表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社畜だった前世の記憶で宮廷工房を直す ─ 婚約破棄された魔道具師、定時退社で国を変える ─  作者: 渚月(なづき)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話 王妃の前で、すべてを並べる

検品から三日後。王宮から正式な召喚状が届いた。宛先はリーゼル魔道具工房。差出人は王妃フィリーネ直轄の王宮裁定局。


内容は端的だった。宮廷魔道具工房の運営に関する裁定会議を開催する。関係者は出頭のこと。裁定会議──王妃自らが主宰し、事実に基づいて是非を判断する場。判決ではなく裁定、つまり証拠を並べて真偽を明らかにする場だ。


(ようやく、テーブルの上にすべてを出せる。)


召喚状を読みながら、指先が静かに震えた。恐怖ではない。ずっと準備してきたものを、ようやく正しい場所に出せる安堵だ。証拠は揃っている。あとは、それを正しく並べるだけ。


裁定会議の前夜。工房で資料の最終確認をしていると、レオンが訪ねてきた。


「先輩。明日のこと、聞きました。俺に何かできることはありますか」


「あるよ。明日は定時どおりに宮廷工房の仕事をして、普段どおりに過ごすこと」


「でも──」


「レオン。あなたが普段どおりに工房にいることが、大事なの。あなたが動揺して変なことをしたら、あなた自身の立場が危うくなる」


レオンは唇を噛んだ。何か言いたそうな顔をしていたが、やがて小さく頷いた。


「……わかりました。でも、先輩が勝ったら──俺、正式に弟子入りさせてください」


私は笑った。久しぶりに、自然に。この子の真っ直ぐさは、いつも私の背筋を伸ばしてくれる。


「勝つかどうかはわからない。でも、事実を並べることはできる」


裁定会議の朝。王宮の白亜の広間に、関係者が集められた。オルヴァン、メリッサ、ゴットフリート、宮廷工房の上級技師たち。そして、私。


セルジュは監査部の席に座っている。表情はいつもどおり──つまり、無表情。だがその無表情の奥に何があるか、今の私にはわかる。彼なりの緊張と、それを上回る使命感。


王妃フィリーネが入廷した。銀髪を高く結い、白と金の正装をまとっている。広間の空気が、瞬時に張り詰めた。


「裁定会議を開廷します。本日の議題は二つ。第一に、宮廷魔道具工房における帳簿の不正について。第二に、祝典用儀式杖の品質について。順に審議する」


王妃の声は穏やかだが、一切の私情を含まない。彼女は公正であることを、自らに課している人だ。その公正さが、今日この場を、私に味方させてくれる──のではなく、事実を事実として受け止めてくれる。それだけで十分だ。


最初にセルジュが立った。帳簿の不一致について、三年分のデータを時系列で提示する。数字は残酷だ。ゴットフリートが操作した帳簿の差額は、年を追うごとに増加していた。初年度は金貨二百枚、二年目は三百枚、三年目は三百枚。計八百枚相当の素材費が、実態のない支出として計上されていた。


「差額は宮廷工房の筆頭技師口座への移動が確認されています」


セルジュの視線がオルヴァンに向いた。淡々と、けれど一切の曖昧さなく。彼は報告書に、他人の功績も不正も、一行の漏れもなく記載する人だ。


オルヴァンは表情を変えなかった。ただ一つ、指先が膝の上で微かに動いた。あの指先は、一度も設計図を引いたことがない。


「局長に一任していた件については、監督責任を認めます。ただし、意図的な不正ではありません」


ゴットフリートが立ち上がった。声が震えている。追い詰められた人間の、なりふり構わない反撃。


「す、すべてオルヴァン殿の指示です! 帳簿の操作は、彼に求められて──」


「局長、落ち着いてください。私はそのような指示を出した記憶はありません」


オルヴァンの声は、あくまで穏やかだった。この土壇場でも、彼は自分の印象を管理しようとする。共犯者を切り捨てることに、一瞬の躊躇もない。


王妃が手を上げた。広間が静まる。


「口頭の水掛け論は不要です。書面と数字で示しなさい」


セルジュが追加の書類を出した。ゴットフリートの私的な帳簿から、オルヴァンへの送金記録。日付と金額が、宮廷帳簿の差異と一致している。広間に低いざわめきが走った。数字は、嘘をつけない。


オルヴァンの顔から、初めて微笑みが完全に消えた。彼が沈黙したのを見て、王妃が視線を私に向けた。


「第二の議題に移ります。リーゼル、儀式杖について述べなさい」


私は立ち上がった。手は震えていない。数字を信じろ。事実を並べろ。前世の自分に、今の自分に、言い聞かせる。


「儀式杖の魔力飽和マージンは一二パーセントです。安全基準の三〇パーセントを大きく下回っています」


測定データを提示した。トーマ老師の旧設計との比較図。回路構造の劣化箇所の分析。すべて、数字と図で。言葉は最小限に。


「さらに、この儀式杖の回路構造は、元筆頭技師トーマ老師の設計を表層的に模倣したものです。深層構造──特に魔力の循環経路が省略されており、それが飽和マージンの低下を招いています」


「模倣だという証拠は?」


オルヴァンが聞いた。声は冷静だが、目が据わっている。追い詰められた人間の目だ。


「トーマ老師の設計ノートに、同一の表層パターンと循環経路の原型が記録されています。ノートの日付は二十年前です」


広間に沈黙が降りた。長い、重い沈黙。


王妃が目を閉じた。長い、長い沈黙。彼女は判断の前に必ず双方の言い分を最後まで聞く。そして、感情ではなく事実で結論を出す人だ。私は立ったまま、待った。判断を急かすつもりはない。事実はすべて出した。あとは、公正な目が結論を出すのを待つだけだ。


王妃が目を開けた。


「オルヴァン。筆頭技師の職を解きます。帳簿の不正については、正式な調査の上で処分を決定します」


「ゴットフリート。物資管理局長を解任します。帳簿操作の詳細について、追って調査を受けなさい」


「メリッサ嬢。リーゼルに対する虚偽の風説流布について、侯爵家に是正を求めます」


淡々と。感情を排した裁定。だからこそ、揺るがない。大声も、怒りも、嘆きもない。ただ事実に基づいた結論があるだけだ。


オルヴァンは黙って一礼した。最後まで取り乱さなかった。──それが彼の美学なのだろう。けれどその背中は、初めて小さく見えた。ゴットフリートは崩れるように椅子に沈んだ。メリッサは唇を噛み、目を伏せた。


王妃の視線が、私に向いた。


「リーゼル。あなたの技術と誠実さは認めます。──今後、宮廷工房の技術改革について、意見を求めることがあるかもしれません」


「光栄です。ただ、私は自分の工房で仕事を続けたいと思っています」


王妃の目が、わずかに柔らかくなった。厳格な表情の中に、ほんの一筋の温かみが差す。


「よいでしょう。あなたの居場所は、あなたが決めなさい」


広間を出た。廊下で、セルジュが壁に寄りかかっていた。あの日と同じように。


「終わったな」


「はい。──ありがとうございました。帳簿のこと、あなたがいなければ」


「俺は仕事をしただけだ。お前も、自分の仕事をしただけだ」


そう言って、彼は少しだけ──本当に少しだけ──笑った。初めて見る笑顔だった。不器用で、ぎこちなくて、けれどそれだけに嘘がない。


私の心臓が、一拍だけ跳ねた。──だがこの話は、もう少しだけ先のこと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