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第四話「過程と結果と精神論」

頑張って報われた人もいれば、頑張ったけど報われなかった人もきっといます。

その人達の違いは一体何なんでしょうね。

だけど、頑張って手に入れたものはいつかきっと、何か何処かで役に立つ。

そう信じて、とまでは言いませんが。

とりあえず、甘いものでもひとつ、いかがですか?

それはランチタイムの、丁度ラストオーダーが終わった頃だった。


「お電話有難う御座います。オータムシエルです。」


電話を取り、いつもより柔らかい口調で咲は受け答える。電話と言えど侮ってはいけない。何背電話は映像が無いのだ。声と言葉で印象がすべて決まってしまう。


『お忙しい所すみません、予約を入れたいのですが』

「はい、何時、何名様でしょうか?」


電話口の相手は壮年の男性のようだった。という事はデートだろうか。オータムシエルで会食などの予約は受けた事が無いし、狭い店内なので仕事などの話をするには向いていない。

咲は電話口に置いてあるノートを広げる。ここ数日はランチの予約は無いし、団体の予約が一組入っている明後日以降ならば、夜は問題ない。今日や明日、と言われれば仕入れの関係上少し面倒ではあるが。


『一週間後の、夜、七時以降をお願いしたいのですが』

「はい、大丈夫です。何名様でしょうか?」

『三人で・・・・・あの、お伺いしたいのですが』

「はい?」


電話口の男性は、少し声を硬くして尋ねる。


『子供もいるのですが・・・・・其方は大丈夫ですか?』

「ああ・・・・と、」


少し言い淀むが、さっと声のトーンを戻す。


「失礼ですが、お幾つ位のお子様でしょうか?」

『今年、高校生になります』


心の中で安堵の溜息を漏らす。

幼児だろうが乳児だろうが来店して下さるならばそれは客だ。丁重に持て成さなければならない。

だがしかし、哀しいかな店の雰囲気と言うものがある。言ってみれば、『暗黙の了解』と言った所か。

大人数のグループ客だろうが、お一人様でのご利用だろうが、それは店側にとって大事な『客』だ。そして『客』は一人ではない。個人を優先させるという事は出来ない。考えてみよう。落ち着いた店内で、幼い子供が大騒ぎしたり駆け回ったりすれば、その雰囲気は壊れる。店の雰囲気を壊されては、やはり他の客にとっては不愉快だろう。

一人でも不愉快を出したら、それはオータムシエルの目指す所ではない。

だが、子供が来る、という事はマイナスではない。其処まで格式ばって踏ん反り返る気も無い。ゆっくり楽しんで行ってくれるならそれに越したことは無い。

とはいえ、店によっては突然の対応は出来ない事もあるので、一度このように事前に店側に尋ねてくれると助かる。場合によっては今回よりも幼い子供でもOKを出してくれるだろう。

と、思考回路がそれかけた所でノートをめくり、ペンを取る。


「大丈夫ですよ。何かお祝い事でしょうか?」

『・・・・・いえ』


一瞬、声が沈んだので咲は少し首を傾げる。

暫くして応答が無いので、お客様、と声をかけると、すみません、と焦ったような声がした。


『・・・・――――お願いが、あるのですが』






□■□


「一週間後の、夜、七時に予約が入った。子供連れの三人家族だそうだ。」

「あれ、子供連れ?」


珍しいな、と耕は呟く。耕としてはもっと幼いお客さんにも来て欲しい所だが、対応しきれない、という咲の意見に尤もだと同意している。その咲が子供連れ、というのに少々違和感を感じた。


