第9話 王妃の前で、すべてを並べる
検品から三日後。王宮から正式な召喚状が届いた。宛先はリーゼル魔道具工房。差出人は王妃フィリーネ直轄の王宮裁定局。
内容は端的だった。宮廷魔道具工房の運営に関する裁定会議を開催する。関係者は出頭のこと。裁定会議──王妃自らが主宰し、事実に基づいて是非を判断する場。判決ではなく裁定、つまり証拠を並べて真偽を明らかにする場だ。
(ようやく、テーブルの上にすべてを出せる。)
召喚状を読みながら、指先が静かに震えた。恐怖ではない。ずっと準備してきたものを、ようやく正しい場所に出せる安堵だ。証拠は揃っている。あとは、それを正しく並べるだけ。
裁定会議の前夜。工房で資料の最終確認をしていると、レオンが訪ねてきた。
「先輩。明日のこと、聞きました。俺に何かできることはありますか」
「あるよ。明日は定時どおりに宮廷工房の仕事をして、普段どおりに過ごすこと」
「でも──」
「レオン。あなたが普段どおりに工房にいることが、大事なの。あなたが動揺して変なことをしたら、あなた自身の立場が危うくなる」
レオンは唇を噛んだ。何か言いたそうな顔をしていたが、やがて小さく頷いた。
「……わかりました。でも、先輩が勝ったら──俺、正式に弟子入りさせてください」
私は笑った。久しぶりに、自然に。この子の真っ直ぐさは、いつも私の背筋を伸ばしてくれる。
「勝つかどうかはわからない。でも、事実を並べることはできる」
◇
裁定会議の朝。王宮の白亜の広間に、関係者が集められた。オルヴァン、メリッサ、ゴットフリート、宮廷工房の上級技師たち。そして、私。
セルジュは監査部の席に座っている。表情はいつもどおり──つまり、無表情。だがその無表情の奥に何があるか、今の私にはわかる。彼なりの緊張と、それを上回る使命感。
王妃フィリーネが入廷した。銀髪を高く結い、白と金の正装をまとっている。広間の空気が、瞬時に張り詰めた。
「裁定会議を開廷します。本日の議題は二つ。第一に、宮廷魔道具工房における帳簿の不正について。第二に、祝典用儀式杖の品質について。順に審議する」
王妃の声は穏やかだが、一切の私情を含まない。彼女は公正であることを、自らに課している人だ。その公正さが、今日この場を、私に味方させてくれる──のではなく、事実を事実として受け止めてくれる。それだけで十分だ。
最初にセルジュが立った。帳簿の不一致について、三年分のデータを時系列で提示する。数字は残酷だ。ゴットフリートが操作した帳簿の差額は、年を追うごとに増加していた。初年度は金貨二百枚、二年目は三百枚、三年目は三百枚。計八百枚相当の素材費が、実態のない支出として計上されていた。
「差額は宮廷工房の筆頭技師口座への移動が確認されています」
セルジュの視線がオルヴァンに向いた。淡々と、けれど一切の曖昧さなく。彼は報告書に、他人の功績も不正も、一行の漏れもなく記載する人だ。
オルヴァンは表情を変えなかった。ただ一つ、指先が膝の上で微かに動いた。あの指先は、一度も設計図を引いたことがない。
「局長に一任していた件については、監督責任を認めます。ただし、意図的な不正ではありません」
ゴットフリートが立ち上がった。声が震えている。追い詰められた人間の、なりふり構わない反撃。
「す、すべてオルヴァン殿の指示です! 帳簿の操作は、彼に求められて──」
「局長、落ち着いてください。私はそのような指示を出した記憶はありません」
オルヴァンの声は、あくまで穏やかだった。この土壇場でも、彼は自分の印象を管理しようとする。共犯者を切り捨てることに、一瞬の躊躇もない。
王妃が手を上げた。広間が静まる。
「口頭の水掛け論は不要です。書面と数字で示しなさい」
セルジュが追加の書類を出した。ゴットフリートの私的な帳簿から、オルヴァンへの送金記録。日付と金額が、宮廷帳簿の差異と一致している。広間に低いざわめきが走った。数字は、嘘をつけない。
オルヴァンの顔から、初めて微笑みが完全に消えた。彼が沈黙したのを見て、王妃が視線を私に向けた。
「第二の議題に移ります。リーゼル、儀式杖について述べなさい」
私は立ち上がった。手は震えていない。数字を信じろ。事実を並べろ。前世の自分に、今の自分に、言い聞かせる。
「儀式杖の魔力飽和マージンは一二パーセントです。安全基準の三〇パーセントを大きく下回っています」
測定データを提示した。トーマ老師の旧設計との比較図。回路構造の劣化箇所の分析。すべて、数字と図で。言葉は最小限に。
「さらに、この儀式杖の回路構造は、元筆頭技師トーマ老師の設計を表層的に模倣したものです。深層構造──特に魔力の循環経路が省略されており、それが飽和マージンの低下を招いています」
「模倣だという証拠は?」
オルヴァンが聞いた。声は冷静だが、目が据わっている。追い詰められた人間の目だ。
「トーマ老師の設計ノートに、同一の表層パターンと循環経路の原型が記録されています。ノートの日付は二十年前です」
広間に沈黙が降りた。長い、重い沈黙。
王妃が目を閉じた。長い、長い沈黙。彼女は判断の前に必ず双方の言い分を最後まで聞く。そして、感情ではなく事実で結論を出す人だ。私は立ったまま、待った。判断を急かすつもりはない。事実はすべて出した。あとは、公正な目が結論を出すのを待つだけだ。
王妃が目を開けた。
「オルヴァン。筆頭技師の職を解きます。帳簿の不正については、正式な調査の上で処分を決定します」
「ゴットフリート。物資管理局長を解任します。帳簿操作の詳細について、追って調査を受けなさい」
「メリッサ嬢。リーゼルに対する虚偽の風説流布について、侯爵家に是正を求めます」
淡々と。感情を排した裁定。だからこそ、揺るがない。大声も、怒りも、嘆きもない。ただ事実に基づいた結論があるだけだ。
オルヴァンは黙って一礼した。最後まで取り乱さなかった。──それが彼の美学なのだろう。けれどその背中は、初めて小さく見えた。ゴットフリートは崩れるように椅子に沈んだ。メリッサは唇を噛み、目を伏せた。
王妃の視線が、私に向いた。
「リーゼル。あなたの技術と誠実さは認めます。──今後、宮廷工房の技術改革について、意見を求めることがあるかもしれません」
「光栄です。ただ、私は自分の工房で仕事を続けたいと思っています」
王妃の目が、わずかに柔らかくなった。厳格な表情の中に、ほんの一筋の温かみが差す。
「よいでしょう。あなたの居場所は、あなたが決めなさい」
広間を出た。廊下で、セルジュが壁に寄りかかっていた。あの日と同じように。
「終わったな」
「はい。──ありがとうございました。帳簿のこと、あなたがいなければ」
「俺は仕事をしただけだ。お前も、自分の仕事をしただけだ」
そう言って、彼は少しだけ──本当に少しだけ──笑った。初めて見る笑顔だった。不器用で、ぎこちなくて、けれどそれだけに嘘がない。
私の心臓が、一拍だけ跳ねた。──だがこの話は、もう少しだけ先のこと。




