正しさを問う親友には観察という名の猶予を
エピソードタイトルを修正しました。
僕、観月奏の日常は、予測可能なパラメータで構成されている。
しかし、高校というコミュニティにおける最大のイベント「修学旅行」は、予測不能な変数の塊だ。そして、僕たちの班に、最も厄介なバグが実装されることが決定した。
「じゃあ、班長は遠藤でいいな!」
クラスメイトの誰かが言った。面倒事を押し付けられた遠藤は、まんざらでもない顔で「ま、俺に任せとけよ」と胸を張る。
遠藤は、無責任で、自己中心的で、致命的に要領が悪い。彼がリーダーを務めるプロジェクトが、正常に機能した試しはない。
案の定、僕たちの班の計画作りは、開始早々に破綻した。
班別自由行動のコース決めは、遠藤が「なんかいい感じにしといて」と丸投げしたせいで全く進まない。提出物の締め切りは忘れ、旅館へのアレルギー報告のような重要な連絡事項も、彼のところで止まっていた。
見かねた佐々木が、一人で全ての尻拭いをしていた。班の雰囲気は最悪になり、佐々木の顔には、日に日に疲労の色が濃くなっていく。
これは、極めて非効率な状態だ。システムが、一つの致命的なバグによって機能不全に陥っている。
そしてそのバグは、僕の貴重な観測対象である佐々木の精神的リソースを、不当に消費している。
修正しなければ。
放課後、一人で溜まった雑務をこなす佐々木の隣で、僕は静かに遠藤の行動パターンとSNSでの発言を分析し始めた。彼を班長から引きずり下ろし、計画を正常化させるための、最も合理的なシナリオを構築するために。
「観月くん……」
その時、僕のスマホを覗き込んでいた佐々木が、絞り出すような声で言った。
彼の顔は青ざめていた。
「また、やってるのかい……?」
「何をだい」
「それだよ!君はいつもそうだ!何か問題が起きると、静かに誰かを調べて……そして、その人は、いなくなるんだ!」
佐々木の脳裏に、過去の事件がフラッシュバックしているのが見て取れた。高坂さん、鈴木さん、黒田くん、峰岸先生……。全ての事件の裏にいた、僕の影。
彼は、ついにパズルの最後のピースをはめてしまったのだ。
「君がやったんだろ!全部!僕のために、僕が困っているからって、あの人たちを……!」
僕は、スマホの画面から顔を上げ、まっすぐに彼を見つめた。
「"やった"という表現は、感傷的すぎる。僕はただ、非効率なシステムに適切なパッチを当て、最適化したに過ぎない」
「やめてくれ……!」
佐々木は、僕からスマホをひったくろうとした。「そんなやり方、間違ってる!」
「では、聞こう」と僕は静かに言った。「何が『正しい』んだ? 無能なリーダーのせいで、班員全員の思い出が台無しにされるのを、指をくわえて見ていることか? それは『正しい』のか?」
僕は、一枚のメモ用紙に、僕が構築したプランの要点を書き出した。
遠藤がSNSの裏アカウントで他の班員を馬鹿にしている投稿。彼が計画作りをサボって遊びに行っていたアリバイ。それらの情報を、最適なタイミングで、班の女子グループと顧問の教師にリークする。そうすれば、彼は自ら班長を辞退せざるを得なくなる。完璧なプランだ。
僕はそのメモを、佐々木の前に置いた。
「これを実行すれば、問題は即座に解決する。これが僕の『合理性』だ。だが、君がそれを『間違っている』と言うのなら、僕はやめよう」
僕は、彼の目を見据えて、最後の選択を突きつけた。
「代わりに、君が、君の言う『正しさ』で、この機能不全に陥ったシステムを、修復してみせろ」
僕の論理と、彼の倫理。どちらがこの状況を救うのか。
佐々木は、震える手でメモを掴んだ。数秒間、そこに書かれた冷徹な計画を睨みつけた後、彼は顔を上げ、僕の目の前で、それをクシャクシャに握り潰した。
「……やってやるよ」
彼は言った。「君のやり方じゃなく、僕のやり方で」
そこから始まったのは、僕の計算からすれば、愚行としか言えないものだった。
佐々木はまず、遠藤と正面から向き合った。「このままじゃダメだ、ちゃんと話し合おう」と。当然、遠藤は反発し、口論になった。次に、班のメンバー一人ひとりに頭を下げ、協力してくれるよう頼んで回った。無視する者、馬鹿にする者もいた。
衝突、反目、涙。あまりにも非効率で、感情的で、泥臭い時間の連続。
僕は、その全てを、ただ静かに観察していた。
僕の予測では、この試みは、人間のエゴと無関心によって、数時間のうちに破綻するはずだった。
だが、違った。
佐々木の不器用で、しかし真摯な行動に、心を動かされたメンバーが一人、また一人と現れ始めた。呆れていた女子たちも、渋々計画作りに参加し始めた。孤立した遠藤も、居場所がなくなった結果、不承不承ながらも話し合いの輪に加わった。
最終的にできあがった計画は、お世辞にも洗練されたものとは言えなかった。コースには無駄が多く、スケジュールもギリギリだ。
だが、その計画書を囲む彼らの顔には、僕が計画した「完璧な成功」には決して生まれ得ないであろう、奇妙な達成感が浮かんでいた。
修学旅行から帰ってきた数日後。佐々木が僕に言った。
「ハプニングだらけで、大変だったよ。でも、なんだかんだ、楽しかった。……ありがとう、観月くん。あの時、僕に任せてくれて」
僕は、初めて、自分の数式に存在しないものを認めざるを得なかった。
非合理性、非効率性、感情の衝突。それらが、時に、僕の論理的な最適解とは全く別の「解」を導き出すことがある。
「礼を言う必要はない」
僕は、いつものように静かに答えた。
「君という存在は、僕の論理体系を破壊しかねない、極めて興味深い変数だ。君の行動は、僕にとって最高の観測データとなる。これからも、君を観察させてもらうよ」
佐々木は、苦笑した。
僕たちの間にあった溝は、埋まらないかもしれない。彼はこれからも、僕のやり方を否定し続けるだろう。
それでいい。
僕の合理的な世界に、彼という不合理な変数が存在することで、この世界は、ほんの少しだけ、予測不能で、面白いものになるのかもしれないのだから。
僕の人間観察は、まだ始まったばかりだ。