「今年の春から高校生らしい。」


ああ、と納得する。それさ、と蜜が横から口を挟む。


「子供連れ、って断り入れるまでも無い年頃じゃね?」

「念の為だろう。事前確認するのはいい事だ。それに」


親から見れば子供はいつまでも子供なんだろう、と言う咲に、そんなもんかね、と蜜は首を傾げた。

それで?と横から恵が顔を出す。


「何か特別メニューとか?」


咲がわざわざ断りを入れてくる時は対外何かある。食の好みだけでなく、最近ではアレルギー等の問題もある人もいる為、そういったお客様への対応も求められてくる。


「察しがいいな。メニューには特に注文が無いが、デザートに特別注文が来ているぞ。」

「え?何?」


恵が身を乗り出す。自分の持ち分野なだけに、その顔は真剣だ。


「三人とも好き嫌いは無いそうだ。後、娘さんは甘いものが好きらしいので、デザートを多めで、出来たら特別なものを用意してやりたい、とのことだ。」

「おお、親の愛だねー。」

「何かお祝い事?それなら、店から何かしらサービスを・・・」


そう耕が言い掛けた所で、ああ、と頷いて咲はそのまま黙る。咲?と呼ぶと、もう一度、ああ、と小さく頷いた。


「娘さんがこの春から高校で寮生活を始めるので、遅れたけどお祝いを。という事らしい。」

「へぇ、一人暮らし。凄いねぇ!」

「まぁ・・・・そうだな。」


素直に褒めたつもりだったが、咲の答えは曖昧だった。先程からどうも普段らしくない物言いに、耕は首を傾げる。尋ねようかと思っている内に、恵が身を乗り出す。


「で?で?デセールは何が好みとか聞いた?聞いたんでしょ?」


咲の事だから根掘り葉掘り!とかなり人聞きの悪い言い方をしているが、咲は気にせずああ、と頷いてノートを開く。


「聞いた話では、ムースや、ババロアみたいなものが好きらしいぞ。」

「ほほう、柔らかい系ね!アイスクリームとかは?」

「生クリームが好きらしいな。聞いた風ではスフレタイプのチーズケーキなんかも好きらしい。」

「そうかー。んー、じゃあアイスじゃない方がいいかな?」


うーんと恵は唸っているが、その実かなり楽しそうだ。


「チーズが好きなら、クレームダンジュもいいかも?ソースはブルーベリー、いやストロベリーと二種、あ!クレームブリュレも捨てがたいよね!サワークリーム入れてさっぱり仕上げ・・・・・いやいや、此処は一味変えてハーブ風味にしてアイスを添えるってのも・・・・・」


ぶつぶつ呟いていると思いきや、終いには迷うー!と心底嬉しそうな雄たけびを上げ始めた。

はいはい、と頷きながら蜜が食べ終えたいつも通りの遅い夕食の皿を提げ始める。


「しっかし、ババロアやムースだと色合いが寂しいよねー。あ、フルーツのムースとかにしようかな。ソースを何種類もかけるのも混ざっちゃうし・・・・・・・・うーん、いっそ一口サイズにして何皿も出すとか?」

「お客さんのテーブルデセールで埋め尽くす気か!?」

「やめてくれ、何枚皿を洗わせる気だよ!!」


蜜と耕から悲鳴が上がった。そっかー、と恵は頷いたが、不満そうだ。


「・・・・・まぁ、何か考えてくれ。」


最後まで何処か歯切れ悪い咲に、うーい、と恵は頷いて立ち上がった。










携帯のバイブレーションの音が静かな部屋に響く。先程帰宅したばかりだが、既に深夜を回っていた。面倒だったが、表示された名前を見ていかにも面倒だという不機嫌な声で電話に出る。


