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親切の搾取者には適切な対価を

「観月くんって、本当に親切よねぇ」


僕の隣の席の鈴木さんが、満面の笑みでそう言った。彼女はクラスの「しっかり者」で通っている。いつもニコニコしていて、誰にでも優しい。いわゆる「いい人」だ。

だが、僕の目には彼女が少し違うものに見える。


彼女は他人の「良心」や「親切心」に巧みにつけ込み、自分の労力を最小限に抑える術に長けている。本人は無意識なのかもしれないが、そのシステムは実に精巧だ。


例えば、今日の昼休み。

クラスで配られた大量のプリントを、当番である鈴木さんが一人で運ぼうとしていた。

「きゃっ……!」

案の定、彼女は教室の入り口でわざとらしくよろめき、プリントの束を半分ほど床にぶちまけた。

「わ、大変!」「大丈夫?」

すぐさま数人のクラスメイトが駆け寄り、彼女を手伝い始める。

「ごめんなさーい! ありがとう、みんな優しい……!」

彼女は申し訳なさそうな顔をしながらも、一切手伝おうとはしない。ただ、感謝の言葉を繰り返すだけ。結果的に、彼女は指一本動かすことなく、面倒な作業を他人に肩代わりさせた。


これは非効率だ。他人の善意という有限のリソースが、彼女の「いい人」という評判を維持するためだけに、不当に消費されている。しかも、手伝った人間が得られる対価は、彼女からの安っぽい感謝の言葉だけ。割に合わない取引だ。


先週、僕が風邪で学校を休んだ日のこと。

その日の授業ノートを、鈴木さんは「親切に」も僕の机に入れておいてくれた。だが、そのノートは明らかに僕のためだけに取られたものではなかった。彼女自身のノートを、ただカラーコピーしただけ。しかも、コピー代の請求書がしっかりと挟まっていた。20円。

彼女は20円の投資で、「病欠したクラスメイトのためにわざわざノートをコピーしてあげる優しい私」という評判リターンを得たのだ。実に計算高い。


この歪んだ市場を、正常な状態に戻す必要がある。彼女が享受している不当な利益には、相応のコストを支払ってもらわなければ。


僕は行動を開始した。


ターゲットは、来週に迫った文化祭のクラス展示だ。

僕たちのクラスは、お化け屋敷をやることになっている。鈴木さんは当然のように装飾係に立候補し、そのリーダーになった。そして、いつものように「みんなで協力して頑張ろうね!」と笑顔で宣言し、面倒な作業を次々と周りに振り始めた。


「佐藤くんは絵が得意だから、壁の絵をお願いできるかな?」

「木村さんたちは手先が器用だから、このお札を100枚作ってくれる?」

「男子のみんなは力仕事お願いね!」


彼女自身は、指示を出すだけ。時々、「わー、すごい!」「センスいいね!」と褒め言葉のインセンティブを与えることを忘れない。


僕は、クラスで一番無口で、少し気弱な田中くんに声をかけた。彼は鈴木さんに、一番大変な「天井から吊るす大量の蜘蛛の巣作り」を押し付けられ、一人で床に座り込み、黙々と作業を続けていた。


「田中くん、大変そうだね。手伝おうか?」

「あ、観月くん……」田中くんは驚いて顔を上げた。「ううん、大丈夫。僕、こういうの得意だから。それに、僕がやらないと…」

「本当にそう思っているのかい?」

僕は彼の言葉を遮り、彼の目を見つめた。

「君は、鈴木さんに感謝されたいわけじゃない。ただ、断れなかっただけだ。そして内心では、彼女のやり方に強い不満を抱いている。違うかい?」


図星を突かれたように、田中くんの肩がビクッと揺れた。彼は俯き、何も言えなくなった。

僕は続けた。

「僕の分析では、君は装飾係全体の作業量の30%を一人で担当している。しかも、最も地味で評価されにくい部分を、だ。君の善意と労働力は、彼女の『いい人』という評判のために、不当に搾取されているんだよ」


「そ、そんなこと……」

「君が作っているそれは、単なる作業じゃない。お化け屋敷の雰囲気を決定づける、重要なアートワークだ」と僕は彼の作品を指した。「その価値を、リーダーである鈴木さんは全く理解していない。君のクリエイティビティが、正当な対価なしに消費されていいはずがない」


僕の言葉に、田中くんは顔を上げた。その目には、これまでの諦めとは違う、悔しさの色が浮かんでいた。彼の溜め込んでいた鬱憤が、臨界点に達しようとしている。


「君のその素晴らしい仕事には、正当な報酬が支払われるべきだ。僕は、そのためのプランを考えた」

僕は、計画の概要を彼の耳元でこっそりと囁いた。

「これは復讐じゃない。君の働きに対する『正当な報酬』を請求するための、合理的な手続きだ。僕が全てサポートする。君は、最後に一度だけ、僕の言う通りに動いてくれればいい。どうする?」


