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真島医師が都へ秋人の安楽死申請を出して一週間ほど経過したころ、セカンドオピニオン医師にかかるよう指示する連絡が届いた。申請は問題なく受理されているようだった。
セカンドオピニオン医師の病院は、完全予約制であったので、命が予約を入れてくれた。
都心にある精神科へ行き、診察を受けた。診察してくれた医師は、大原という名前だった。
大原医師は真島医師よりも淡々と診察を進め、真島医師の申請内容に問題はないと判断した。そして、最後に安楽死を希望するか聞かれた。秋人は、希望しますと答えた。
役所から申請認可の連絡があったと聞かされたのは、安楽死申請から三か月後のことだった。真島医師は複雑そうな顔をしていたが、秋人の意志を曲げようと促すことはなかった。ただ、いつでも撤回できることをしっかりと言い含めて、安楽死の日取りまでの治療について話してくれた。
診療所を出ると、空の青さに気づいてぎょっとした。使わず大事に取っておいた絵具を一気にぶちまけてしまったかのような、綺麗な色だった。
残暑を過ぎた街の雑多な空気の匂い、じりじりと肌を焼く日差しの強烈さにも戸惑う。
何かが変わっていた。別の世界にうっかり足を踏み入れてしまったと言われても信じられる気がした。
診察室に戻って真島医師にこの異常を訴えるべき悩んだが、自分に害がなさそうだったので家に帰ることにした。
帰路の途中でも、何かを見るにつけて心が動かされた。
同じ規格の電車のつり革が整然と並んでいる何気ない美意識、親子が楽しそうに手を繋いで歩いている姿、近所の高校のバレー部の都大会出場の垂れ幕、風に乗って運ばれてきた金木犀の甘い香り。
玄関扉を開けて、深く息を吸い込む。すっきりとしたウッド系の香りがして、玄関にフレグランスが置かれていることに気づいた。これまで気づいていなかっただけで、おそらくこの家に初めて来たときから置かれていたのだろう。
そうまでしてようやく自分が安楽死できることを知って心が羽のように軽くなったのが原因だと思い至る。
未来を憂う必要もない。現在や未来に暗い影を落としていた過去に目を向ける必要もない。だって、頼りない両肩に乗っていた不安は、生きいくことを前提としていたもので、死が約束された今となれば何もかも考える必要はないのだ。過去も後悔も何もかも、死後には持って行くことさえできない。
「もしかして、これが普通の人が見てる世界なのか?」
独り言ちて、じわじわと頭の中で感動が広がるのを味わった。安楽死申請を出してもらうことが決まったあの日より決定的に世界が開けたのを感じていた。
道理で普通の人が死にたいと考えないわけだ。死んではいけないと下らない戯言を吐くわけだ。彼らの目には、かくも鮮やかで美しい世界が見えているのだから。