「もしもし」

『うっは!すごい不機嫌な声!』

「早く用件を言え。切るぞ。」


待って待って!と恵は電話の向こうで騒いでいる。仕方ないので咲は再び携帯を耳に当てる。


『あのさー、今日言ってた家族連れ?何かあんの?』

「どうしてそう思った?」


間髪いれずに質問に質問で返す。だが、返ってきたのはあっけらかんとした答えだった。


『だって咲がはっきり言わない時は何かあるかんね。何か隠してたでしょ』

「別に隠している訳じゃない。あの場で言うべきか判断がつかなかっただけだ。」

『いーから』


はぁ、と咲は溜息をつく。一呼吸おいて、眉を寄せて咲は答えた。


「高校の一次志望に落ちて、二次志望の学校に行くらしい。」


電話口の少し向こうが静かになった。


「最初、耕が言ったようにお祝い事かどうか聞いた。そしたらどうにも歯切りが悪いのでな、突っ込んで見たらそういう事だった。」

『・・・ああー』

「親としてはお祝いをしたいらしいぞ。何処であれ、高校に入学したんだ。だが、娘からすれば気にしているんじゃないかと思って、お祝いだと声高には言い難いらしい。」


再び恵は黙った。言い訳がましいが、と区切って咲は続けた。


「伝えるべきかどうかは迷った。突っ込んで聞いた事を後悔もした。あの場で言わなかったのは雑談の流れのように話すのがどうかと思われたからだ。だが、聞いた以上は話しておくべきだったな。」

『うーん、そうだね』

「明日、耕達にも伝える。用件はそれだけか?」

『うん、遅くにごめん』

「こっちこそ悪かった。じゃあ。」


機械音と共に、通話は終了した。

もう一度溜息をついて、咲はその電話を充電器にセットした。



■□■



「すみません、予約を入れた阜網ですが。」

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」


一週間なんて、すぐ過ぎる。そう言ったのは誰だったろう。

丁寧にお辞儀をして咲は、此方へ、と奥のリザーブ席に案内する。

感じのいい三人家族だった。


「コートなどは、宜しければそちらの壁側にあるハンガーもお使い下さい。」

「まぁ珍しい。壁側にハンガーがあるのね。」


オータムシエルの店内は余り広くない。入り口近くの席などは入り口でコートを預かったりもするが、奥まった席では壁の高い場所に貼り付けられてある木目調の薄い木材に、これまた木目調の太目のドアノブのようなものを取り付けて貰った特別仕様に、邪魔にならないようにハンガーを用意している。

因みに此方のデザインと実用性を兼ねたお仕事をして頂きましたのは、竹嶋建築設計事務所です。御住まいの事で何かありましたら是非、其方をご利用下さい。


話がそれた。


背の高い男性と、対照的に奥様であろうそちらは小柄な方だった。娘さんであろう女の子は、若草色のワンピースに編み込みの三つ編みをしている。少し心配していたが、どうやら場違いに騒いだり大声を出すようなタイプではないようだ。ただ、物珍しいのか目を輝かせている。


「凄い、こんな所はじめて!」


興奮にか頬を薄桃に染めて、少女は店内をチラチラと見回している。その姿に微笑ましさを感じながら、耕は水の入ったグラスとメニューを持って席に近付く。


「失礼致します。此方、メニューになります。」

「ありがとう。ほら、好きなものを選びなさい。」


受け取った父親が先に娘にメニューを渡した。開いて、お母さん、一杯あるね、と笑う。


「そうね、沢山あって迷ってしまうわ。」

「前菜と主菜を一品ずつ、そちらに記載されている中よりお好きなものをお選び頂けます。勿論お一人様ずつ違うものを選んで下さって構いませんので、どうぞご遠慮なく。」

「えっと、えっと・・・・・どれが美味しいのかな?」

「どれも美味しいに決まっているだろう。」


ハハハ、と父親が笑うと、そっか。と娘も笑った。すみません、と母親がメニューを指差す。


「この、ビスクって何でしょうか?」

「ビスクは、甲殻類を使ったスープのことです。海老と、玉ねぎ、人参、セロリなどの野菜を炒めて、トマトと生クリームで仕上げています。海老の旨味たっぷりの、濃厚なトマトスープですよ。付け合せは小さめのパルメザンチーズのトーストをご用意しています。バゲットを使った、カリッとした歯ごたえが美味しいです。」

