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キスで子供ができる世界の断罪劇

作者: abcアンタル
掲載日:2026/06/25

 現実ではキスしても子供はできないです。



「ヘンリエッタ。頼みがある」



 ある日の午後。王城の庭園にあるガゼボにて。


 この国の王太子であり、自身の婚約者でもあるギデオンとの茶会で、ヘンリエッタに向けられた最初の一声がそれだった。



「……なんでしょう?」

「君との婚約を破棄したいんだ」

「破棄、ですか? ……解消ではなく?」



 婚約破棄の相談を相手にもちかけてくるなよ。喧嘩でも売っているのか? ヘンリエッタは心の中で悪態をつく。


 婚約解消は互いの同意が必要だが、破棄したいのならば勝手にすればいい。

 正直、ヘンリエッタには意味が分からなかった。



「ほら、世の中の物語では、パーティーの最中などに婚約者の罪を暴いたうえで婚約破棄して、その後本当に愛する人と婚約し直すだろう? あれがやりたいのだ」

「はったおしますわよ?」

「へっ?」



 低い声が、ヘンリエッタのベールの下から漏れた。


 いけない、つい本音が。



「あら? ということは、誰かわたくし以外に好きな方がいるのですね?」

「あ、ああ。君も知っていると思うが、マリアという少女だ」

「確か、聖女の」



 ヘンリエッタは、彼女のほわほわした金の髪と桃色の瞳を思い出す。

 頭の回転が速く、人望に篤く、聖女の素質があるのは確かだ。ギデオンが惚れるのも納得だろう。


 彼が言葉を続ける。



「一目惚れだったんだ。美しい佇まい、さらさらりと揺れる長い髪、鈴の音を転がすような可愛らしい声、ころころ笑うあの可憐さ……それだけじゃない。神々しい治癒魔術に結界術、頭が良くて、その上誰にでも優しい。そして、何より!」

「何より?」

「笑顔が! 可愛い!」

「……婚約者の前で別の女の惚気ですか」



 ヘンリエッタが大げさに溜息を吐き、ついでに舌打ちもおまけしてみる。

 するとギデオンはこちらを窺いつつ、



「その……ヘンリエッタ、何だかいつもと雰囲気が違わないか?」



 などとのたまった。


 この王子、普段は賢いくせに恋愛が絡むと突然阿呆になる。

 ヘンリエッタは困ったわ、とでも言うように頬に手を当て首を傾げた。



「あら、分かりますの? ええ、ええ、そうなのです。わたくし、先程婚約者から婚約の取りやめを相談されまして。もう未来の旦那様ではないようだし、猫をかぶっていても仕方がないかな、と思って」

「あ……その、すまないと思っている。本当に、申し訳ない」

「全くですよ」



 謝るのが遅いのだ。

 ヘンリエッタはもう一度、溜息を吐く。



「それで?」

「協力してほしい。婚約者ではなく、一人の貴族として」

「仕方ないですね。ただし、協力するには条件が一つ」

「なんだ?」



 ヘンリエッタはその条件を口にする。

 庭園に穏やかな風が吹き抜け、ヘンリエッタの言葉が揺らめく。



「そんなことでいいのか?」

「ええ。ギデオン殿下とマリア様が婚約する時……いえ、結婚する時までに。その約束さえ果たしていただければ構いません」

「分かった」



 殊勝な顔で頷いたギデオンに、ヘンリエッタは笑みを浮かべた。



「さて、早速計画を立てていきましょう。わたくしたちは今より婚約者ではなく同志です」







 という会話を交わしたのが三年ほど前。いま、ヘンリエッタはギデオンに、



「ヘンリエッタ・フォン・マリンブルー。私の婚約者であるにも関わらず、聖女マリアを虐めたのは事実か?」



 ギデオンに、学園の卒業パーティーで責め立てられていた。


 ヘンリエッタはベールの端を弄びつつ返す。


「さあ、なんのことかしら? 記憶にございませんわ」

「誤魔化すな、ヘンリエッタ。すべて記録に残っている。マリアのドレスを破いたことも、教科書を池に捨てたことも、マリアの机の中に春本を仕込みよからぬ噂を広めたことも、マリアの乗る馬車を強盗に襲わせたことも。すべて。全てだ」

