご飯のセットをしておこう。
しかしぼーっとしていても誰がやってくれるという訳じゃないので、もくもくと作業を続ける。冷めたおかずは一回分ずつに小分けして、冷凍庫へ。鳥そぼろは皿を傾けて冷まして、しっかり脂を切るのも大事だ。同時進行でお湯を沸かして、夕飯の吸い物を作る事にした。具は豆腐とわかめ。どう見ても味噌汁の具の方がいいんじゃないか、なんて野暮な突っ込みはノーセンキュー。後は食べる時に温めればいいだけである。これで一品、夕飯のおかずは出来上がった。
「・・・・と、掃除もしないとな。」
独り言が多くなった、と言い出したのは恵だったか。そもそも恵はかなり思考が口から漏れていたような気もするが、成る程、一人暮らしをしていると独り言は増えるようだ。台所を片付けると、掃除機を持って来る。掃除機は響くから、早くかけ上げた方が集合住宅的にはよろしいだろう。そういえば掃除は上からやるものと何かで言っていたな。思い出して小型モップでテレビの上などの埃の溜まりがちな所を拭ってから、寝室、廊下、DKと床に掃除機をかけていく。
かけている途中で外が暗くなっている事に気付いて、慌てて洗濯物を取り込んだ。勿論布団も。
ややしっとりしているような気がして、ちょっと落ち込んだ。
取り込んだ洗濯物はベッドの上に置いておき、掃除機を先に終了させて仕舞う。そして一番憂鬱なアイロンがけ・・・・まぁ、大した量でもないのだが。そもそもアイロンが毎回必要な服はあまり選ばない。それが終わったら、順番に閉まっていく。トイレ掃除を思い出したが、これはお風呂に入る直前にやろうと思い、咲は時計を見やる。少し早いが夕飯にするか。
窓からいい匂いがして来たのは、上か下かそれとも階段を挟んだお隣さんか。
夕飯は先程のキノコを温めなおしついでに、ポン酢で味付けをしてみた。ゴマを振って、買ってきたベビーリーフを洗って添える。メインのおかずは、買ってきたものだがお刺身だ。それにご飯と先程作ったお吸い物。食卓に運び、飲み物をいつものように用意してから席に着く。
「いただきます。」
行儀が悪いのは百も承知でテレビをつけた。ニュースもだが、どちらかといえば天気予報のほうが大事だ。色々日常生活に関わってくる比率が高すぎる。天気予報が終われば、いくつかチャンネルを回しながらバラエティなどを見る。一人で見るテレビは、面白いものの方が好ましい。
(豆腐が余ったな・・・・・明日には食べ上げないと)
久しぶりのお刺身は美味しい。カルパッチョなども美味しいが、日常に戻るとこういうのが非常に食べたくなるのは、日本人だろうか。む、この芸人見た事が無い。
そんな事を思いながら夕飯を食べ上げると、お茶を飲みつつ暫くテレビを見る。偶々点けたチャンネルは結構面白かったので、最後まで見てしまった。急いで片付けをして、着替えやタオルを脱衣所に用意して、トイレ掃除を始める。しかしトイレ掃除って何処までやればいいんだろうか。そんな疑問を抱きつつ手早く切り上げて、入浴タイムに移行する。
シャワーよりバスタブに浸かりたい。そうしないと疲れが取れない気がする。
熱めのお湯に身体を沈めると、ふあ、と気を抜いたような声が漏れた。
残念な事に、バスタブがやや狭いのが難点だ。
□■□
食事を終えて入浴を済ませると、その日の疲れが一気に襲い掛かってくる気がするのは気のせいではないだろう。恵と違って長髪の咲の髪は、乾かすのに少し時間がかかる。一度短くしようと思ったが、なんとなく止めた。何だか、それはおしまいな気がする。色々と。
うぃいん、と静かに機械音が響きだす。
乾かしている間に、朝入力した収入、支出のグラフを印刷しておこう。人気メニューや、オーダーをまとめたものもあった方がいい。立ったままパソコンを操作して、咲は再び洗面台に戻ってドライヤーをかけ始める。ある程度かけた後は、先に歯を磨いてしまう。その後、もう一度仕上げに冷風をかける。
「あ、しまった。」
牛乳を飲み上げ忘れた上に、買い忘れた。ち、と軽く舌打ちする。
まぁいい、朝飲んでしまえばいいし、明日昼休みにでも買おうと思えば買える。
「・・・・・・。」
無言で鏡を見つめる。うむ、この眉間に皺を寄せる癖は直さないといけないな。
そう思いながら、咲はバスタオルとタオルを部屋干しにする。
冗談は置いておいて、つまらないミスをしたものだ。これは気付いてないが、自分も大分疲れてきているのかもしれない。
「・・・・・厨房か、客席か・・・・・。」
正直な話をすると、咲が今一番欲しい戦力としてはソムリエだ。
今自分が自己流で勉強した、プロからすれば付け焼刃にしか過ぎない知識ではこの先どうなるかは分からない。客席のサービス諸々を含めて出来る、正式なソムリエが欲しい。だが募集した所で、そう簡単に見つかるようなスタッフでもないだろう。
だとしたら今必要なのは。
咲は深い溜息をついた。
耕の事を考えれば接客を出来る人間を入れた方がいいのだろうが、こればっかりはどうしようもない。スタッフ募集と張り紙して、来た人間があからさまに接客業に不向きな人間だったり、調理場希望という事も考えられる。勿論、逆も然り。
「・・・・・耕は、めんどくさい。」
客席担当を増やすから調理場で仕事をしていい、と言えば喜ぶだろうが、そうなった場合ほぼ確実にやる気とプレッシャーを自分で勝手に背負い込んで、自滅するんじゃないかと咲は心配している。あくまで耕が自分自身に自信を持つのを、何時になるか知らないにしろ、待ってやりたいとも思う。
というか、やる気とプレッシャーで空回りしてドジばかり仕出かす耕を厨房に入れたら、間違いなくまず真っ先に恵が切れる。それは色々な意味でオータムシエル崩壊の危機だ。
はぁああ、ともう一度咲は深く溜息をついた。
とりあえず、話し合おう。
結局の所、それしかないのだ。プリントアウトしたものをまとめて、明日の用意にかかる。荷物は前日から用意をしておき、朝の時間を多く取ろう。カレンダーを見て、予約の確認もする。昼に一組ある分を、朝一で伝えておかないといけない。休み明けはぼんやりするし、仕事も多く、ミスも多い。
全体に注意を払っておかなければならない。
そして枕元の目覚ましをセットしなおし、携帯を充電しておく。
ふと、肩を鳴らすとゴキゴキと音がした。これはだいぶきているな。
電気を消して、ベッドに入る。今日も色々あった。もう休む事にしよう。
「おやすみなさい。」
誰にとも無く呟いた。目を瞑りながら、来週の休みはマッサージにでも行こうと思う。
カップ麺が出来るより5秒早く、規則正しい寝息が聞こえてきた。
オータムシエルの裏番は、驚くほど寝つきが良いようである。