朝野露子1
耳障りな電子音が狭い部屋のカーテンを揺らした。布団の中からおもむろに手を伸ばし、叩くようにして目覚まし時計を止めると、それを掴んで中へと引きずり込んだ。緑色に発光する指針で時間を確認する。
午前六時四十分。一日の始まりだ。
布団からむくりと起き上がると、気だるい体に鞭打つようにして洗面所へと向かった。洗顔クリームを塗り、水で洗い流した後も、脳は未だにまどろみの中だ。
寝ぼけ眼をこすりながら、そのままキッチンへ。前日の夜から仕込んでいた片手鍋に火を入れると、冷蔵庫から食材を取り出し、包丁で刻んでいった。一定のリズムが心地よく響き、何度も大きな欠伸を誘った。
気がつくとテーブルの上には、御飯と味噌汁、ベーコンエッグが並べられていた。料理を始めてひと月だが、今では半無意識状態でもさっくりと朝食が作れるほど体に染み付いていた。それらを綺麗に平らげる。もちろん、食後のヨーグルトと美容サプリメントも欠かせない。
冷たいウーロン茶を飲んで一息つくと、ここでようやくカーテンを開けて朝の日差しを招き入れた。
「んー、いい天気」
植物が光合成をするかのように、大きく両手を伸ばす。優しい光を浴びて、脳は次第に回転を増していった。そして窓ガラス越しに見えてくるのは、丸みを帯びた、独特なデザインの家だ。
「いつ見ても素敵なお家」
マンションの六階から見下ろすと、円を象った模様が所々にちりばめられているのが分かる。一般の住宅とは違う、所謂《いわゆる》『デザインハウス』というものだ。将来、自分もあんなお洒落な家に住んでみたいと憧れを抱かずにはいられない。
この泉城市へ来て本当に良かったと思う。見慣れない建築物が私の心を高ぶらせ、美しい自然は私の目を奪いっぱなしだ。そして極めつけは、私が崇拝しているデザイナー、ブラックベリーの美弥子さんが手がけたと言われる、この私立泉州高校の制服に袖を通すことが出来るということ。一見、モノトーンで地味な印象を受けるが、腰のラインと膝上まである長めのソックスが黒の収縮効果でスマートに見え、別人に生まれ変わったかのようになってしまう。しかも小物をワンポイント付け加えるだけで……ほら!
私は制服に着替えた後、左手首に淡いグリーンのリボンを巻き、スタンドミラーの前でひらりと舞った。全体のイメージが今日もまた別の色に染まる。毎日服を着替えているようで心が躍ってしまうのだ。きっと私が血の滲むような努力をしても、美弥子さんのセンスには到底及ばないだろうな。
私は美弥子さんに初めて出会ったあの日を思い出した。私が『真っ白』に生まれ変わったあの日の事を。
彼女は言った。
「あなただけの形を作りなさい。きっと世界の色が変わりますよ」と。
それから私は、全ての形にこだわった。自分だけの道具。自分だけの服。自分だけのスタイル。彼女が言った事を、私は充実に守っていった。
するとどうだろう。私を見る周りの目が明らかに変わって行った。起こる事全てが円滑に進んでいった。美弥子さんの言うとおり、混沌とした世界がはっきりと色づいて見えた。
彼女は窮地の私を救ってくれた、地上に降り立った最後の女神だ。今の私がこうしていられるのは全て、彼女のおかげ。私は彼女が脳内に存在する限り、その思想を崇め続けることを誓ったのだ。
愛? 友情? そんな目に見えないものなど信じるはずもない。
『形ある物』だけが、私の全てなのだから……
蝶の髪留めをくくると、唇にうっすらとリップクリームを塗った。スタンドミラーを覗き込むようにして自分を見つめる。ああ、なんて素敵な私のカタチ! と、高揚しながら両手を頬に当てた後、手帳を取り出して今日のスケジュールを確認する。
よし。
「そろそろ頃合のようね」
私、南真白は、ヤクザ顔の北山黒羽を陥れるべく、自宅のマンションを飛び出し学校へと急いだ。
四章開始です。
今回は真白さん視点でお届けいたします。




