南真白5
購買を後にした僕たちは、南さんの希望で、新校舎の屋上へと向かった。まだペンキの匂いが強く残る鉄扉を開けると、優しい光が差し込んできた。僕は光を遮るように右腕を掲げ、目を細めた。
旧校舎とは違い、新校舎には屋上の出入りを許可されていた。昼休みになれば、青空の下で食事を楽しもうと、たくさんの生徒たちが押し寄せてくる。二メートルほどある落下防止用のフェンスが、一望できる眺めを損ねてこそいるけど、それ以外は噴水や花壇、テーブルやベンチなど、くつろぎの設備が一通り整っていた。
南さんは、中央に位置する噴水の端に腰をおろした。隣に座ってもいいのか少し悩んだ後、僕は「ごめんなさい」と、周囲に謝るようにして、側へ座った。
一人になりたかった昼休み。いつもなら校舎裏でパンをかじっていたはずだ。それが今は、校舎内で最も人が集まる場所のど真ん中で、まだ名前しか知らない美少女とツーショット。生徒たちの注目の的となっていた。もちろん邪念も感じるが、皆が僕を羨ましがっていることは確かだ。なぜか妙に心地よい。
そうか。これが優越感というものか。
僕は初めて味わう感情に浸りそうになったけど、思い立ったように首を振った。
何を勘違いしているんだ。今僕がこうしていられるのは、全て南さんのおかげじゃないか。僕という人物が、皆に認められたわけじゃない。僕は何も変わってなんかいない。身体は未だに硬直状態。普通の会話すらうまくいかずに、言葉を詰まらせている。
せっかく南さんが、僕なんかに声をかけてくれているんだ。僕もいい加減前に進まなくてはいけない。彼女に対してあまりにも失礼じゃないか。何か一つでもいい。せめて自分から話題を作らないと……
「あれ? 食べないのですか?」
考え込んでいた僕の手が止まっているのに気づき、南さんは顔を覗き込むようにして言った。突然現れた彼女のアップ画像に、ぴくりと肩が跳ねた。
「とっても、おいしいですよ?」
南さんは、持っていたメロンパンを一欠片程ちぎって口に入れた。「んー」と、幸せそうな声をあげ、また笑顔になる。その笑顔は、何度僕の心を乱せば気が済むのだろう。
僕の腕に力が入る。意を決し、ついに最初からずっと疑問に思っていた事を、質問してみることにした。
「南さん!」
「どうしました? 北山君」
「ど、どうして南さんは、僕なんかに、は、話かけたの?」
質問としてはおかしな内容だ。緊張のあまり、声が裏返ってしまった。でも、南さんは笑顔を崩さず、すぐに返答した。
「北山君が、クラスの中で一番、優しい人に見えたからです」
「え? 優しい? この僕、が?」
「はい! とっても! 私って、人を見る眼だけは、自分でも自信をもっているのです。教室で北山君を一目見た時から、この人なら大丈夫と、そう思いました」
南さんは、持っていたメロンパンを膝の上に置いた。
「そしてやっぱり、間違っていませんでした。北山君は私の思ったとおりの、とっても優しい人でした」
「…………」
僕の顔はきっと夕焼けのように真っ赤に染まったことだろう。恥ずかしすぎて彼女の顔をまともに見ることが出来ない。
僕みたいな人間を、全世界が敵だと思っている人間を、彼女は優しい人だと言った。それは、自分は『人間』だと認められたような気がしたからだ。他人に褒められることが、とろけそうなほど胸を熱くさせるなんて。
「でも、何故でしょう? 学校の人達は、北山君のことを避けていますよね?」
「う、ん……そうなんだ」
やはり、南さんは理解できてないようだった。
「え? 何かあったのですか?」
「そ、そうじゃないんだ。ぼ、僕の顔を……み、みんな僕を、ヤクザだと思って恐れているから」
「まぁ! ひどい!」
南さんは両手を口に当てた。
「とても優しい顔をしていますのに……」
「…………」
いや、それは嘘だ。
「なら、これまでずっと一人だったのですか?」
「うん……話しかけようにも、み、みんな逃げて行っちゃうからね」
「そんな……」
声のトーンが下がったのが分かり、俯いていた目線を南さんへと向ける。彼女は、まるで自分のことのように、悲しい表情を浮かべていた。
嬉しさがこみ上げてくる。他の人とは少し違う感受性を持っているようだけど、僕にとってはさして気にならなかった。彼女が変わり者だったおかげで、僕は何もかも満たされつつあるんだ。
更に。
南さんは突然立ち上がって、『水素爆弾』を投下させた。
「あのっ! 私で良ければ、お友達になってもらえますか?」
「え?」
なんだ、なんだ? この僕と友達になってほしい、だって?
「嫌……ですか?」
咄嗟に首を左右に振った。僕にとっては願ったり叶ったりだ。でも、そんな捨てられた子猫のような瞳で見つめられたら、振る首にも余計に力がかかってしまう。
「そ、そんなことないよっ! 全然!」
「ほ、本当ですか? よかったぁ」
「でも、僕なんかで、いいの?」
「北山君だから友達になりたいのですっ!」
「あ、あ、ありがとう……」
生まれてこの方、飼っている熱帯魚だけが友達だった僕に、天使の友達が出来る日がやって来ようとは。どうしても信じることができなかった。僕は彼女に気づかれないよう、力一杯指で自分の太腿をつねってみる。すぐに痛みが走り、これはやっぱり現実だということを思い知った。
自然とこぼれ落ちてくる涙。でもそれは、決して痛みで流したものじゃない。人前で涙を見せるほど、僕は歓喜に震い立っていた。もう一生分の幸せを使い切った、今すぐに地球が滅亡してしまっても構わないと、そう思っていた。
「えへへ。私にとっても、初めてのお友達です。これからよろしくお願いしますね」
少し変わった天使だけど、僕に向けられた完璧な笑顔こそが、内に巣食う魔物を引き剥がそうとしているのだった。
二章終わりです。
いやぁ~、友達って、ほんっとうにイイものですねぇ~(水野晴郎風)




