寝言がスマホに録音できなかった理由
「お客様、何名様でいらっしゃいますか?」
「待ち合わせですので」
騒めく店内で双葉奈美音は待ち合わせの相手、彼女の妹の愛良を探す。
三か月前に結婚した妹、姓は伝川と変わった彼女は店内の奥の方の席に座っていた。
奈美音はそそくさと愛良が座る席に向かうが、一歩近づくごとに浮ついてた気持が少しずつ落ちていくように感じた。それは、愛良の顔付きが暗く感じたからであろうか。
なんだか疲れ切っている。
結婚式に新居への引っ越し、そして新婚旅行。
十年分働いた気がするって妹は笑っていたから、ようやくその疲れが出たのかな、と奈美音は妹の生気のない顔を見てそう考えた。
奈美音は愛良の向かいの席に腰を下ろす。
「頼んだ?」
「まだ。……コードが読み込めなくて。一緒に頼んでくれる?」
「いいよ」
スマホをテーブルの上にあるプレート、QRコードが印刷されてるそれにスマホを翳せば、スマホの中で勝手にアプリが起動して、彼女達が集った店のメニュー表が開く。
「何がいいかな」
画面を愛良にも見えるように向け、メニューを唱えようとすれば。
「コーヒーだけでいい」
「ええと」
奈美音はちょっと困った。
彼女は昼を一緒にというつもりでいたので、愛良に合わせてコーヒーだけというわけにはいかない。この店のランチ目当てにこの店を選んだので、昼はがっつりしっかり取るつもりだったのだ。
コーヒしか頼まない妹の前で――妹なんだからいいじゃない!!
「私はAランチにする。本当に大丈夫? ここはケーキも美味しいから頼もうか? 奢るよ」
「コーヒーで良い。食べられなくて」
つわり、とか?
瞬間的に奈美音は思ったが、それはとってもデリケートな事だ。親族間だからこそ気をつけねばいけない話題。愛良が何も言わないのに尋ねられないと、何も言わずに妹が頼んだ通りのオーダーをスマホで打つ。
「ありがとう」
「いいよ。場所によって読み込めない時があるよね」
「うん。調子が悪いんだ。壊れたのかもしれない」
「ショップで見てもらう?」
「うんーーでも、調子が悪いだけの方がいいから」
「困らなくない?」
「うんーーでも」
愛良は奈美音にそっと自分のスマホを差し出した。
二人のスマホは同じメーカーの同機種だ。同機種だからこそ調子の悪さや改善法が見つかる期待なのだろう。奈美音は何も考えずに受け取る。
そして画面を見て、奈美音は「おや?」と首を傾げる。
スマホの画面は待ち受けでもないどこかの画像である。
画面の中の風景は、薄暗いどころか暗い。
微かに白く浮かぶのはシーツや掛布団の折り目だと気が付けば、その画像は横寝している誰かを背中側から写したものだと見えてきた。
闇に溶けているのは誰かの後頭部。
「それ、動画だから」
奈美音は画像をタッチする。
すると……何も変わらない。音もない。
「聞こえない?」
「何か聞こえるの?」
動画は何も起こらず音もない状態のまま、終わりだけがわかる表示に変わる。
奈美音は訝しく思いながら愛良にスマホを返せば、彼女はそれを受け取り、自分でも再生し始めた。
「愛良?」
「聞こえ……ないよね」
「どうしたの?」
「寝言が」
「寝言?」
「うん。彼は寝言が煩いの。それで本人は寝言なんて覚えているわけ無いでしょう? だから、寝言を言い始めたら録画するようにしているんだけど、声が何も録音できないの」
奈美音はそこで笑い出しかけた。
調子の悪そうな愛良には悪いが、彼女の体調の悪さが新婚独特のものだと知ったら、それほど心配することではないと思ったのだ。
結婚したら相手の鼾や寝言が気になって安眠出来ない、良くある話だ。
それが誰かと一緒に暮らすってこと。
「――どうして何も録音できないんだろう」
「そんなに煩いの?」
