朝野露子4
「そういえば、あなたのお名前を聞いてませんでしたね」
「はいっ。三年A組、真白チャン大好きな、あさのつゆこだよぉ!」
朝野は抱きついてくるかのように密着し、私の隣に座った。この女には警戒心というものが無いのだろうか。そう心で呟きながら、向けられた笑顔をオウム返しにする。
そして少し間を空けて、私の隣に北山が座る。初めてのシチュエーションに戸惑っている様子が見て取れる。明らかに目が泳いでいるし、パン袋に忍ばせる手が小刻みに震えていた。
岡武志は朝野の隣に座るのか、と思っていたが、私たち三人の前にあぐらを掻いて、すでに開封したパンをかじりながらカメラのレンズを向けていた。
「あら? 岡君はこちら側に隣に座らないんです?」
「みんな並んだ横顔撮っても面白くないじゃん? それに……」
「オカヤンは、あたしの隣には座らせないよぅ!」
「……そう言ってる人もいるのでー」
「あら? どうしてです?」
「だってぇ、横からだと耳の中撮られちゃうんだよぉ? すっごく恥ずかしいよぅ。真白チャンはイヤじゃないの?」
「え? ええ。私は気にしていませんよ」
「真白チャン、すごーい!」
いや、そんな内部まで普通カメラには映らないと思うのだけど……
薄々気づいてはいたが、この女、真の天然系だ。私が知り得ている天然のデータを全て凌駕している。ただ演じている私とは思考の伝達スピードが違いすぎるため、気を抜くと一気に崩されてしまう。
私の額にうっすらと汗が滲み出す。この女と深く関わっては駄目だと本能が訴えている。が、ここは引いてはならない重要な場面。私にも天然を演じるプライドというのがあるわけだ。築き上げた地位を簡単には崩させない!
今より、真天然と偽天然の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
「それじゃあ、ご飯タイムぅ! 真白チャンはどんなお弁当?」
「私はですね……これです」
鞄の中から用意していたある物を取り出した。
「くるみ入りメロンパンです」
それは見るからにメロンパンとは言えない代物だった。くるみ入りの、くるみを形をしたパン。メロンパン特有のビスケットもかかっていない。そう、これはれっきとしたくるみパンなのだ。
「この学校に来てからメロンパンのおいしさに惹かれまして……毎日いろんなメロンパンを試しているんですよ」
備考を付け加えながら両手でくるみパンを手に取り、笑顔を振り撒いた。よし、完璧な演技だ。
あとは誰でもいいので「それはもうメロンパンじゃなくって、くるみパンでしょ」と、違いをつっ込んでくれるのを待つ。
しかし――そんな私の考えなど、一般思考を持ち合わせていないこいつらには通用しなかった。
「へぇー、そんなメロンパンあるんだねぇ。おいしそうぅ」
「くるみもメロンも一度で両方楽しめていいねえ!」
「そんなメロンパンあるの知らなかったよ」
「よーし、じゃあ、あたしもお弁当を披露~! 今日は自分で作ってきたんだぁ」
「マジか? ツユッチ料理なんて出来たきたのかよ」
「オカヤン、あたしを馬鹿にしてる~! あたしトロいけど、人並みに料理ぐらいはできるよぉ」
「せ、先輩の手作りのお弁当……」
え? スルー? ねぇ、くるみはスルーなの?
注目の的はすでに朝野に移っていた。彼女はヒヨコの布に包まれた弁当箱を取り出し、中を開く。
「じゃーん、これですぅ」
そこには、大きめの三角おにぎりが三つ入っていた。他のおかずは……ない。おにぎりオンリーだ。しかもご丁寧におにぎり一つずつラップで包んであり、中はかなりの隙間が開いている。弁当箱に入れてくる意味がまるでない。
カタチある器というものは、それ相応の正しい使い方をするべきなのだ。私の信念に大きく外れた行為は、鋼鉄の精神を揺さぶるのには十分な破壊力を持っていた。
「おおぉ、旨そうな握り飯じゃん!」
「オカヤンにはあげないよっ。でもやっぱり、お昼休みにはおにぎりに限るよぉ」
「な、中の具は何が入っているのですか?」
声を押し殺すようにあえてつっ込み所をスルーすると、朝野のおにぎりを指差して言った。
「タコさんっ!」
「え?」
今、なんて言ったの?