「美味しそう!私それにする!」

「じゃあそれを二つお願いします。貴方は?」

「俺は何か魚系がいいな。」

「でしたら此方の真鯛の洋風刺身は如何でしょうか?刺身サイズにスライスした真鯛を、ニンニク、レモン、マヨネーズ、醤油で作った特製ソースで召し上がって頂きます。」

「面白そうだな、それを貰おう。すまないが、メインも選んで貰っていいかね?」

「はい、どうぞお好みを。」


名の知れた食通や、本職の料理人、もしくは毎日のように来ている常連。そういった人間達ならばメニューを見ただけで大体それがどういう調理法であり、どういう食材であり、どういう料理なのかは想像がつくかもしれないが大半の人間がフランス料理のメニューなどを見たら首を傾げるのではなかろうか。ましてやその店に初めて訪れたならば尚更であろう。

そういった場合は、出来れば、気後れせずに店の人間に尋ねて見て欲しい。折角の食事を、訳も分からず注文した上に好みと合わないものが出てきてがっかりした、なんて事も防げるし、食べた事がないが美味しかった、という場合にもそれがどんな食材でどんな調理法か知っているだけでもまた巡り合えるだろう。迷っていても時間の無駄である。分からない事を尋ねるのは恥ではないので、勇気を出して尋ねてみて欲しい。大抵の場合は笑顔で答えてくれる事だろう。何より、その店のことを一番良く知っているのはその店の人間なのだから。


「メインは肉料理がいいかな。」

「本日お奨めは子羊ですが、如何でしょうか?此方の子羊のもも肉のロティーがお奨めです。」

「羊はクセがあるんじゃないかね?」

「いえ、子羊には大人の羊に有り勝ちな癖も匂いもありません。ただ、普段から食べている方はそれが物足りなく感じてしまうのですが、余り召し上がった事のない方にはお奨めです。」


尋ね方は意外と簡単だ。勇気を出して声をかけてしまえばもう大丈夫。どんな調理法が好きとか、自分の食の好みを伝えればいい。今回のように肉料理、魚で、とだけでもいい。それも難しければその日のお奨めを聞くのもいい判断だ。


「私食べて見たい。でも、ロティーって、何?」

「ロティーはローストの事で、ローストビーフやローストチキンのようにオーブンの中で熱を素材に当ててじっくり火を通す焼き方です。ただ、此方はマリネして柔らかくした子羊肉をフライパンで中心がロゼの状態に仕上げています。分かりやすくいえば、ローストビーフを、子羊を使ってフライパンで仕上げている、といった感じでしょうか。」

「美味そうだな、それを貰おうか。」

「私はお肉よりお魚がいいわ・・・・・何かあるかしら。」

「でしたら此方の、ラングティーヌと帆立のパートフィロ包み焼きは如何ですか?海老と帆立、魚のすり身をパイ包み焼きにしたもので、パセリソースで召し上がって頂きます。」


それも美味しそう!と説明を聞くなり少女が目を輝かせた。おいおい、と父親が困ったように笑う。


「どっちにするんだ?」

「うーうー・・・・食べたことないから、子羊の方!」

「じゃあすみません、メインは子羊を二つと、今言ったパイ包みを。」


かしこまりました、と耕は軽く頷く。


「後、デザートは特別なものをとのご予約ですので、今回はお任せにさせて頂いて宜しいでしょうか?」

「よろしくお願いします。後、軽めの白ワインをグラスで二つ。娘には何かソフトドリンクを。」

「オレンジジュースとグレープルーツ、リンゴの三種類が御座いますが。」

「リンゴジュースください。」

「かしこまりました。すぐにお持ちいたします。」


今度は深く頭を下げて、厨房にオーダーを伝えに行く。


「5番、オーダー入ったよ。海老のビスク2、洋風刺身1、子羊ロティー2、ラングスティーヌのパートフィロ!」

「了解!」

「あ、咲、何か軽めの白ワイングラスでって言われたけど。」

「分かった。持って行こう。」

「一緒にリンゴジュースも頼むよ。」


じゃあ二番にパンを頼む、と言って咲はワインクーラーへ向かう。

オータムシエルにはソムリエはいない。『独学で少し学んだ』という咲に殆ど一任しているが、いずれは、と耕も考えている。だが、残念ながら知り合いにソムリエはいない。というかいたら既に頼んで働いて貰っていると思う。とうかもう一人くらい厨房に欲しい方が先だし。