「うん。なんか、歌みたいだし、普段彼が出す声とは違って、なんか、甲高くて、気持悪くて」
「歌?」
「うん。ああ、ういいいい、って、何度も何度も言うから気持悪くて」
「確かに。でも、それって悪夢見ているんじゃないの? 起こしてあげたら?」
「でも、寝言には応えるなって」
「でも、怖い夢見ているなら起こして欲しいって思うんじゃない? 助けてほしくてそんな声出しているかもしれないじゃない」
愛良はスマホを見つめ、そうかな、と呟く。
奈美音は、そうだ、と自信をもって答える。
愛良は、うん、と返事をし、ただ、どうしてかな、と続ける。
「どうして録音できないんだろう」
「それは――」
奈美音は自分のスマホを開き、「寝言 録音できない」などで検索する。
そして検索されたのは、スマホで「虫の声」が聞こえない理由、の方だった。
スマホはそのままの音を相手に送るのではなく、マイクで拾った音の周波数などをデジタルデータ化して送る。そして受け取り側はデジタルデータから似た音に変換して聞く、ということだ。
つまり、奈美音が愛良とスマホで会話した場合、愛良が聞いている声は奈美音の声じゃない。
奈美音の声に似た何か、なのである。
「しゅ、周波数がスマホじゃ集音できないから、とか。ほら、虫の声だってそうだっていうじゃない?」
「虫? でん君が虫?」
愛良のむっとした顔に奈美恵は笑う。
「まだでん君なのね。同じ伝川姓になったくせに」
「そうだけど。つい。ちゃんとコウセイ君と呼んでます。大事です」
「でも、寝言を言うでん君は嫌い、と」
「だって、違うんだもの。なんか、違くて。寝言の時のでん君はなんか違うの」
「それはさ苦しいからいつもと違う、とか? いびきの時は無呼吸とか言うじゃない」
「寝言って言ってんじゃん。全くお姉ちゃんは」
「ごめん。適当で」
「いや、いい――今度は起こしてみる。苦しいのは可哀想だもの」
「優しい。でもさ、もしかしたらすぐに寝言言わなくなるんじゃない? 引っ越しで環境変わってストレスってよくあるし」
「結婚が、ストレス」
「そうじゃなくて。愛良も準備で凄く疲れたって言ってたじゃない」
「そうか、そうだね」
愛良は頬を弛める。
奈美音は妹の顔から険が消えたと感じ、少々ホッとする。
「あ、私もランチ食べようかな」
「あ、じゃあ、追加入れる」
二人は久しぶりの時間を過ごし、笑い合いながら別れた。
そして数日後、奈美音は愛良が病院に搬送されたとの報を受けた。
奈美音が病室に駆け付ければ、両親はすすり泣き、両親の横には警察が立つ。
「愛良は」
顔に白い布が被せられているならば、愛良がどうしたのかは聞くまでも無い事だ。
立ちすくむ奈美音に警察が口を開く。
深夜に愛良の助けを求める悲鳴が響き、隣室の人が通報してくれたのだと。
そして、愛良を殴り殺したと思われる彼女の夫は、警察が踏み込んでも起きてはこなかったそうである。
「いまだに昏睡状態です」
「わたしが起こせって言ったから。寝言が煩かったら起こせって言ったから」
「ああういいい。あああああ、ういいいいいい。あああああ」
奈美音はハッとする。
でも、白い布が被せられている愛良は微動だにしていない。
彼女はもう呻く事などできないはずだ。
愛良のスマホの中にいた、彼女の夫の寝姿のように。
「何も聞こえなかった。寝言どころか、吐息も聞こえなかった」
「あああああ、ういいいいいい。あああああ」
愛良の声とは違う、男性の甲高い声。
歌うような笑いを含んだ甲高い呻き声が聞こえる。
――あの人の寝言をどうしても録音できないの。
――なんか、歌みたいだし、普段彼が出す声とは違って、なんか、甲高くて、気持悪くて。
それはデジタルデータ化できない声だったから。




