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染まらないイロ  作者: ウモッカ
第三章 岡武志
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岡武志2

 旧校舎の東側にあたる階段の踊り場で、岡武志の足はようやく止まった。ちょうど背丈の位置には、掃除が行き届いていない古びた窓ガラスがあり、どんよりと薄暗い。そのせいで、生徒たちはこの場所を気味悪がり、一階から三階を繋ぐ貴重な階段にも関わらず、滅多にここを使用しない。どこからともなく怪談話まで浮上してきたようで、ますます生徒たちの足は遠のいていった。人気のない踊り場は僕と岡武志の二人しかおらず、空中には埃が飛散していた。

 岡武志は掴んでいた僕の腕を離し、くるりと振り向いた。

「ここなら誰もいないぜ。さぁ、笑ってもらいましょーか!」

「ちょっと岡君? や、やめてって」

 どこぞやのお笑い芸人のように、小刻みに左右に揺れながらレンズを構える岡武志。滑稽な動きをしているが、表情だけは大真面目だ。

「いつも怖い顔をした北山の、あんな顔見せられたらさ、もう居ても立ってもいられなくなってんだ。これしかねぇ! って。ほれ、いつでもシャッター切れるから、笑って笑って!」

「それってどういうことなんだ? これしかないって……岡君、君は何を考えているんだ?」

 僕は怪訝そうに岡武志を睨むと、タレ目が転げ落ちてしまいそうなほどに目尻を下げ、ようやくカメラから目を離した。

 制服のポケットをごそごそとまさぐり、可愛らしく折りたたんである黄色い紙を、僕の前へと差し出す。見た目の印象からしてガサツ、というか、豪快な彼からは想像できない折り方だったので、僕は少し驚いてしまった。

「ま、これ見てみな」

 渡された紙を手にとり、広げて中を見る。

 見出しには大きな字で、『第十五回泉城市写真コンテスト』と書かれていた。

 僕たちが住んでいる泉城(せんじょう)市が主催する写真コンテストだ。毎年夏に開催され、テーマを決めて一般者から写真を募る。審査員が厳選した三十点の中から更に、観覧者の投票、多数決でより優れたものを選ぶという、地域の催し物だ。夏祭りと同時に行われ、開催場所の泉城市森王神社の周りには、多くの出店やテキ屋などが立ち並ぶ。

 しかし、たかが地域の催し物、だと思って侮ってはいけない。レベルはかなり高く、県外から名のある写真家も参戦することもある。歴史的価値のある建築文化財や、四季おりおりの自然が多く残る、写真家にとって魅力的な町だからだろう。

 僕は、丸字フォントで書き綴られている文字を、上から順に指でなぞっていった。応募のテーマの項目で、指がピタリと止まる。

 今年の応募テーマは『天使と悪魔』。評価の対象は、両方を撮り収めた写真のみのようだ。そしてその下には、またもや大きな字で『賞金十万円』と書いてある。

「な? このテーマは北山にピッタリだろ? ってか、北山しかいねーだろ? だから、撮らせてくれよー」

「……嫌だよ」

 僕の顔のどの部分に、天使の要素があるというんだろう。それにどうせ、岡武志もこの賞金欲しさに僕に近づいたというのは容易に予想出来る。大体そんなところだ。何の下心もなく話しかけてくれた南さんが特別で、普通の人は僕に近寄らないんだから。

 岡武志は、僕をただの金づるとしか認識してないんだろう。

「僕よりも、あ、朝野先輩とか、南さんとかいるでしょ?」

「ああ、それも考えたんだけど。やっぱダメだわ。ツユッチには何を撮っても天使しか写らねぇし、マシロンは黒いフランス人形みたいなもんだしな。んで北山は悪魔しか……と思ってたんだけど、さっきの笑いかけた顔を見て考えが三百六十度変わっちゃったわけよ」

 言っている意味が全然、分からない。

「とにかく嫌だって」

「ああなんだ? もしかして賞金のことが問題なのか? なら優勝したら、全部北山にやるから、それでオッケー?」

「え?」

 あれ? 岡武志の狙いって、この十万円という大金じゃなかったのか?

「お、岡君は賞金が欲しいから、僕を利用しようとしてるんじゃ……」

「んなわけあるかよ。そりゃ、金はあったに越したことはねぇけどさ、金よりも俺は、写真家としての知名度が欲しいのよ。このコンテストって結構レベル高いじゃん? だから、優賞して周りに俺の名前を知らしめたいワケ。それに俺はいつだって、撮りたいモノを撮る。それだけだぜ」

 岡武志はそう言って、鼻を鳴らした。

 本当に意外だ。学校で女の子の写真を売り捌いては小銭に変えている岡武志が、賞金に目もくれないとは到底思えなかったからだ。

 彼は心からカメラを愛していたんだ。僕は自分がいかに偏った思考で、彼を見ていた事を情けなく思った。

 写真を撮られたくない、といえば嘘になる。本当は僕だって撮られてみたい。プライベートで撮った写真なんて、子供の頃に家族三人で行った温泉旅行だけだ。

 でも、きっと僕は彼の力にはなれない。先程から、僕の笑った顔が撮りたいと言っているけど、最後に笑ったのはいつか思い出せない。笑える自信がない。

 やっぱり断ろう――と、口を開きかけた時だった。

「ふふふ、相当お悩みのようですね、お客さん」

 岡武志が不敵な笑みを浮かべている。

「そんなお客さんのために特大サービスしちゃうぜ! 今ならこのレア写真をあなたに無料プレゼント!」

 制服の内ポケットから、ある一枚の厚紙を取り出し、僕に手渡した。

「こ、これは……!」

 

