岡武志6
「優歌さんと別れてから、僕は彼女からの電話、メールを拒否していました。彼女の事は本当に好きでしたけど、やっぱりヤクザ絡みの人たちとは関わりたくない、というのが本音で……僕としても苦渋の決断でした。
彼女のことはもう忘れよう、と心に決めてから三日後の事でした。家の郵便ポストに優歌さんからの手紙が届いていたんです。もうヨリを戻すことを考えていなかった僕は、そのまま手紙をゴミ箱に捨てたのですが……次の日も、また次の日も、優歌さんからの手紙は送られてきました。最初は手紙を読まずに破棄してたのですが、彼女の気持ちを足蹴にしているようで申し訳なく思って、ある日その手紙を読んでみたのです。
すると……驚きました。そこには、僕とヨリを戻したいとか、心変わりをした僕を攻め立てるような言葉は全く書かれていなくて……内容は全て、お兄さんに関することばかりでした」
「やっぱり僕のせいだとか、そういう事だよね?」
「ち、違いますよ! その真逆です!」
マサト君は声を張り上げて反論する。
真逆? 僕の事を嫌っているはずの優歌が、どうしてそういった内容のものを書くのだろうか。
僕は引き続き、マサト君の言葉に意識を集中させた。
「風邪をひいて学校を休んだ時はつきっきりで看病してくれた事。公園で足に怪我をした時は、おぶって病院に連れて行ってくれた事。高校受験の時には学問の神様が祭られている、隣県の神社までお守りを買いに行ってくれた事。その他にも毎日毎日、お兄さんの良い所ばかりが綴られていました。優歌さんは……お兄さんがヤクザとは何のつながりもない、心優しい人間だという事を証明しようとしたのです。
そして手紙には、お兄さんへの悩みも書いてありました。自分を大事に思ってくれている兄なのに、いつも顔を見ると辛く当たってしまう。今回の件ももっと早く、お兄さんの事を僕に伝えておけばこんな事にはならなかったのに、と、自分を責めていましたよ」
「優歌が、そんなことを……」
あり得ないはずだった。家でも僕と顔を合わすことすら避けているし、事が起こるたびにいつも暴力を振るわれてきたのだから。
マサト君の言っている事が信用できないわけじゃない。あの時確かに僕が取った行動だし、優歌しか知らない真実だ。だけど、僕に対しての表立った優歌の行動と本音のギャップが激しすぎて、おいそれとすぐには信じることができないでいた。それに、優歌の本音を知ったからと言って、僕はこれからどのように接すればいいんだろうか。
「彼女の手紙を読んでいくうちに、僕は自分がいかに愚かな人間なのかという事を思い知らされました。お兄さんのことを信じてもらおうと必死なのに僕は……周りの噂ばかり真に受けて、好きな人の言葉すら信じてあげられなかったのですから……」
彼はうつむき加減で唇をかみ締め、テーブルの一点を見つめる。しかしすぐに僕の瞳を直視し、力強い言葉で言った。
「でも、僕はもう噂に怯えて逃げるのはもうやめました。好きな人を信じます。好きな人の、心を信じます!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾ける音がした。
彼の言葉は……僕の精神の支えとなっている『その人』が告げた言葉そのものだった!
