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安楽死申請が通った後も、真島医院には定期的に通うことになっていた。治療目的ではなく、苦痛を和らげるために薬を処方してもらうことが目的だった。
秋人は薬の効きが悪い体質で、それも原因で鬱がなかなかよくならなかったが、全く薬を飲まなくなると症状が悪化して安楽死の日取りの前に自殺しかねなかった。
診察の待ち時間に、安楽死を選択した人々の残した記録を収集したサイトを訪問した。国内国外問わず、過去数十年分の記録を収集している。
このサイトは、あくまで記録を収集しているだけで安楽死を推奨するものではなく、誰でも訪問可能な非常にクリーンなサイトだ。訪問者がこのサイトを閲覧中に精神状態が悪化するとサイトから弾き出され、医療機関のサイトに繋がる仕組みになっている。
海外の図書館をイメージして作られたであろうサイト内には、同時にサイトに接続している人の黒い影がちらほら見えた。
秋人は安楽死を選んだ人々が死ぬ前に何をしたのかを知りたかった。自分だけで考えていてもやりたいことは思い浮かばず、ならば先人に学ぶしかないと思った。
検索画面から自分と近い属性で絞り込み、二つの記録に目を通した。
一つ目は元陸上選手のもの。事故で両足を切断し、莫大な費用をかけて創出した両足を移植したものの、自らの脚への違和感がぬぐえず、鬱病になって安楽死を選んだ。彼は死ぬまでに各地を訪問して講演を行ったり、家族と国内外へ旅行したり、充実した時間を過ごして家族に見守られながら亡くなった。享年三十二歳。
二つ目は難病患者のもの。今日現在でも治療法が見つかっていない指定難病に生まれつきおかされ、両親に反対されながらも二十歳になってから安楽死を決断した。(安楽死は二十歳未満を対象としていない)夢だった一人での世界一周をして、日本に戻ってきてから当時の恋人に見守られながら亡くなった。享年二十三歳。
秋人はグラスを外して待合室の天井を見上げた。率直に言って、参考になりそうもない。記録としては美しすぎる。夢も希望も持ったことがなく、取り柄は顔だけで得意なことがあったためしがない自分には、とても真似などできない。
結局は、自分がやりたいことは自分で見つけるしかないのだろうか? できないことややりたくないことが多すぎる自分が、何かを選ぶことができるのだろうか?
思っていたような結果が得られず少し沈んでいると、順番が来て名前を呼ばれた。
診察室に入ると、真島医師が待っていた。椅子に座ると、いつものように診察が始まった。
「安楽死の申請が通って、安心されましたか?」
「はい、とても」
秋人は医師に対してほとんど初めて自分の正直な気持ちを答えた。素直な返事に、真島医師はかすかに苦笑した。
「安楽死申請が通ると、患者さんの症状は快方に向かう場合が多いのですが、常盤さんはいかがですか?」
すでに思いあたる節があった秋人は、身を固くした。すると、真島医師は首を振った。
「おかしい反応ではありませんし、それによって安楽死の取り消しにもなりません。患者さんにのしかかっていたものが減れば、それは当然の反応です。ですから、もし症状が軽くなった場合でも、気にせず過ごしてください」
真島医師は、秋人に安楽死を考え直すようには言わず、いつものように診察を締めくくった。
「薬は引き続き処方します。それから、認知行動療法プログラムも続けてください」