田中くんは、しばらくの間、握りしめたカッターナイフの刃先を見つめていた。やがて、彼は顔を上げ、僕の目をまっすぐに見て、小さく、しかしはっきりと頷いた。

「……やるよ」

文化祭前日。

お化け屋敷の飾り付けは佳境を迎えていた。鈴木さんは満足そうに仁王立ちし、自分の指示通りに動くクラスメイトたちを眺めている。

「うん、すごくいい感じ! みんなのおかげだよ、本当にありがとう!」


その時だった。

入り口のドアが勢いよく開き、生徒指導の鬼教師、通称「鬼瓦」が入ってきた。

「こらー! お前たち、何をやってるんだ!」

鬼瓦の怒声が響き渡る。僕たちはキョトンとする。


「これを見ろ!」

鬼瓦が突きつけたのは、一枚の「請求書」だった。

そこには、こう書かれていた。


【文化祭装飾における業務委託費用請求書】

壁面作画業務一式:5,000円(担当:佐藤)

小道具(お札)製作業務:3,000円(担当:木村、他2名)

蜘蛛の巣製作及び設置業務:8,000円(担当:田中、観月)

資材運搬及び設置業務:6,000円(担当:男子有志)

企画・ディレクション費用:???円(担当:鈴木)


【合計請求金額:22,000円】


「なんだこれは! 文化祭のクラス展示で金銭のやり取りなど認められんぞ!」

鬼瓦が激怒するのも無理はない。


「先生、これは鈴木さんの指示なんです」

僕はすっと前に出て、冷静に告げた。

「鈴木さんが、『みんなの頑張りにはちゃんと対価を支払うべきだ』と言って、『業務委託』という形にしようと提案したんです。僕たちはその素晴らしいアイデアに賛同しました」


「え……? わ、私そんなこと……」

狼狽する鈴木さん。クラスの視線が一斉に彼女に突き刺さる。


僕は追撃する。

「企画・ディレクション費用が空欄なのは、鈴木さんが『リーダーの私はみんなから貰うわけにはいかないから』と言って、自分の取り分を頑なに拒否したからです。なんて謙虚なんでしょう。でも、僕たちは鈴木さんの貢献が一番大きいと思っています。先生、どうか鈴木さんに正当な報酬が支払われるよう、ご判断ください」


僕の言葉に、田中くんが続く。彼の声は、いつもの気弱なトーンのままだったが、僕には分かった。彼はこの瞬間を待っていたのだ。

「僕も……鈴木さんのリーダーシップのおかげで、大変な作業も頑張れました」

田中くんは、わざとらしいほど丁寧にお辞儀をした。彼の言葉を聞いたクラスメイトたちの表情が、微妙に変化する。誰もが知っている。鈴木さんが田中くんに最も面倒で大変な作業を押し付けていたことを。だからこそ、彼のこの「感謝の言葉」は、聞く人の心に刺さった。

「報酬がないなんておかしいです」

田中くんの追撃は、完璧なタイミングだった。表面上は鈴木さんを気遣う言葉だが、その実、彼女が支払い責任から逃れる道を完全に塞いでいる。

教室の空気が変わった。クラスメイトたちは、ようやく状況を理解し始めたのだ。

「あ……そういうことか」山田くんが小さく呟く。

「鈴木さんが、みんなにお金払ってくれるってことなのね」佐藤さんが、少し困惑しながら言った。

「マジで? すげーじゃん、鈴木さん!」

賞賛の声が上がり始めるが、その中には明らかに皮肉の色が混じっている。みんな薄々気づいていたのだ。鈴木さんがいつも他人に作業を押し付けて、自分は楽をしていることに。そして今、その「ツケ」が回ってきたのだと。

鈴木さんの顔は青ざめていた。周囲の視線、期待に満ちた(そして少し意地の悪い)笑顔、そして鬼瓦先生の厳しい目。彼女が築き上げてきた「みんなのために尽くす優しいリーダー」という虚像が、今まさに彼女自身を縛り上げようとしていた。

「えっと……その……」

彼女は言葉に詰まった。ここで「そんなこと言ってない」と否定すれば、これまでの「いい人」イメージは瞬時に崩壊する。かといって肯定すれば、22,000円という大金を支払わなければならない。

僕は、田中くんと目を合わせた。彼の表情には、かすかな満足の色が浮かんでいる。いつも押し付けられる側だった彼が、今度は追い込む側に回ったのだ。実に興味深い変化だった。

「そ、そうよ……! みんなの頑張りには、ちゃんと報いたいって……思って……」

結局、鈴木さんは泣きそうな顔で、自分の財布から金を出すことを選んだ。「いい人」の仮面を維持するためのコストとしては、少々高すぎたかもしれないが。

鬼瓦は「学校活動での金銭授受は感心しないが、今回はリーダーの意向を汲んで特別に認める。ただし、二度とやるなよ!」と釘を刺して去っていった。


後日、僕たちは山分けしたお金で、ささやかな打ち上げをした。もちろん、鈴木さんは誘わなかった。

彼女はあの日以来、どこかぎこちない。他人に何かを頼むとき、一瞬ためらうようになった。


それでいい。

彼女は学んだはずだ。親切は無料タダではない。他人の善意を利用すれば、いつか必ず、相応の対価を支払うことになるのだと。

僕がしたことは、ただ、彼女の行動の価値を、可視化してあげただけだ。

実に、合理的な解決策だったと思う。

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