僕はただ漠然と、人を信じられるようにと努めてきたけど、それだけじゃいけなかった。大事なのは『逃げない心』だったんだ。
そうだ。僕はずっと他人からの視線ばかりを気にして、勝手に相手の気持ちを解釈し自分から逃げていた。相手をどんな人間なのか、僕自身が人を外見だけで判断していた。僕の事をよく知っている家族に対しても、外見や態度でしか判断せず、嫌われていると思い込んで目を逸らし続けてきたんだ。
優歌はずっと僕を見てくれていた。北山黒羽という人間性を信じてくれていた。マサト君と別れて辛いはずだったのに、自分の事はかえりみず、僕を知ってもらおうと毎日毎日手紙を書いて……
でも僕はどうだ? 北山優歌という人間性を知っているのにも関わらず、外面だけに惑わされて勝手に嫌っていると決め付けていた。自ら放棄していたんだ。
僕はいつから人を信じるという意味を履き違えていたんだろうか。
自分を知って欲しいのなら、まず相手と向き合わなければ視界に映るものも見えなくなる。相手を知り、相手を信じる『自分自身』を信じなければいけなかったというのに。
その後マサト君は優歌との関係を修復するために、何度も頭を下げて自分の気持ちをぶつけたこと、僕たち兄妹の関係が悪化の一途を辿ったのは全て自分に非があると感じ、直接僕に謝ろうと決意したことを語ってくれた。本当ならば二人一緒に謝る予定だったらしいけど、優歌は素直に慣れずにいつもの不機嫌な態度を取ってしまったようだ。
それを聞いて、僕は初めて優歌の特性を理解出来た。いや、本当は知っていたのかもしれない。行動と言動がちぐはくで理不尽な事をされたのは今までに数え切れないほどあった。僕が卑屈に考えさえしなければ、優歌が『ツンデレ』という事も容易に想像できたはずだ。
まだ付き合い始めて三ヶ月ほどの彼のほうが優歌の事をよく知っていた。家族として、兄としては情けない限りなのだけど……優歌の本質をここまで理解してくれている人がいるという事実が、僕は嬉しく思った。
「ありがとう……マサト君」
マサト君にもう一度頭を下げる。大切なものに気づかせてくれた感謝の気持ちを込めて。
「あ、頭を上げてくださいお兄さん。お二人に酷い事をしたのは僕なわけですから。感謝される事なんて……」
「いや、本当に感謝してるんだ。優歌を信じてくれてありがとう。僕の過ちに気づかせてくれてありがとう。言っても言い切れないくらいだよ」
「そ、そんな。お兄さん……」
「これからも、優歌の事を大事にしてあげてね」
「もちろんです! もう絶対に悲しい思いをさせません!」
「よかった……」
彼の迷いなき返答に、僕の中で引っかかっていた胸の支えがすっ、と取れていった。彼なら間違いなく優歌を幸せにしてくれる。よくこんなにも誠実で、人間として出来た彼氏を見つけたものだ。
マサト君は氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを飲み干すと、静かに息を吐き、安堵の表情を浮かべた。
「今日こうしてお兄さんと話せてよかったです。優歌さんの言った通りの、優しい人だと実感しましたから。でも、緊張しました」
「僕も一緒だよ。喫茶店にきたのも初めてだし、それに来たら二人ともずっとしゃべらないし。怖かったんだからね」
「眉を寄せて上目で睨んでくるお兄さんも、すごく恐ろしかったですよ」
「え? 僕そんな顔してたの?」
「はい、それはもう。こんな感じで」
と言って、マサト君が僕の真似をして睨んできたが、彼の綺麗な顔立ちからしてその表情は実にかわいらしいもので、怯むどころかむしろ逆に見つめ返してしまった。
そして数秒の沈黙が流れると、
「ぷっ!」
「はははっ!」
僕たちはどちらともなく『笑い声』をあげた。
「では、今日はこれで失礼しますね。わざわざお呼び立てしてすいませんが、少し用事がありまして……」
「うんうん、気にしないでいいよ」
あのツンデレな妹のことだ。きっと外でマサト君を待っているんだろうな。
彼はレシートを手に取ると、丁寧にお辞儀をしてからレジへと向かい喫茶店を後にしていった。
僕はすっかり晴れ渡った青空を見上げた。窓枠に吊るされている天使のガラス細工が、太陽の日差しに照らされ沢山の宝石をちりばめていた。それはまるで、天使が僕を祝福しているかのように映っていた。
この天使を例えるならば、それはきっと南さん。彼女が目の前に現れてから、暗黒に囚われていた僕の心は次第に光の差す方へと動き出した。そして今日、僕の中に巣食っていた魔物は完全に消え去り、笑顔を取り戻すことができたんだ。
全ての出来事は偶然の積み重ねだ、と言ってしまえばそれでおしまいだけど、これが必然だと考えれば、南さんは本当の天使、いや『女神』なのかもしれない。
僕はもう人と関わることから逃げたりしない。僕の事を知ってくれる人はきっといる。自分自身の意思を信じるんだ。
天使を見つめながら、僕はそう心に誓った。
それと同時に、側の通路からカメラのシャッター音が聞こえてきた。
まさか、と思い振り向くと、そこにはピースサインをした時化た面の岡武志が立っていた。
「笑顔、頂戴しました~」
私の妹はツンデレ系とは程遠い、オラオラ系です。