なんて悩んでいても仕方がないので、取り敢えず耕はフランスパンを切り始めた。取り敢えず今いる三席分を切って、籠に盛る。


「失礼致します、リンゴジュースと、此方、白ワインはポルテル・ブラン・ダグージャをご用意させて頂きました。飲み易く口当たりも良いので、前菜にも合うと思います。」

「ありがとう。」

「ごゆっくりお過ごし下さい。」

「じゃあ、乾杯しよ!」


少し静かになさい、と母親が苦笑いをしながら言った。舌を出しながら、少女は悪戯っぽく笑う。


「失礼します。先にパンを出させて頂きます。」

「こんばんわー、三人ですけど、大丈夫ですか?」

「いらっしゃいませ、大丈夫ですよ。此方へどうぞ。」


女性三名を案内して、メニューと水を取りに戻る。と、既に用意したらしき咲が立っていた。


「持っていく。耕、ちょっと厨房に入ってやれ。」

「大丈夫か?」

「まだ大丈夫だ。予約は後一組で時間は遅い、中優先だ。」


分かった、と頷いてエプロンを着けて厨房に入る。おお、と蜜が顔を上げた。


「中やってても良いって。」

「ああ、じゃあ丁度良いや。海老のビスク温まったら注いで、悪いけどそのまま持って行ってくれ。」

「分かった。」


言われた鍋をかき回すと、いい香りがした。皿を出してオレンジ色のそれを注いでいく。仕上げにセルフィーユを小さく千切ったものを散らし、細長いトーストを添える。使い終わった鍋はすぐさま流しに置いた。これはすぐ後で自分が洗う事になるだろう。目の前では、蜜が特製ソースを皿の上で真鯛の刺身に塗り広げていた。此方の仕上げには葱と大葉である。


「ん、出来上がり。」

「じゃ、持って行くよ。他には何かない?」

「いや、特にないけど。」


そこまで言い終えて、あるとしたら、と蜜は不穏な顔で振り返る。そこでは、温められたキッシュに、鼻歌を歌いながら恵がセロリの葉を添えている。


「・・・・あいつの考えが不安だ。」

「・・・・ごめん、それは俺でもどうしようも出来ない。」

「はーいキッシュ上がり!耕、さっさ運んでよー!」


暇じゃないんだからねー、と言う恵に、はいはい、と不安さを隠せない声で耕は応対した。







■□■


「美味しかった!子羊なんて私初めて!」

「お母さんのパイ包みも美味しかったわ。」

「他のも食べて見たかったな~。」


また来ようね、と少女はニコニコと笑っている。時間を見計らって、失礼します。と咲は声をかけた。


「お皿をお下げしても宜しいでしょうか?」

「はい。」

「この後はデザートと飲み物になりますが、お持ちしても宜しいでしょうか?」

「お願いします。後、飲み物は珈琲を三つ頂けますか。それと、お水も。」

「かしこまりました。少々お待ち下さい。」


笑顔で頭を下げると、咲は皿を持って厨房口に置く。置かれたそれを、耕が受け取る。


「恵、件の客、デセールだそうだが。」

「あいよー!ちょい待ってて、あ、耕こっちの火加減ちょっと見といて!」

「わ、分かった!」


声をかけられて慌てて耕は走る。恵はがちゃがちゃと皿を取り出したり冷蔵庫を開けたりと世話しない。その様子を見ていると、なぁ、と蜜が出来上がった皿を持ってくるついでにか声をかけてきた。


