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淀んだ権威には適切な新陳代謝を

放課後の美術室は、油絵の具の匂いと、澱んだ空気に満ちている。

この空間の主は、美術部顧問の教師ではなく、週に三日だけ顔を出す外部講師、峰岸剛三みねぎし ごうぞうだ。

彼は、三十年前に地方の小さなコンクールで賞を取ったことだけが自慢の、初老の画家である。


「なってないな!なってない!そんなものは絵じゃない!」


今日も、峰岸の怒声が響き渡る。

標的は、僕の友人である佐々木だ。彼は最近、ペンタブレットを使ったデジタルアートに夢中で、その独創的な作品は、僕の目から見ても非常に興味深いものだった。

だが、峰岸にとって、それは唾棄すべき「まがいもの」でしかなかったらしい。


「いいか、佐々木。基本はまずデッサンだ。俺の言う通りに描いていれば間違いないんだ。お前は才能があるんだから、変な道に逸れるな」


一見、生徒を思う指導者の言葉に聞こえるかもしれない。しかし、その実態は、自分の理解できない新しい才能への嫉妬と、支配欲の現れだ。彼が評価するのは、自分の古臭い画風を忠実に模倣する生徒だけ。

さらに、佐々木は峰岸の私的な雑用係でもあった。「君は気が利くから」という言葉と共に、画材の買い出しや、時には峰岸個人の肩揉みまでやらされている。


これは、才能という希少なリソースに対する深刻な毀損行為だ。そして、善意につけ込んだ不当な労働搾取でもある。

峰岸というフィルターは、この美術部から取り除かなければならない。彼の存在自体が、非効率なノイズと化している。


僕は、峰岸剛三という人物の「価値」を分析することから始めた。

彼のプライドの源泉は二つ。一つは「三十年前の受賞歴」。もう一つは「指導者という現在の立場」。この二本の柱を同時に、静かに、しかし確実にへし折る必要がある。


オペレーション1:過去の栄光の解体

僕はまず、図書館の郷土資料室へ向かった。彼が受賞したという「第三回〇〇県新人芸術展」が開催された三十年前の地方新聞の縮刷版を閲覧するためだ。

時間はかかったが、目的のものはすぐに見つかった。受賞者を報じる小さな記事。そして、審査員一覧のページ。

ビンゴだ。

その年の審査委員長は、峰岸が卒業した美大の教授、つまり彼の恩師だった。記事の隅には、「審査委員長の〇〇氏は、受賞した峰岸氏の才能を学生時代から高く評価していたと語った」という一文まである。

これは「コネ受賞」の可能性を示唆する、極めて重要な情報だ。


オペレーション2:現代における無能の証明

次に、僕は佐々木に提案した。

「この作品、峰岸先生には内緒で、ネットのコンテストに出してみないか?」

佐々木は最初ためらったが、僕の説得に応じ、峰岸がこき下ろしたデジタルアートのデータを僕に託してくれた。

僕はその作品を、いくつかのオンラインアートコンテストに応募し、同時にアート系のSNSで匿名アカウントを使って公開した。

結果は僕のシミュレーション通りだった。

斬新な技法と世界観はSNSで瞬く間に拡散され、「#なにこの神絵師」といったタグと共に称賛のコメントが並んだ。そして、応募したコンテストの一つで、小規模ながらも「審査員特別賞」を受賞した。

これで、「峰岸が認めなかった才能」を、「世間は評価した」という客観的な事実が完成した。


オペレーション3:情報の最適配置

仕上げは、情報の投下だ。

僕は、美術部顧問の、事なかれ主義で峰岸に何も言えない若い教師と、校長先生宛に、匿名のメールを送った。文面は、最大限に丁寧かつ、危機感を煽るように構成した。


件名:美術部における生徒の才能育成に関する重大な懸念


本文には、以下の内容を箇条書きで記した。


峰岸講師の過去の受賞歴について、当時の審査員長との師弟関係(新聞記事の画像を添付)。これは、公正な評価であったか疑問が残ります。


峰岸講師が、特定の生徒(佐々木くん)の優れたデジタル作品を「絵ではない」と一蹴し、コンクールへの出品を妨害した事実。


その出品を妨害された作品が、先日、オンラインコンテストで「審査員特別賞」を受賞した事実(受賞ページのURLを添付)。


上記を踏まえ、峰岸講師の指導方針は、現代の多様な表現に対応できておらず、むしろ生徒の才能の芽を摘む結果になっているのではないかという危惧。


そして、こう締めくくった。

『一人の有望な生徒の未来がかかっております。学校として、生徒の可能性を最大限に引き出すための、賢明なご判断をいただけますよう、切にお願い申し上げます』


学校という組織は、「生徒の未来」という大義名分と、「スキャンダル」というリスクに、極めて弱い。

僕のメールは、彼らが無視できない「爆弾」となった。


数日後、美術室はかつてない緊張感に包まれていた。

校長と顧問教師に呼び出された峰岸は、事情聴取を受けたらしい。

「デタラメだ!」「私への嫉妬による陰謀だ!」と激昂したそうだが、客観的な証拠の前では、ただの老人のヒステリーにしか聞こえなかっただろう。

特に、自らの唯一の栄光である受賞歴に疑義を呈されたことは、彼のプライドを根底から破壊したに違いない。

追い打ちをかけるように、僕が事前に根回ししていた佐々木の両親から、学校へ「指導方法への疑問」を伝える電話が入った。


完全に孤立無援となった峰岸は、次の日、美術部に顔を出すことはなかった。

後日、顧問の教師から「峰岸先生は、ご自身の創作活動に専念されるため、講師をお辞めになりました」という、建前上の報告があった。


美術室には、新しい空気が流れていた。

才能を認められた佐々木は、水を得た魚のように、生き生きと創作に打ち込んでいる。

僕は、彼のタブレットに映し出される、鮮やかな色彩の奔流を眺めながら、静かに思考を巡らせた。


淀んだ水は、新しい水が流れ込むことでしか浄化されない。古い権威は、新しい価値によってその役目を終え、淘汰される。

それが、世界の、極めて合理的な新陳代謝だ。

僕がやったことは、その循環が少しスムーズに進むよう、詰まりを取り除いてあげただけ。

それだけのことだ。

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