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安楽死の申請のために、病院を変えることになった。
安楽死の申請は個人での申請はできず、医療機関からでないと受け付けられない。秋人が通院していた病院では、安楽死を認めない方針だった。
医師は安楽死の話題が出ると、決まって同じことを言った。死にたいって気持ちに従ってたら人類は絶滅してしまいますよ、と。
「新しい病院ってどこ?」
「僕の友人のお兄さんがやっている診療所です。そこだったら安楽死の申請を出してくれると思います」
「そうなのか? 申請出してくれるとこも少ない上に、審査が厳しいって聞くけど」
日本で安楽死制度が施行されて約五年が経過していたが、安楽死者数は年間数十人で頭打ちになっていた。安楽死を認められる疾患が少ないことや、医師の忌避感が強いためだ。
また、老衰や病気では緩和ケアが非常に進んでおり、延命措置の中止も認められていて尊厳死する人も多いため、安楽死を希望する人も少ない。
安楽死法において安楽死が認められる条件の一つには、身体的、精神的な耐え難い苦痛があることを上げている。しかし、緩和ケアの発達により、耐え難い身体的苦痛はかなり軽減させられる。そのため、精神的な苦痛が条件と言っても過言ではなく、精神疾患患者が安楽死死亡者の大半を占める。
秋人が通院していた病院では、施行後一件も安楽死を認めたことがない。秋人は常に希死念慮を抱えていたが、安楽死を認めた実績のある病院を探し出すことができなかった。
運よく転院した先で安楽死申請を出せたとしても、どうせ自分では申請してほしいと言い出せる気がしなかった。否定されるかもしれないという想像が必ず頭をよぎるのだ。
それに、安楽死する価値もないと思っていた。ろくすっぽ健康保険料も払ったことがないのに、莫大な医療費と労力を他人に負担させて、安らかな死を得る。人間なんて百年も生きればどうせ死ぬのに、なんという贅沢で、なんという無駄だろう。
「大丈夫だと思いますよ、その医師はこれまでも何件か安楽死を申請をしています。秋人さんは鬱病を発症していて、長年治療を受けながらも寛解の見込みがない。ただ、難しいのは、実際そうですね。新しい病院で治療に励んだ結果治ることもあり得ますし」
どういう顔をしていいかわからず、何も言わなかった。よりにもよって貴方の死体が欲しいと言ってきた男に治る可能性に言及されると居心地が悪い。
「病院から役所に申請を上げて、役所が月に一回くらいしか処理してないとも言われています。なおかつ申請内容を精査して医師に何度も確認が入るので、医師側も手間がかかるのであまり積極的にはやりたがりません。とは言え、昨年の法改正のお陰で、申請から最長三か月待てば結果は出ます」
法改正前は、申請から一年以内に認可通知を出すとされていたため、認可されるまでがとにかく遅く、半年から一年は待たないといけないと言われていた。そんなに待たされていると安楽死への希望が持てず、認可が出る前に自殺者が多発し、それが問題視されたのだ。
「で、認められてからさらに安楽死の日取りまで時間が空くと」
「はい、その通りです。認可された後から一か月経過以後に安楽死可能になると言われています。病院側の手配のために時間に余裕を持たせているのでしょうが、実際は時間をかけることで安楽死を考え直させたいのでしょう」
それにあまり効果があるのかは疑問だったが、勢いだけで安楽死させるべきではないという点は同意見だった。
「安心してください。作品にしたいあまり医師に口利きをすることはないですから」
「してくれた方が安楽死しやすそうだけど、しないんだ」
「後々違法性があったと指摘されたら僕が逮捕されちゃいますから」
「あんたって変なところで普通だな」
もし安楽死が認められなかったらどうするんだ、とは聞けなかった。その場合、自殺をすることになるのだろうか。
たしか、自殺したものは罪に問われないが、自殺を手助けしたものは罪に問われるはずだった。安楽死させる医師だけがその罪を免れるが、そのほかに例外はない。安楽死を認められた者に対し、必ず薬剤を飲むように強制することも罪にあたる。
この男は、安楽死以外にも人体を極力傷つけることなく死なせる方法をいくつも知っているに違いない。なんとなくそう思った。もし邪推が正しかったとしたら、安楽死が認められなかった場合は責任を持って殺してもらうとしよう。
「まあいい、その病院に行ってみるよ」
「はい、お願いします。前の病院の紹介状が必要になりますから、どっちの病院も僕が予約しておきますね」
「どうも……」
言外に予約が苦手だろうと言われた気がして、ちょっとむっとした。確かに予約は苦手だ、そもそも予約サイトに辿り着くまでがなんとなく面倒で、気が付くと日が経っている。診察後に予約をしていても予約日に病院に行けなくなってリスケして……。ああ、考えるだけでも億劫で、やりたくない。
「予約できました。週明けに行きましょう、僕が車で送ります。お医者さんには、引っ越したから転院したいと言いましょう」
「何から何までどうも」
秋人がうんざりしたように言うと、命は誇らしげに微笑んだ。
病院を変えることは以前から検討していたが、どうしても気力が湧かずできなかった。
転院を希望すると言い出すのも、医師が良い顔をしないのではと思うと難しかったのだ。だが、引っ越しというのは悪くない理由だった。