「何だ?」

「・・・・・恵、大丈夫か?」


不安げな蜜の顔を見て、ふーと咲は深い溜息をつく。

そしてゆっくりと口を開く。


「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。気分が沈んでいる時には、悲観的に考えやすい。悲観的に考えると更に落ち込んでしまうが、楽観的に考えると気分は改善する。悲観的か楽観的かは、その人間の「性格」ではなく「考え方の習慣」という事だ。何が言いたいかと言うと、習慣は心がけ続ける事で変える事が出来る。即ち、暗い気分になった時には、気分に流されて悲観的に考えないように心がけ、意図的に楽観的に考えられるようにすべきだという事だ。」


つまり、と咲は頷く。


「どうにかなると思おう。」


たどり着いた先は結構投げやりな精神論だった。

そうこうしている内に、「さー運ぶよー」と恵がやってきた。もう間に合わない。

蜜はそこはかとない不安と共に、二人の背を見送った。考え方の習慣が数分で変わるわけがないだろと思いながら。






「デザートは、当店のパティシエールが腕によりをかけました特別製になります。」

「え、すごぉい!」


笑顔でそう言った咲に、少女は瞳を輝かせて笑う。次の瞬間、恵がその大きな皿から、一つ、小鉢をテーブルに置いた。小さい白い小鉢に、これまた真っ白な何かが入っている。


「本日の特製デセールです!まずは此方、白ゴマのババロアです!」


コトン、と次が置かれる。


「こちら、ホワイトチョコムースです!」


コトン。


「こっちは、ブラン・マンジェです!」


え、と両親が顔を上げる。


「これが、パンナコッタです!」

「あ、あのちょっと待って下さい。」

「はい?」


恵が首を傾げる。


「え、これが」

「あ、はい!後、こっちの特製クレームダンジュと、ミルクプリン、後から焼きたてでスフレ・ランベルセを御持ちしますね!」


真っ白だ。真っ白だった。白い陶器の器に入った、真っ白なスイーツがこれまた真っ白なテーブルクロスの上に何種類も鎮座している。確かに美味しそうだが、何というか。


「まっしろ・・・・」


少女が呆気に取られたように呟いた。好意的に見ればそうだが、別の見方をすれば何とも華がない。

ソースも何もない。真っ白なのだ。

呆然としている家族の前で、咲は微笑んでいた。まぁ耕と蜜から見れば微笑みを貼り付けただけになっているのだが。その横で、恵は意気揚々と喋りだす。


「ムースとか生クリームがお好きだと聞いたので腕によりをかけました!」


ニコニコと笑う恵に、お、美味しそうね、あ、ああ、と両親が笑い返す。

だいぶ引きつった笑みだが。

しかしそれも意に介せず、恵は続けた。


「えっとですねー、ババロアは、泡立てた生クリームと、炒った白ゴマ、牛乳を合わせた後温めて、ゼラチンで固めてあります。ホワイトチョコムースは、卵黄、グラニュー糖を白くなるまで泡立て、沸騰した牛乳を混ぜます。其処にホワイトチョコをとゼラチンを混ぜて、冷まして泡立てた生クリームとメレンゲを加えて冷蔵庫で冷やします。ムースって言うのは、フランス語で気泡の意味です。」

「・・・・・あ、ババロアの方がちょっと固い?感じ。」

「そうですね、ババロアと違ってムースはメレンゲ主体ですから、ゼラチンも少ない分食感が違います。」


こちらは、と恵は指差す。

どれもこれも真っ白なので、説明されなければもうどれがどれかは分からない。


「ブラン・マンジェですね、フランス語で白い食べ物という意味です。砂糖、生クリームにアーモンドミルクを加えて作りますが、今回は牛乳にアーモンド風味をつけたものを使いました。ゼラチンで固めるのは一緒ですが、ババロアとかのように生クリームは泡立てません。パンナコッタは生クリームと牛乳を煮立てて、ゼラチンで固めます。元々イタリア菓子で、煮立てたクリームって意味があるスイーツですね。どうぞ。」

