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灰にかえらない  作者: 水底 眠
6 reincarnation
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 家に上がって、命に安楽死申請が通ったことを報告した。命は喜色満面といった笑顔でおめでとうございますと言った。その笑顔についつられてこちらも笑顔になる。


 秋人が死ぬことを否定せず、かつ純粋に喜んでくれるのは、世界中探しても命くらいのものだろう。


 命は机から書類を出して秋人に渡してきた。一番上の紙には、大きな文字で同意書と書かれていた。


 同意書は、数枚の説明書と一緒にクリップでまとめられていた。


「何これ?」

「秋人さんが安楽死した後、そのご遺体をプラスティネーションにすることに同意するという文書です」


 秋人は紙をぱらぱらとめくった。文字がびっしりと印刷されていた。これは鬱の症状が軽い段階でも読みなくない類のものだ。


「同意書の形式はエンバーミングや献体の同意書を参考に作成しているものです。僕は、あなたが存命中は当然ながら、死後も生前の意思に基づいて行動します。あなたの同意なしには何もしませんし、何もできません」

「なんで今さら契約書を? もっと早くに取り交わせばよかったのに」

「そういう訳にはいきません。もしも契約書を交わしてから婚姻や安楽死申請をした場合には、秋人さんの安楽死の意思の独立性に疑義が発生します。そうなったとき、僕は自殺ほう助の罪に問われる可能性があり、秋人さんの安楽死申請も却下されますから」

「ああ、自殺って本人は罪に問われないけど、手伝った人間は捕まるんだっけ? まあ、実際あんたは俺の自殺の手助けをしているわけだ。もっとも、俺は死にたいんだから手伝ってくれるあんたに一切文句はないけど」

「ありがとうございます。でも、法はそういった事情を考慮してはくれませんからね」


 以前であれば自分の死後に命が逮捕されてもどうでもいいと思っていたが、今は違った。自分がいなくなった後でも、命にはのほほんとした顔で生きていてほしかった。


「筋書きはこうです。僕はあなたを自殺から助け、愛し合い、それでもあなたは安楽死を望む。あなたは自らの死後、自分の遺体を火葬して埋葬されるのではなく、夫でプラスティネーション作家である僕に作品にしてほしいと望み、僕はそれを叶える」


 つい鼻で笑ってしまう。なんて馬鹿馬鹿しい筋書きだろう。一から十まで全て嘘でできている。


 こんなお涙頂戴物語、誰かに信じてもらえるとは到底思えない。しかし、実際のことなど余計に話せないのだから、仕方がないのかもしれない。


「プラスティネーションになるのは、自らの遺体の処分権を行使するようなものです」

「エンディングノート書いたり、骨は海に捨ててほしいって遺言書書いたりするのと一緒ってことか?」

「ええ、それと同じです」

「あんたは誰かに聞かれても嘘の筋書きを説明するのか?」

「聞かれたらそう答えますね。真実は僕たちだけのものです」


 命があまりにも芝居がかった調子で言ったので、思わずふっと笑ってしまった。


 婚姻届けに名前を書いた時よりずっと頭がはっきりしていた。あの頃はもっと鬱がひどく、思考は常に停滞気味だった。

 

 今は流されているという感覚はなかった。むしろ流れに逆らっている感覚があり、体に抵抗を感じた。


 迷いと呼ぶもの。だからこそ自分は考えるのだ、これでいいのかと。これでいいのだと頭の中で言い返す。 


 秋人がサインをして、命もサインをした。両者のサインが書かれた契約書をそれぞれが保管することになった。


「改めてよろしくお願いします、秋人さん」

「ああ、こちらこそ最期の日までよろしく。……命」


 名前を呼んだのは初めてのことだった。いつもあんたと呼んで誤魔化してきた。


 案の定、命は相好を崩した。


 上機嫌になった命は、秋人の手を引いてリビングルームからつながる部屋へと連れて行った。今は使われていない部屋で、半分物置と化している。


 小さな庭に面した部屋は窓からたっぷりと日差しが入り込んでいて、目がくらみそうになるほど明るかった。日に焼けた白い壁には、比較的日に焼けていない四角い箇所がいくつかあった。


「陽の当たる場所に飾ってあげますからね」


 命は秋人を窓を背にして立たせると、うっそりと目を細めた。普段はひた隠しにしている願いへの渇望が溢れている。


 頭の中ではすでに秋人が作品になった姿を思い描いているに違いなかった。変化を拒絶し、ぬくもりを失った姿を。魂の有無だけがそれと自分とを区別する。


 ぞっとした。ぞくぞくした。心地が良かった。


 命の手によってポーズを取らされる。背筋を伸ばして、遠くを見つめさせられる。


 背中は日差しが当たって温かく、徐々に頭がぼうっとしてくる。命の温かな手のひらがそれを助長させた。


「あなたは美しい」


 それは生まれて初めてもらった言葉のように聞こえた。美しい、綺麗だ、そんな言葉を掃いて捨てるほど押し付けられてきた人生だったのに。


 命の言葉は、口づけは、体をすり抜けていくようだった。此処にいない誰か、いつか此処に飾られる誰かに向けて贈られていた。


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