 それは、朝野先輩の写真だった。

 蛇口から溢れ出る水を飲んでいる、ただそれだけの写真。だけど、僕は胸を射抜かれたような衝撃が走った。背が小さくて可愛らしい、という、先輩に対してのイメージを根こそぎ覆された。

 なんて色っぽいんだ。亜麻色の髪をかき上げながら、身体の火照りを冷まそうと唇を濡らしている先輩。俯き加減の瞳で口元を見つめるその眼差しが、やけに妖艶に映っていた。

 そして極めつけは先輩の胸元だ。胸の谷間がちらと顔を覗かせている。先輩って、結構、胸、大きかったんだ……

 顔が熱を帯びていくのが分かり、右手で鼻を摘んだ。やばい。この写真は、僕には刺激が強すぎる。

「お、岡君、これ、やばいって」

「ふっふっふ。この前ツユッチに内緒で隠し撮りした写真だぜ。ベストショットだろ? ほれほれ~、早くしないと特典付き期間が終わっちまうぞ~」

「な……」

 物で釣ろうとは、岡武志。卑怯なり。

 でも悔しいけど、この写真は喉から手が出るほど欲しい。生徒手帳に先輩の写真をこっそり忍ばせることは、僕の密かな夢だったんだ。

 それが今、目の前にある。気持ちが揺れないわけがない。

「残り十秒~」

 岡武志が写真に情熱を注いでいるのは十分理解できた。賞金も僕に全額くれると言っている。たかが写真一枚撮るだけなのに、ここまで身を犠牲にするなんて、生半可な覚悟では出来ない。

「残り五秒~」

 それに、写真のことは分からないけど、彼の腕が良いのはなんとなく分かる。だとすると、彼の手にかかれば、人そのもののイメージまで覆してしまうものが出来上がるんだろうか? 

 こんな恐ろしい顔をした僕でも、他人の目を惹きつける写真を撮ってくれるのかな?

「残り三秒~」

 でも、僕に笑う、なんてこと……

「にい」

 できるわけ……

「いち」

 もう、腹をくくるしか無い。

「……わかった。やるよ」

「っしゃああああっ! そうこなくっちゃ!」

 岡武志は、握りこぶしを天に突き上げ、喜びの咆哮(ほうこう)を上げた。そんなに声を張り上げるほど、僕の写真が撮りたかったのか。何だか少し照れる。

「その代わり、ちゃんと撮ってよ」

「おー、俺にまかせとけって! しっかし、俺の目に狂いはなかったぜ。北山、やっぱりお前もツユッチの事が好きだったんだなぁ」

「な、な……」

「そうかそうか。言葉にならないぐらい否定できないのか。うんうんわかるぞ。ツユッチは可愛いからなぁ」

 岡武志はヘヴィメタルを彷彿させるほどの、激しい縦ノリで頷いていた。

 僕が先輩のことを想っているなんて、どうして分かったんだ? 僕って、他人から見ると感情が分かりやすい行動を取っているのか?

 本心を見抜かれ、慌てふためいている僕がこれ以上何を言っても、彼を誤魔化せはしないだろう。

「お、岡君。お願いだから、誰にも言わないでね」

「わーかってるって。わははは」

 奥から覗かせる白い歯が、今はとっても憎らしい。

「では、今日の放課後、下駄箱で待っててくれよ。応募期限まで時間ねぇし、さっそく撮影にとりかかるぜ」

「きょ、今日さっそく?」

「おうよ。昼過ぎから雨も上がるってことだしな。最高のロケーションになりそうだ。それじゃあまた放課後な! 忘れんなよ」

「ちょっと、岡君、待って……」

 呼び止めようと手を差し伸べたけど、彼はすでに僕の元から離れていた。みるみるうちに視界の彼は豆粒になっていき、僕一人、取り残される形になった。


 まさに、嵐を呼ぶ風雲児。最初から最後まで、ずっと彼のペースだった。初対面なのに、どうしてすぐに次から次へと言葉が生まれてくるんだろう。彼に上手く乗せられた気がしないわけでもない、が、一度受けてしまったからには、僕も彼の期待に答えるよう努力しなくては。もう笑えない、ではだめだ。笑わなくちゃ。

 これは僕の闇の衣を引き裂く、人生の分岐点なのかもしれない。誰もが唸るほどの写真を撮って、僕が普通の高校生だという事を、みんなに知ってもらうんだ。

 そう、僕は決して先輩の写真に釣られたんじゃない。純粋に、自分の笑顔を取り戻したいと、そう思ったから依頼を受けたんだ。決して釣られたわけじゃない……

 左手に握られた先輩の写真を一瞥する。

 このきわどいアングルはなかなか。

 あ、鼻血!

 写真に血がついてしまいそうだったので、慌てて天井を見上げた。


 岡武志はやっぱり凄い奴だった。あれだけの短時間で僕との約束を取り付け、自分は人の話を聞かずに去っていくんだから。

 そして同時に、本当に肩書き通りの馬鹿だったんだと実感した。きっと彼がそのことに気づく頃は、教室に戻った後なんだろう。

 僕は貰った先輩の写真を手帳裏にはせると、『岡武志が向かっていった教室』へと歩き出した。



胸チラ、ブラチラは男のロマンです。

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