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二人はアトリエに移動した。今は預かっている遺体もないため、がらんとしていた。
最近の命は仕事の量を減らしているようだったが、アトリエにこもっている時間は増えていた。おそらくは、秋人を作品にするための準備をしているのだろう。
秋人は服も下着も脱いで、布をかぶせた解剖台の上に寝転んだ。恥ずかしさを覚えたが、命の対応があまりにも淡々としていたので、病院で診察を受けている気分になってきた。彼は状況によって態度を上手に切り替えられるのだ。
「これでいいのか?」
「はい、ばっちりです。準備終わるまで少しお待ちください」
手持ち無沙汰になった秋人は天井を見上げた。真っ白な天上には青白い光を放つライトが整然と並んでいた。面白味のない景色だ。
しかし、死後の自分も解剖台の上に寝かされることになると気づいて、生きている間に棺桶に入ってしまったような複雑な気分にさせられた。
ぼうっとしていると、視界ににゅっと命の顔が入ってきた。
「では撮影を始めますね。僕がいいと言うまでじっとしていてください」
命がカメラのボタンを押す。ウィーンと音が鳴り、カメラが秋人の周囲でくるくると回りながら撮影を開始した。それから体勢を変えて、計四回撮影をして終わった。
「はい、ありがとうございました。服を着ていいですよ」
そう言うと、命はパソコンの前に座ってさっさと撮影したデータの確認を始めた。問題なくデータが取れたらしく、その横顔は満足げだった。モニタの中の秋人の体がくるくると回っている。精細なデータを元に作られているので、モニタの中に自分が入り込んでしまっているように見えて気味悪かった。
「秋人さん、ずいぶん筋肉がついてきましたね。体の血色も良い。僕のプランを真面目に実行してくださっているお陰ですね。それに元から爪の形まで綺麗ですよね、手や足の指の形もこんなに真っすぐな人って意外といないですよ、それに骨格が絵に描いたように綺麗で――」
命は定期的に秋人の体がどの程度仕上がっているか確認してそのたび似たような話をする。こういう話は始まるとうんざりするほど長い。
秋人は解剖台の上で服を着ながら足を伸ばして命の脇腹を小突いた。命がうっと声を上げて黙った。
「本人の目の前であんまり眺め回すな。気持ち悪い。死んだ後に悪用したら祟ってやるからな」
「すみません。契約書通りに制作が終わったら抹消しますから安心してください」
「あんた、プラスティネーションを作るたびにこうして遺体の全身スキャンしてんのか?」
「はい、作品にするにあたって撮影していますよ。ここにいらっしゃる段階ではほとんどが遺体なので生前のままではありませんが、肌の質感や色合いは人によって違いますからね。……言っておきますが、ご遺族の同意をもらっていますし、どのデータも僕の手元には残っていません」
「僕の手元にはって、家族には渡すことがあるのか?」
「ええ。僕としては消した方がいいと思うのですが、時によっては何もかもを残したいと仰る方もいますので差し上げています」
家族の遺体のプラスティネーションのみならず、精細なスキャンデータを欲しがる遺族の気持ちに思いを馳せた。苦言を言いたくなったが、すぐに口出しすべきでないと気づいてやめた。死者とどう付き合っていくかは、生者の自由だ。死者には侵せない領域だ。
「……あんたも気が変わったら残しておいても、別にいい」
「僕に気を遣わなくていいですよ。本当に消します、契約を反故にはしません。僕にはあなたがいますから」
命はグラスをかけて立ち上がると、秋人に向き直った。
「秋人さんは、写真嫌いですよね」
「急に何だよ、まあ、そうだよ」
命は気軽に写真を撮りたがる質だったが、秋人は真逆だったので事あるごとに写真を撮られるのを拒否してきた。
人は勝手に秋人の写真を撮る。道端に咲いた綺麗な花でも見つけた時みたいに、秋人を写真に収めるのだ。一般的なカメラには同意のない人の顔にはガウスぼかしがかかるようになっているが、違法アプリはいくらでもある。
「一枚だけ、撮ってもいいですか?」
そう言って、命は一秒ほど瞼を閉ざし、また開いた。グラスのカメラを起動させる動作だった。
「遺影にすんのか?」
「いいえ、違います。お葬式、出しますか?」
「いや、いらない。どうせ誰も来ない」
自分の葬式の様子を想像して、少し傷ついた。来てくれる人の顔は一人も思いつかなかった。自分の葬式にたくさんの人が来るような人生を送っていたら、きっと安楽死なんて考えなかっただろう。
「写真は個人用です。個人的に大事するために、一枚だけ」
「……いいよ」
「ありがとうございます」
命が秋人をじっと見つめた。
「笑って」
秋人はぎこちなく微笑んだ。変な顔をしていたのか、命がくすっと笑った。秋人がつられて自然に微笑んだ時、シャッター音が鳴った。
撮れた写真を命が確認して、目元を和らげた。いつかその写真を見返すにつけては秋人が生きていた頃を思い出して、同じ顔をするのだろう。
あんたはさ、俺が死ぬのをやめたいって言ったら、どうする?
その横顔に問いかけたくなった。けれど、ついぞ口には出せなかった。
秋人は、部屋に染み込んでいる死の気配が忍び寄ってくるのを感じた。




