南真白4
二階の東側に位置する教室から購買までは、一度階段を降りて西門を通り、新校舎へ行かなくてはならない。その間、同学年の教室の前を通過することになる。廊下は、たくさんの野次馬たちで埋め尽くされていた。
その中央部を今、僕と南さんは歩いていた。興味津々の眼差しを向けるものもいれば、今にも襲いかかって来そうな奴らの殺気も伝わってきている。
だけど、僕はこれらの視線に怯える『余裕』などない。僕に不釣合い過ぎる美少女が、こうして肩を並べて歩いているのだから。一歩足を踏み出す度に、自分の心音が風船爆弾のように大きく膨らんでゆく。こんな状態で、購買までの長い道のりを歩かなくてはいけないと思うと、途中で気絶してしまいそうだった。
南さんは、そんな僕の気持ちとはお構いなしに、ぴたりと側を歩いている。足取りは実に軽やかだ。鼻歌でも歌っているのだろうか。時折、優しい音色が僕の耳を擽っていく。
僕の喉元がごくりと音を鳴らした。
どうしよう。一体何を話せばいいか、わからない……
友達すらいない僕が、自分から話題を作るなんて出来るはずもない。それも、誰もが目を奪われてしまうような美少女を相手になんて。生まれたての赤ん坊に、早口言葉で喋れと強制しているようなものじゃないか。対話の経験に乏しい僕には、ハードルがあまりにも高すぎる。
どうしよう。
何を話したらいい?
どうしよう……
必死で無い知識を搾り出そうとする。だけど、やはりからっぽの引き出しからは、話題となるものなんて、これっぽっちも出てこなかった。脳みそが熱を帯びて、頭上で白い蒸気を発しているようだ。
そのまま何も会話が成立しないまま、購買の前までたどり着く。
「こ、ここだよ」
思い立ったように口を開く。これが今の僕ができる、精一杯の言葉だった。
「わあ、すごい人ですね」
南さんは口元に手を当て、目を丸くした。
それもそのはず。昼の購買は、数少ない人気のメロンパンを真っ先に買おうとする生徒たちが奪い合いをする、戦いの舞台だからだ。男女問わず、今日も取っ組み合いの喧嘩が、所々で起こっていた。
僕も久々に購買へ来たのだけど、この光景はいつ見ても、足元がすくんでしまう。
「どうしましょう……」
両手を胸に当てた南さんは、そう呟いた。
なんとか南さんの力になりと思った。が、ひ弱な僕ではどうすることもできない。
何か良い案はないのだろうか?
打開策を考えていると、前にいた女生徒の後頭部が、僕のみぞおちめがけて勢いよくぶつかってきた。
「いったーい!」
女生徒は、への字に口を曲げ、僕のほうを睨みつけた。と思ったら、その表情はみるみるうちに絶望へと早変わりしていく。
「げ! き、北山さん!」
僕の胸がちくりと痛む。
「だ、大丈夫だから、気にし――」
「うわああああん。ごめんなさいいいっ!」
ちょっと? え? うそ。
女生徒はその場にしゃがみ込み、泣き崩れたのだ。他の生徒たちがぶつけ合っていた罵声が、囁きに変わっていった。
「やべぇ、北山じゃん。女泣かしてんぞ……」
「こ、怖ぇ!」
「早く道を開ないと、お、俺たちもやられるっ!」
僕に聞こえないように話しているつもりなのだろうけど、全部まる聞こえだ。すぐに一人、また一人と横に逸れていき、あっという間にレジまで伸びる道が出来てしまった。僕は地獄を取り締まる、恐怖の大王か?
「どうしました? 北山君」
不安そうな表情で、南さんは尋ねてきた。
「い、いや、なんでも、ないよ……」
僕は喉の奥から声を搾り出すようにして答えた。
本当は全然、大丈夫なんかじゃない。今にも泣き崩れてしまいそうだった。隣に南さんがいなかったのなら、僕は自分自身に耐えることができず、心は壊れていただろう。
何気なく声をかけてくれた南さんの存在だけが、正常な僕の心をつなぎ止めてくれている。だけど、少しでも気を抜けは、悍ましいほどの黒い感情を抑えることは出来ない……
僕は右手の拳を握り、耐えていた。
その時、南さんがぽつりと言った。
「でも、どうして泣いてしまったのでしょうね? よほど打ったところが痛かったのでしょうか?」
「え?」
見当外れの台詞に、僕の口は間抜けに開いた。今の女生徒、明らかに僕に恐怖して泣いたじゃないか。それを、南さんは全く理解できていない?
本当に?
そのまま南さんは質問を続けた。
「それよりも北山君。これって、私たちに道を譲ってくれているのでしょうか?」
そう言って、ちょん、と進行方向を指差した。二度の意表を突かれた僕は、呆気に取られてしまい、無意識に頷いた。
南さんはにっこりと笑い、人だかりの間を上機嫌でレジへと歩いていく。生徒たちの視線が集中する中を、彼女は何食わぬ顔でメロンパンを二つと、チョココルネを手に取った。
「おいくらですか?」
「あいよ、三百七十円ねぇ」
「はい」
おばちゃんと呑気な会話を交わし、笑顔で戻ってくる。周りのギスギスした空気に変化はないのだけど、彼女の周辺だけは、完全に異次元だった。
手に持っていたメロンパンを、僕の前へすっと差し出す。
「はい、これ。北山君の分です」
「え、ええっ? た、頼んでないけど……」
「購買へ案内してもらったお礼です」
「あ……そ、そう。あり、がとう……」
メロンパンの袋の端を、つまむようにして受け取った。
普通の人とは着眼点が少しズレている――これが属に言う、天然系というものなのか?
僕は首を傾けた。
でも……僕の目には、南さんは天然、と言うよりも、わざと天然キャラを演じているように見えたんだ。長年、他人の様子を伺いながら、自分の身の振りを考えていたからかもしれないけど、どうも一言で天然キャラと片付けてしまうには、納得がいかなかった。
あくまで僕の第六感がそう感じているだけで、確信には程遠いものなんだけど。
「あの……もう一つ、よろしいでしょうか?」
「な、なに?」
僕は震える声で聞き直した。
――二度あることは三度ある――
予期せぬ発言に、血圧は再び急上昇を始める。
僕がこの緊張感から開放されるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
「もしよろしかったら、一緒にお昼、どうですか?」
エアコン壊れて凍え死にそうです。
ノートパソコン買って布団の中でタイピングしたいです。
ついでに電気式毛布も……