「あら、美味しい。初めて食べたけど何だか、杏仁豆腐みたいね。」

「そうですね、アーモンドでなく杏仁で風味をつければ杏仁豆腐です。」

「こっちの方は・・・・?ヨーグルト?」

「そちらはクレームダンジュですね。フロマージュブラン、クリームチーズとメレンゲ、生クリームを泡立てたものを混ぜて、ガーゼを引いて冷蔵庫で冷やしながら水切りをします。ミルクプリンはもうそのままですね、牛乳に甘みとバニラ風味をつけ、ゼラチンで固めました。」

「・・・・・全部、同じなんですか?」


少女が顔を上げた。いいえ、と恵が首を振る。


「少しずつ材料と、工程が違いますね。それが食感や味の違いになります。」

「やっぱり、ちょっとでも違うと、別のものになるんですね。」

「そうですねぇ。でも、」




美味しいでしょ?と恵は笑った。




「・・・ああ・・・・・」


カチャリと持っていたスプーンが置かれる。それにも構わず、恵は笑顔で続けた。


「味も違うし、名前も違うから私達パティシエールはどれがどれでもいーや、なんて言えませんけど。結局はどれもこれも美味しいでいいと思うんですよ。最終的に選ぶのは、その人個人の好みの問題になると思います。これだけ似ているのに、ブラン・マンジェは滑らかで柔らかいから好きだけど、パンナコッタは固くて嫌い、って人もいますよ。」

「・・・・・・・・。」


もう一度スプーンを持って、少女は目の前のそれを、一匙すくって口に運ぶ。

そして、美味しい、と笑った。


「ねぇ、お母さんはどれが好き?」

「え?ええ、お母さんはブラン・マンジェが美味しかったかしら・・・・・?」

「そっか。お父さんは?」

「うーん・・・・お父さんは甘いものは苦手だけど・・・・ああ、でもこのババロアは美味しかったな。」

「そう、私は、ムースが一番美味しかった。ちょっと、ババロアはぷちぷちしてるのが違和感?みたいな感じかな?」


これ、と咎めるように父親が顔を顰める。けれど、そっかぁ、と恵が笑った。


「ペースト状にして入れた方がお口にあったかもしれないですね!」

「うん、お姉さん、もう一つのはどんなの?」


もう焼けると思います、と恵は笑い返す。


「スフレ・ランベルセね!簡単に言うと、カスタードをメレンゲを混ぜて焼いたものを、ひっくり返してお皿に盛り付けるの!ランベルセってのは、逆さまのって意味のフランス語なんだ!それをカラメルソースで食べるんだよ!」

「美味しそう!」

「待ってて!今持ってくる!あ、てゆーかソースとか蜂蜜とか持ってくるね!」


笑顔で厨房に駆け込んでいく恵を見ながら、そういうものは説明する前に持ってこいと咲は笑顔のまま青筋を立てた。あのね、と少女が口を開く。


「ごめんね、試験、落ちちゃって。」

「お前、」

「折角頑張って、お父さんもお母さんも応援してくれたのに、第一志望、落ちちゃった。そう思うと、折角受かった二次志望だけど、このままでいいのかなって思ってた。凄く憂鬱で、まだ、本当は一緒の部屋になった子と挨拶しかしてないの。」


