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社畜だった前世の記憶で宮廷工房を直す ─ 婚約破棄された魔道具師、定時退社で国を変える ─  作者: 渚月(なづき)


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第8話 帳簿は嘘をつけない

検品は形式に従って進んだ。外装の確認、基本機能の動作試験、魔力注入テスト。すべてにおいて、オルヴァンの儀式杖は──表面上は基準を満たしていた。


上級技師の一人が頷いた。


「基準値はクリアしています。問題ないかと」


オルヴァンは穏やかに微笑んだ。ゴットフリートは後方の席で、満足そうに帳簿を膝に乗せている。脚本通りに事が運んでいるという顔だ。


私は一歩前に出た。


「一点、追加検査を申請いたします」


広間が静まった。オルヴァンの微笑みが、一瞬だけ固まる。ほんの一秒にも満たない変化だが、私の目は見逃さなかった。


「新規認可工房の技師にも、公開検品での意見陳述権があると規定にあります。魔力飽和度の測定を求めます」


規定の引用は正確だった。セルジュに教わったわけではない。自分で調べた。──ただ、調べるきっかけをくれたのは彼だ。あの夜、茶を飲みながら「規定を読め」と言ったのは彼だった。制度を武器にしろ、と。


オルヴァンが口を開いた。


「魔力飽和度の検査は通常の検品項目に含まれていない。必要ないと思うが」


「祝典で長時間使用する儀式杖に、飽和度の確認は不要でしょうか。安全に関わる問題です」


王妃フィリーネが、静かに口を開いた。


「測りなさい」


短い一言。だがその声には、広間全体を支配する重みがあった。この人は感情を挟まない。ただ、必要なことを必要だと判断する。それが王妃の公正さだ。


私はトーマ老師から預かった測定器具を取り出した。儀式杖に器具を当て、魔力を一定量注入する。数値が出る。──飽和閾値まで、わずか一二パーセントの余裕。通常の祝典使用で求められる安全マージンは三〇パーセント以上。この杖は、基準を大幅に下回っていた。


私は測定結果を読み上げ、比較資料を提示した。トーマ老師の旧設計における飽和マージンは四五パーセント。新しい杖は、回路構造の劣化によって安全域を喪失している。数字は嘘をつかない。


広間に動揺が走った。上級技師たちが顔を見合わせる。オルヴァンの顔から笑みが消えた。それでも、声は平静を装っていた。


「測定器具の精度に問題があるのではないか。出所も不明だ」


「器具は元筆頭技師トーマ老師の制作品です。精度は老師の名誉にかけて保証されています」


トーマの名前が出た瞬間、広間の空気が変わった。伝説の職人の名は、この世界ではまだ重い。彼の名前を聞いて背筋を正した技師が何人もいた。


ここでセルジュが立ち上がった。監査官の正装が、朝の光を受けて鈍く光る。彼の立ち姿には、いつもの書類の束はない。代わりに、一枚の報告書を手にしている。


「監査部から一点、報告があります」


彼は書類を開いた。


「過去三年間の宮廷工房の素材調達費と、物資管理局の支出記録の間に、継続的な不一致が確認されました。差額は年間でおよそ金貨八百枚相当。素材費の一部が、帳簿上のみで消費され、実際には調達されていない可能性があります」


ゴットフリートの顔から血の気が引いた。帳簿を握る手が、目に見えて震えている。唇が動くが、声が出てこない。


「そ、それは……帳簿の記載方法に差異があるだけで──」


「三年分の差異が一貫して同じ方向に偏ることは、記載方法の違いでは説明できません」


セルジュの声は淡々としていた。感情を排した事実の羅列。それが最も鋭い刃になることを、彼は知っている。私もまた、前世の経験から知っている。


王妃が立ち上がった。


「オルヴァン。ゴットフリート。この場での弁明を許す。言いたいことがあるなら述べなさい」


オルヴァンは数秒、沈黙した。それから──彼らしい穏やかな声で言った。


「帳簿の件は、局長に一任していたので詳細は把握しておりません。儀式杖の件は、改良の余地があることを認めます」


切り捨てた。ゴットフリートを。何年も共犯関係にあった相手を、この場であっさりと。隣で局長の顔が蒼白になるのを、オルヴァンは見もしなかった。


(やはり、この人は──自分以外のすべてを道具として扱う。)


けれど、王妃の目は曇らなかった。


「帳簿の件とは別に、儀式杖の設計についても確認が必要です。オルヴァン、この設計は本当にあなた自身のものですか」


広間が凍った。王妃は、核心を知っている。あるいは──最初から見抜いていたのかもしれない。「手に伝わる感触が違う」と言ったのは、技術的な疑問だけではなく、作り手の違いを感じ取っていたのだ。


オルヴァンの喉仏が、一度だけ動いた。


「──もちろんです。王妃陛下」


王妃は頷いた。その表情からは何も読み取れない。


「では、この件は正式な調査に移行します。結論は後日。──検品は、終了」


広間を出た。廊下の窓から春の光が差している。膝が震えていた。今になって。広間の中では感じなかった緊張が、一気に押し寄せてくる。


セルジュが隣に立った。何も言わず。ただ──私の肩に、手を置いた。重くはない。ただ、温かい。その手の温度で、初めて自分が冷えていたことに気づいた。


「よくやった」


短く、静かに。彼はそう言って、手を離した。私は何も返せなかった。返す代わりに、深く息を吸った。春の空気が肺を満たす。


──決着はまだだ。だが、糸はすべて、正しい場所につながり始めた。


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