「だから、知らないですわ」

「なぜそんなことをしたのだ、ヘンリエッタ! 私は、わたしは……其方を、婚約者として……」

「知らないと言っているでしょう! しつこいのよ!」



 怒鳴れば、辺りに凍るような沈黙が降り落ちる。

 周囲の批難と好奇の入り混じった視線が、ヘンリエッタにはひどく痛い。


 無論、これは断罪()である。ただの芝居。ただの見世物。ただの、優秀な王太子ギデオンと善良な聖女マリア、悪役令嬢ヘンリエッタを人々の記憶に刻みつけるだけのもの。



 三年前のあの日から、ギデオンとヘンリエッタは計画を練り、少しずつ行動していた。


 例えば、ヘンリエッタはマリアを無視するようになった。ヘンリエッタはマリアのことが嫌いだという噂がまことしやかに囁かれた。


 例えば、ヘンリエッタは長い赤髪を縦ロールにした。元の目つきも相まって、悪役令嬢らしさが増した。高笑いの練習もした。


 例えば、ヘンリエッタはマリアのパーティー用のドレスを破くよう指示をし、教科書を川に流し、彼女の悪い噂を流した。


 春本を仕込んだのはヘンリエッタではなかったので、そいつは探し出して厳しく罰した。

 マリアの乗る馬車が強盗に襲われた時も、強盗たちを拷問し雇い主を吐かせ、そいつの家を潰しに行った。物理的に。



 ギデオンとヘンリエッタは表向き対立しているように、しかし水面下では協力して動いてきた。

 マリアには何も伝えなかった。このことを知っているのはギデオンとヘンリエッタの二人きりであった。



「……ヘンリエッタ。其方の罪はあまりにも重い。大した証拠がないとはいえ、暫し自宅にて謹慎を、」



 ギデオンの言葉に被せるように、ヘンリエッタは、



「ふっ……ふ、ふふふ。ふふふ、ほほ、おーっほっほっほ!」



 決まったー!悪役令嬢風高笑い!

 ヘンリエッタは心の中で喜びの舞を踊る。



「ほほ、っ、ふふ……ふぅ、申し訳ありません。あまりにも可笑しくて」

「何がだ」

「証拠がないのでしょう?わたくしがそいつを虐めたという証拠が!ならば、どのようにわたくしを罰するというのです!?」

「……証拠がないわけではない。少し決め手に欠けるだけで、」

「同じことでしょう!第一、わたくしは公爵令嬢ですわ。この国唯一の公爵家、その一の娘ヘンリエッタ・フォン・マリンブルー!それが、たかだか平民の娘を虐めたくらいで何だというのです!」

「マリアは、聖女だ」

「いいえ、違うわ!卑しい平民の女から生まれた小娘よ!そんな奴を、」

「ヘンリエッタ!」



 ギデオンが声を荒げる。



「私は、ヘンリエッタのことを……ずっと…………いや、何でもない。其方に自宅での謹慎を命じる。無期限だ、私が良いと言うまで出てくるな」

「……それは、随分と横暴ではありませんこと?あなたにそのような権限が、」

「わたしは、王太子だ。それで十分だろう」



 その言葉に、ヘンリエッタは顔を俯ける。

 ドレスの端を握りしめ、悔しさと怒りに身体を震わせているよう周囲に見せつける。



 けれど、まだ。まだだ。ヘンリエッタはベールの下で、じっと機を待つ。



「ギデオン殿下。この度は本当に申し訳ない」



 ギデオンにマリンブルー公爵、即ちヘンリエッタの父が話しかける。


 けれど、まだ。



「ヘンリエッタ様は一体どうしてしまったのかしら。幼いころはあのような方ではなかったのに……」



 学園の同輩たちがベールの下でひそひそと話している。


 けれど、まだ。



「ヘンリエッタお姉さま……もう、本日は帰った方がよろしいのでは……?わたくしと一緒に屋敷に戻りませんか?」



 ヘンリエッタの妹がヘンリエッタに帰宅を促す。


 けれど、まだ。



「ギデオン様、わたくし……その、ヘンリエッタ様のこと、ずっと、」



 聖女マリアがギデオンに話しかける。


 来た。今だ!



「……お前の、」

「お姉さま?」



 ヘンリエッタはベールの下で口を歪め、手を震わせ、いかにも危うい雰囲気を醸し出す。



「お前の、せいでっ……!」



 ヘンリエッタは懐に隠し持っていたナイフを取り出し、マリアにせまる。



「お姉さまっ……!」

「マリア!危ない!」



 妹が叫び、ギデオンがマリアを庇い、ヘンリエッタは道半ばで騎士に取り押さえられた。



「放しなさいよっ、このっ……!わたくしに触れていいと思っているの!?」

「ヘンリエッタ様」



 マリアがヘンリエッタに静かに話しかけた。

 取り押さえられたヘンリエッタの目の前に膝をつき、目線を合わせてくる。


 どういうこと? この後はギデオンがヘンリエッタに婚約破棄を告げる予定だったのに……



「……何のつもりよ」

「私ね、ヘンリエッタ様とは仲良くなりたいと思ってたんです。ヘンリエッタ様はとても気高くて、かっこいい女性だと思っていたから」



 その縦ロールも、ずっと触ってみたいなって思ってて……と、マリアが小声で付け加える。



「でも、違ったんですね。あなたは平民に慈悲を与える人間ではなかった。自分の嫉妬心のためだけにナイフを振り上げる人だった。だから、私、あなたにこの国の王妃を任せることはできないと思いました」

