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染まらないイロ  作者: ウモッカ
第三章 岡武志
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岡武志4

 乱雑に生えているブナの木の間から、青白い湖が広がる。ここは少し小高い丘になっていて、公衆トイレからやや離れているため、僕が暴れたとしても気づいてくれる人はいないだろう。

 やがて、岡武志の動きが止まった。怯えながら様子を伺うと、彼は何やら崖の下を覗き込んでいた。

「おっ、やっぱりいるいる」

 あれほど張り上げていた声を押し殺し、岡武志は不敵に笑っている。一体何がどうなっているのか、状況が全く読めない。それよりも、僕の首元をがっちりホールドしているその腕を、早く解放して欲しい。そろそろ本当で気を失いそうだ。

「いいか、北山。あいつらに気づかれるから、絶対に大きな声を出しては駄目だぞ」

 僕が小刻みに何度も頷くと、ようやく解放してくれた。早速問い詰めてやろうと、軽く咳払いをして岡武志を睨んだけど、彼は僕のほうなど見向きもせず、崖の下一点を見つめたままだ。

 何があるんだろう? 眉をひそめながら、僕も彼に習い、崖の下を覗いてみる。そこには、細い丸太で組まれた休憩小屋があった。雨を凌ぐために屋根だけついてあり、後は四本柱と長板のベンチが置かれていた。

 その中に、若い男女二人の姿が見えた。二人は息がかかりそうなほどに密着して座り、見つめ合ったまま動かない。

「岡君、これって……」

「むふ! 見ての通り、ラブラブカップルのラブシーンさ!」

 なるほど。岡武志はずっと、この話をしていたのか。僕の想像とはあまりにも食い違っていたため、思わず顔が引きつってしまった。ぶっ飛んでいたのは、僕の思考回路のほうだったのか……

 しかし、ここで新たな疑問も出てきた。

 このラブシーンを僕に見せて、彼は何を撮ろうとしているんだろう? 僕の頭上は今、疑問符が輪っかを描きながら羽ばたいているに違いない。

「ほら、いよいよホットな時間になるぜっ」

「!」

 息を潜めていた岡武志の口が開くと、物語の幕がついに、上がった。

――キ、キスしたぞ!――

 それはとても激しいキス。見ているこっちが恥ずかしくなり、顔を火照らしながら目を背けた。

「おいおい、これからいいところなのに、見なくてどうするんだよ」

 岡武志が小声で叱る。

「だ、だめだ。だめだって! こ、これは見ちゃだめだって!」

「北山。お前は興味ないのか? この濃厚なラブシーンが! 男と女のABCが!」

「そ、そんなことはないけど……でも、の、覗くなんて事……」

「バカヤロウッ! んなもん公共の場でするほうが悪いんじゃないか。これは、俺達をみてくれー、と言っているようなもんだろ? だったら見てやるのが礼儀というもんじゃないか」

「そんなの、ただの屁理屈だよっ」

「屁理屈でも何でもいい! 見たいと思うのが男ってもんだぞ!」

 岡武志は鼻息を荒くして熱弁する。

 そりゃ僕だって男だ。興味がないわけじゃない。むしろ興味津々だ。でも、隠れてこそこそと罪悪感に苛まれながら見るのは、何だか性に合わない。

「いいからほら、見ろって!」 

「いたたたたた!」

 僕の耳を引っ張り、無理やり花咲く異空間へと目を向けさせる。同時に、女の人の喘ぎ声が聞こえてきた。

 これは、やばい。

 僕の心臓が飛び出しそうだ。見てはいけないと目を瞑ろうとしたけれど、本能が理性を上回ってしまっていた。硬直して瞼が動かない。

 その間に、二人ラブシーンは続く。男が女の胸を触ると、何故か分からないけど、また喘ぎ声をあげた。そして再び濃厚なキスを交わす。次第に男の右手がするすると下へと降りてゆく。

 僕は固唾を飲み込んだ。

 見ちゃいけないのは理解している。だけど、この先には、僕がまだ知らない未知の世界が待っている……この先、どうなるんだろう……

 もう視線をそらすことを忘れ、僕は二人の愛のやりとりを凝視していた。

 男が女の下半身までの距離を縮める。あと十五センチ、十センチ、五センチ……本当に時を刻んでいるのかと疑ってしまいそうなほど、ゆっくりと目的地を目指している。

 そしていよいよ、いよいよだ。

 未知なる部分に触れようとした瞬間――男の右手のが止まった。

 いや、男だけじゃない。全ての物が、風が、空気が――凍りついた。


『酵素パワーでゴー! ゴー! ゴー♪』


 何という間抜けな電子音、これは!