「タコさんが入ってるよぉ。こっちがカニさんで、こっちがカツオさん」
「こりゃまた海の幸のオンパレードだな」
「だってぇ、好きなんだもん。全部」
またもや理解不能な言葉が飛び出してきた。すでに白煙があがっている脳みそを無理やり回転させ、少しでも朝野の思考を探ろうと試みる。
この三つの中で唯一あり得るのがカツオだろう。でも普通かつお節とかの具材は『おかか』と言うが、これは朝野が間違って覚えている可能性が高い。そしてカニ。最近では高級おにぎりとかでコンビニでも売っているから、一般の家庭で作るということもあるかもしれない。
だが、さすがにタコは……ない!
「オカヤンは駄目だけどぉ、黒チャンならいいよぉ。コンタクトを見つけてくれたお礼っ!」
「く、黒チャンって、ぼ、僕の事? ほ、本当にいいんですか?」
「うん、もちろんっ! どれでもいいよ~」
「じゃ、じゃあこれを、いただきます……」
そして北山が手に取ったのは、タコ入りおにぎりだった。それが気になるのは私も一緒だが、自分が食べるとなるともっとマシな具材を選ぶだろうに。もしかしたらゲテモノ食いなのだろうか。
北山はしばらく貰ったおにぎりを見つめていると、ラップを剥ぎ取り、嬉しそうにかじりついた。
「ま、マヨネーズの味がしますね」
「え?」
二つの組み合わせが想像できなかったため、私は瞳孔を見開いて中の具材を覗き込む。
っておい、マヨネーズがついたタコさんウインナーかい!
私の右肩が枯れていく花のように、がくりとうなだれた。
「せ、先輩。おいしいですこれ!」
「でしょー? やっぱりご飯にはタコさんウィンナーが定番だよっ」
いや、ご飯だけどおにぎりだからこれ。
「ちくしょー、俺も食ってみてぇ! 海の幸を満喫してぇ!」
「やーだよーぉ。あ! 真白チャンはもちろんオッケーだよぉ! そのメロンパンとちょこっと交換しようよぉ」
「え? は、はい……」
やめて。もうこれ以上私を困らせないで!
心の叫びをかき消すかのように、朝野は強引に攻めて来る。とりあえず一番まともそうな『カツオ』を選び、恐る恐る口をつけた。ぐにゃりとした感触が舌いっぱいに広がる。何だこれ……
それは――カツオの切り身だった。私の左肩が力を失った。
「カツオさん、おいしいでしょー」
屈託のない笑顔で同意を求めてくる朝野。私は眉間にしわを寄せ、無理やり笑顔を作って小さく頷いた。確かに味は悪くないのだが、この感触といい、磯の香りといい、おにぎりの中に入れるべき代物ではない。
それはそうと、さっきから私と朝野の天然っぷりに、一つも反応を見せないこの二人。岡は馬鹿だからなんとなく分かるのだが、さすがにここまで天然ぶりを発揮されると、真面目な北山なら何かしら反応を示してもおかしくはない。どうしてだ?
私は横目で北山の様子を伺う。
食べかけのおにぎりを見つめては、嬉しそうに頬張っている。余程おいしいのだろうか、こんなにも穏やかな顔をする北山を初めて見た気がした。頬もわずかに薄紅色に染まっている。
薄紅色? まさか、そんな……
今まで私が行ってきた作戦は完璧なはず。北山の心のより所となり、好意を寄せているのは私しかいないはずなのだ。なのに、何だその表情は。まるで恋する乙女のようではないか。
北山が好きな人は、私ではなくてもしかして……この朝野?
その後の会話はほとんど記憶にない。
ただ私は、自分の推論を否定する為の材料を拾おうと、北山の動向だけを目で追い続けていた。
わたしは入れます、もずくさん。
ごめん嘘です。