「っ、このあばずれが!私のギデオン殿下に色仕掛けをしたのね!」

「私は確かに殿下のことが好きでしたし、恋仲になりたかった。けれど、貴方を裏切るわけにはいかなかったから。色仕掛けなんてしてませんよ」

「嘘よ!嘘!嘘、嘘つき!」



 嘘、嘘よ、と繰り返すヘンリエッタを、マリアは悲しそうな目で見つめていた。


 ギデオンはそんな様子をしばし眺めていたが、やがて、



「ヘンリエッタ。私は、其方との婚約を破棄する」



 息を呑んで、そして叫ぶ。



「其方に、王妃の座を任せることはできない」

「っ、う、ああ、うううああああああ!ああああああ!あ、」

「マリア」

「何でしょうか、殿下」

「私は、君のことを尊敬している。最初は美しいと思った。外見が愛らしいと。守ってやりたいと。けれど、君は守られるだけの女性ではなかった。賢く、優しく、そして信念がある女性だった。君は、まさしく聖女だ。君になら、私の隣を任せられる」



 ギデオンは膝をつき、マリアの手の甲に口付けた。そして、



「僕と、結婚してくれないか」



 プロポーズを、した。



「あの……私、殿下の思っているような人ではないです。本当は怠けものだし、嫉妬深いし、わたしに聖女の素質が、治癒魔術と結解術があったのも本当に偶然で……その、そんな私でよければ」



 マリアは、花がふわり開くように微笑む。



「はい。喜んで」



 わあっ!という歓声が上がり、割れんばかりの拍手が起こる。

 ヘンリエッタは捕らえられたままの体勢で、こっそりと笑みを浮かべる。

 ようやく。ようやくだ。ずっとこの日を待ち望んでいた。


 ヘンリエッタの脳内で、三年あの日の前の会話がよみがえる。



『ただし、協力するには条件が一つ』

『何だ?』

『わたくしを王家が所有する辺境の領地に療養という名目で送ってください。使用人は付けず一人で、です』

『それは構わないが……恐らく、王家が呼び戻すまで帰れないぞ?使用人もつけないとなると、身の回りのことは自分でやることになるだろうし……』

『構いません。ずっと憧れていたのですよ。夢のスローライフ。夢の、自給自足生活!』



 思わず笑いだしそうになり、ヘンリエッタは奥歯をぐっと噛む。


 いけない。まだ婚約破棄が済んだだけ、気を抜くな。

 けれど、ああ、笑ってしまいそう。



 と、ヘンリエッタが一人悶絶していたところで、周囲の歓声が悲鳴に変わった。


 何事かと目を向ければ、ギデオンとヘンリエッタが熱烈なキスをしていた。

 公衆の面前で、多くの貴族がいる前で、キスをしていた。

 キスを、していた。

 キスを!していたのだ!



「っ、ぷはっ、マリア!? 一体何を!?」

「ギデオン殿下……実は、私もずっと、お慕いしておりました……」

「やめてくれ、マリア!一体何のつもりだ!?」

「え、何って……殿下?どうしたのですか?」



 そこでようやく、マリアは周囲の様子に気が付く。



「どうして、そんな反応を……だって、ここはあのゲームの中じゃないの……?シナリオ通りなら、最後は二人でキスをしてスタッフロールが流れるのに……え……殿下……?」



 何かをぶつぶつ呟くマリアに、ギデオンは震えながら口を開いた。



「マリア……教会で教わっていないのか……?いや、どうなんだ……しかし知っていれば、流石に……」

「あの……?」

「……マリア。人前でキスをするのはいけないことだ」

「どうして……?」

「どうしてって……」



 ギデオンは一泊置いて、息を吸ってから、言う。



「人間は……キスで、子供ができるんだよ」

「……………………へっ?」



 気まずい沈黙が落ちる。

 混乱するギデオンと呆然とするマリア、そして王子と聖女の接吻を目撃してしまった貴族たち。


 そんな中、ヘンリエッタは小さく呟いた。



「私の……私の、夢のスローライフが……自給自足生活が、遠のいていく……」







 それからのこと。


 ギデオンとヘンリエッタの婚約破棄は無事国王に許された。


 だが、王太子と聖女が公衆の面前で接吻したことが問題視され、更にはギデオンとヘンリエッタの三年前の会話を元使用人が王家にばらしたことで、ギデオンとマリア、ヘンリエッタは後始末に奔走することとなる。


 ヘンリエッタのスローライフの夢は、暫く叶いそうもなかった。








 この世界ではコウノトリが赤ちゃんを(以下略)



 女性は口を守るために基本、ベール、フェイスベールをつけています。

 男性も同じく口元を覆って隠しています。


 今回、ギデオンはマリアにキスされると思っておらず、不意を突かれました。


 マリアは異世界からの転生者で、この世界がゲームの中だと気づきゲームのシナリオ通りにキスしたら騒ぎになってしまったという形です。



 マリア自身は善良な人間です。キスに対する倫理観がこの世界の人たちと違っただけ。


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