岡武志1
灰色の空から降りゆく大粒の涙で、紫陽花の花が揺れていた。いつの間にか、グラウンド一面に巨大な溜池が姿を現している。教室の窓ガラスは湿気で白く曇り、蒸し暑い日が続いていた。
僕は雨が嫌いだ。
まるで自分自身を見ているようだから。僕の心のように、このまま暗黒に染まってしまうんじゃないか、二度と日の目をみることが出来なくなるんじゃないかと、不安に駆られては、いつも肩を竦めていた。
だけど、いつか雨は止む。必ず止む。白と黒、光と影、対極のものが存在するように。
その本質が、僕にもようやく理解出来つつあった。だから、憂鬱になっていた自分が、今、教室から眺める雨模様を見ても、特に気分を落ち込ませるようなことはなかった。
僕は雨が嫌い、だった。
「おはようございます、北山君」
「おはよう、南さん」
何気なく交わす朝の挨拶。南さんは今日も変わらない笑顔で接してくれる。僕の友達。
最初は、初体験ばかりで戸惑っていたけど、今は自然と言葉をかけられるようになっていた。ちゃんと相手の目を見て話すことも出来る。それでも南さんを長時間見つめているなんてことは、逆立ちしても無理な話だけど。でも、まともに挨拶すら出来なかった臆病な自分とは、もう決別宣言したんだ。
「今日こそは屋上でお昼を、と思ったんだけど、この雨だと無理っぽいね」
「そうですね。残念です」
カバンを机の横に掛け、南さんは眉をひそめながら言った。すぐにホームルーム開始のチャイムが鳴る。
ほんの少しだけど、分かったことがある。まず、彼女はいつも遅刻ギリギリで教室に入ってくるということ。それも時間を測ったかのように。しかし、慌てて教室に入って来たことは一度もなく、取り囲む男子生徒たちに「おはようございます」と眩しい笑顔を放ち、優雅に登校して来るんだ。朝早く来て南さんと話したいと思っていても、やってきた直後にチャイムが鳴るため、一言、ふた言会話を交わしただけで、このようにホームルームに突入してしまう。
そして二つ目。僕が側にいるとき以外、南さんの周りには男子生徒が取り囲んでいるということ。いつもたくさんの男子生徒に囲まれて、笑顔を振舞っているその光景を目の当たりにすると少し胸が痛くなるけど、彼女は彼女なりに友達を一人でも多く作ろうと、努力しているのかもしれない。見知らぬ土地で一人になるのは、誰だって心細いものだ。気持ちはわかる。でも僕としては、南さんが未だに女子生徒と上手くいってない事の方が余程心配だ。いい加減、恨みの篭った目で南さんを凝視するのはやめてほしい。
そして最後。ファッションとかに疎い僕から見ても、南さんはとっても『お洒落』だということ。何処から仕入れたのか全く不明の、デザイン重視の文房具。毎日色鮮やかに柄が変わる左手首のリボン。シンプルで綺麗にまとまった携帯アクセサリー。どのパーツも光輝いていて、尚且つ、南さんの美しさに一花も、二花も添えるブースターとなっていた。普段はどんなものを着ているんだろうと、つい彼女の私服姿を想像してしまう。
まぁ、南さんについて分かったのはこのぐらいだ。彼女と友達になったあの日から、あまり時が経っていないので当然かもしれない。加えてこの雨。屋上で昼食を摂る機会も減り、相手のプライベートまで突っ込んで聞く時間も、勇気もなかった。
それでも僕は現状に満足していた。一人で過ごす日々を送っていた僕に、友達が出来るという奇跡が起きたんだ。輝く未来に変わったんだ。これ以上の贅沢など考えられない。
窓ガラスに張り付いて、追いかけっこをしている雫を見つめる。哀愁が漂う風景も、今は穏やかな気持ちで眺めることができる。これから友達と何をしよう、どんなことを話そうと想像するだけで、口元が上向きになってくる。
「あああああっ! キタアアアアアアアアッ!」
すぐ手前で誰かが叫ぶ声がした。
そこには、僕が憧れている男子生徒が机の前に立っていた。どうして目の前で喚いているのか理解できず、僕は鳩が豆鉄砲でも食らったような目を向けた。
短髪のツンツン頭に、こんがり焼けた健康的な肌。下がり気味の目尻が特徴的で、時化た面の岡武志がそこに立っていた。歯を食いしばりながら悔しそうに、そして少し怒っても見て取れる表情で僕を見つめている。
「くそっ、俺としたことが、あまりの驚きでシャッターチャンスを逃してしまったぜ。き、北山! 今の表情、もう一回やってくれ!」
岡武志はレンズに目を通しながら、照準を僕に合わす。
「お、岡君。今の表情って?」
「とぼけなくてもいーじゃん! 今、北山、窓の外を見ながらにこぉぉぉぉって、笑ったでしょ? あれよ、あれ!」
笑った? この僕が?
それよりも、今はまだホームルームのはずじゃ……
目を泳がすようにしてクラスの様子を伺う。僕が物思いに耽っている間に、いつの間にかホームルームは終了していたようだ。岡武志の叫び声に反応して、クラスのみんなが僕のほうを見ている。
「ちょ、ちょっと岡君。み、みんな見てるよ」
「ん? 気にすんなって。あ、そうか。みんなが見てると照れるのか。んじゃ、ちょっと人目の付かない場所にでも行こうかね」
「え、ええええっ?」
岡武志にがっちりと腕を捕まえられ、僕の身体を引っ張りながら教室を出て行こうとする。小柄な彼のどこに力が蓄えられているのか、衣服越しに肌に赤い手の跡が残りそうなほどの、凄まじい握力だ。僕は彼の手を振りほどくことが出来ず、成すがままの格好で廊下に引きずられて行った。
どうしてこうなったんだ?
お互い何の接点もなかったのに、いきなり叫ばれて僕の笑った写真を撮らせてくれとせがんで来るし、僕の質問にも答えずに強引に連れだそうとするし、何を考えているのかさっぱりだ。
いや、そもそも彼は、僕が怖くないのか? 今のクラス編成になって二ヶ月が経とうとしている。それまで僕は南さん以外、誰からも声をかけられることはなかった。なのに今日に限って話しかけられる。これはなんだ? 何かの罰ゲームなのか?
様々な思考が脳みそをグルグルと駆け巡っていた。
ヤクザの一味として噂され、恐れられている僕。校内の癌細胞でしかない僕が、岡武志に引きずられて行く姿を見て、すれ違う生徒たちはさぞ驚いていることだろう。でも僕はそれに対して何も感じていなかった。時化た面で笑いながら、通行人を蹴散らしていく岡武志の本心だけを探ろうと、僕は神経を研ぎ澄ませていたのだった。
教室での撮影会はお断りいたします。(キリッ