でもね。


「大丈夫なんだね、きっと。少し違っても、結果が違っても、美味しいもんね。頑張ってちゃんとすれば、きっと何とかなるんだね。」


頑張るね、と、少女は笑った。そっと父親はその頭を撫でて、母親はテーブルに乗せられた手を握る。


「おまちどー!」


大変やかましい。咲はそう思った。ここはレストランであってラーメン屋ではない。


「こっちがさっき言ってたスフレ・ランベルセね!んでこっち白くないけど、チョコレートボネだよ!」


お嬢ちゃんにサービスね!と恵は笑っている。成る程、良く分からないが白いスイーツに拘っていたようだ。言いたい事はわかったし伝わったが、かなり荒っぽい手法ではないだろうか。これでいつもは細やかな細工と盛り付けの数々を生み出しているとはとても信じてもらえないんじゃなかろうか。


「わぁ、これ何?チョコムース・・・・・チョコレートのプティング?」


まだ焼き立てらしきそれを一口すくい、少女は首を傾げる。ちっちっち、と恵は何ともわざとらしく指を立てて振る。


「ちょっと違うんだなー。イタリアのお菓子でね、マカロンを使ってんの!」

「マカロン?」

「そう!カリカリにして砕いたマカロンに卵を混ぜて、牛乳と生クリームとココアと砂糖をひと煮立ちさせたものを加えてリキュールを加えてオーブンで湯煎焼きしました!これね、焼きすぎたとか失敗したマカロンとかでも簡単に出来るからおすすめだよ!」

「凄い!作ってみたい!」

「あ、作る?レシピ書こうか?」

「恵」


今にもテーブルに手を着いて話し出しそうな恵に、低い声で咲が声をかける。ん?と恵は振り返った。


「他のお客様のデセールが止まる。いい加減戻れ。耕と蜜じゃどうにもならん。」

「あ、そっか!じゃ、後でね!ごゆっくり!」


手を振りながら恵は厨房に戻っていく。性根は悪くない事は重々承知しているが、あの何処か軽い性格はどうにかならんものか。


「楽しくて素敵なパティシエさんね。」

「騒がしくて申し訳ありません。」

「いやいや、とても感謝しているよ。」


父親も母親も笑っているのが今現在の咲にとって何よりの救いだった。

まだお若いようだけど、と問いかけられて、はい、と頷く。


「一応、あれでフランスに二年、イタリアに半年、ウィーンにも三か月ほど滞在しておりました。」

「まぁ!凄い方なのね!」

「そして実家は代々和菓子屋をやっております。」


ええ!と今度は三人とも声を上げた。驚くのも無理はない。

自分でも何を言っているのかわからないと咲は思う。


「色々ありまして、パティシエールになる為に家を飛び出したとか、そんな所です。」

「ふぇ・・・・・お姉さん、凄いんだね。」

「まぁ中身も結構なイノセント娘ですので。御参考にはなさらない方が宜しいかと。」


参考に出来るのかどうかは知らないが。

そっかぁ、と丸い目で少女は厨房を見つめている。


「お楽しみ頂けたでしょうか?」

「勿論だ。仕事先の方に聞いたんだが、此処にして良かったよ。」

「本当。前菜からデザートまでとても素晴らしかったわ。」


貴方、また来ましょうね、と母親が笑うと、まぁその内にな、と父親は笑って返す。

にっこりと笑って、咲は頭を下げる。


「お待ちしております。いつでもどうぞ。」

「ねぇねぇ、お姉さん。」


ふと、目の前の真っ白なデザートに運ばれてきたソースやらをかけて楽しんでいた少女が笑いかけた。一緒に持ってきた小皿にとって、色々な味の違いを楽しんでいるようだ。何だかんだ言いながら、恵が最初に言っていた通りの展開になったような気がするが、咲はそれを顔に出さずに答える。


「何でしょうか?」

「このデザートの盛り合わせ?だけどね、」


また一すくい、今度は蜂蜜をかけて少女は口に運ぶ。

そしてとっても美味しいけど、と笑って








「ホワイトデーにやったら良かったのにね!」







と、悪戯っぽく笑った。

一瞬呆気に取られた後、来年はそうします、と咲は微笑み返した。





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