 僕の携帯電話が大合唱を始めているじゃないか!



 くそ、早く音を消さないと!

 僕はポケットをまさぐり、携帯電話を探す。だけど、頭はもう完全にパニック状態。どこに入れたのかすらも思い出せない。

 慌てふためく僕。両手で頭を抱えながらオロオロとするばかりか、これからどうしたらいいのか分からなくなった。何も思い浮かばない。

「何してんだ! に、逃げるぞ!」

「あ……」

 岡武志は僕の二の腕を引っ掴み、音速を超えるほどのスピードで走り抜けていった。


「はあ、はあ、ま、マジありえねぇタイミング。しかも洗剤のCM曲かよ」

 公園の入口付近まで逃げ帰ってきた僕たちは、白いベンチに縋りうなだれていた。まさか、年にニ、三回しか鳴らない僕の携帯が、ここぞとばかりに存在を主張するとは。やはりこれは、神が愚か者に裁きの鉄槌を下した、ということなのか?

「あーあ、もうあの場所、行けねぇなあ。絶好の覗きポイントだったのに」

「ご、ごめん……って、やっぱ覗き見は良くないよ!」

「俺より夢中になっていた北山がよく言うぜ」

「うっ。そ、そんなこと言ったって……」

 はあ、と、岡武志は深い溜息を吐いた。

「でも、岡君はどうして、あの場所に僕を連れて行ったんだい? 意図が全然読めないんだけど……」

「そりゃあ、男ならラブシーンで思わずにやけちまうだろ? だからさ。これで北山も笑うこと間違いなし、と確信してカメラの準備をしていたんだが、俺としたことが、大失態を犯してしまったぜ」

「失態って?」

「……生々しいラブシーンは、マジ見してしまうってこと」

「…………」

 まぁ、当然だ。誰でもマジになれば無表情になるというもの。異性がらみの場合は特にそう。にやけながら凝視する男がいたら、それはただのアホだ。変態だ。わざわざ変化球を投げようとせずとも、くすぐったりとか、お笑い番組を見たりとか、真っ直ぐな笑わせ方は沢山思いつくだろうに。

 ――本当に、呆れた馬鹿だよ、君は――

 息を整えながら僕は苦笑した。でも、見せた表情とは裏腹に、内心は嬉しく思っていた。

「うーむ。次の手を考えるかなぁ」

 僕のことを忌み嫌い、誰一人振り向いてくれなかったというのに、今日、初めて会話をした男子生徒が悩んでいる。僕なんかの為に、どうにかして笑わそうと真剣に悩んでいる。彼の目的はどうあれ、それだけは偽りない事実だった。嬉しいに決まっている。

 先に先輩の写真を譲り受け、笑うことを義務付けられたて意気込むしかなかったけど、今はもう違う。心の底から笑いたい。彼の真っ直ぐな気持ちに答えてあげたい、そう思っていた。

 そんな感情に浸っていると、再び僕の携帯電話から『酵素パワー』が鳴り響く。慣れない着信で一瞬、身体がびくついたけど、冷静さを取り戻した今では、自然にカバンの中からそれを取り出せた。

 通知先は非通知だった。僕の携帯番号を知っているのは親父しか知らないはずなんだけど、非通知でかけてくることは有り得ない。なら、本当に一体、誰なんだろう?

 不気味に思いながら、僕は通話ボタンを押す。

「も、もしもし、どなたですか?」

 しばらく沈黙が続く。やがて静寂を切って出たのは、受話器の向こうから聞こえてくる、僕のよく知っている声だった。

「クロ兄……」

「えっ?」


 それは、すでに三週間ほど口をきいていない、優歌からの電話だった。



酵素は汚れの落ちが違います。

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