第17話 「延長8回裏ツーアウト満塁……」
自分の専門ではないけれども真摯な姿勢で部活動を続ける中学校教員の姿を忘れることができない。でも、そんな人ばかりでないのは当然で、学校の先生とは言え……。
北田先生は四十代後半になってもまだ野球部の顧問として放課後の部活動を指導していた。それは中学校の教員として当たり前なことでもあったし、嫌なことではなかった。家族に迷惑をかけていることは十分わかっていたし、休日がなくなってしまうことも理解できていた。それでも、生徒と一緒になって一つのボールを追いかけることが楽しかった。自分が長い間中学校の運動部にかかわって生きていることが当たり前な生活になっていた。
もちろん何かと不都合なこともやりにくいこともあった。家族からの不満の声もなかったわけではない。しかし北田先生にとってそれ以上の不満は、中学生を指導する教師としての生き方への考えの違いだった。
赴任七校目の野球部指導も三年目になり、入学してきた一年生から続けて指導しているうちにその学校の生徒たちはまじめに努力を続け、三年間一人も欠けることなく12人が頑張って競い合っていた。彼らの中学最後の試合は全道大会出場をかけた地区の決勝戦だった。札幌市の地区大会を勝ち上がりここまでやって来ただけでもたいしたもので、麻生球場で行われた当日は大勢の応援で盛り上がっていた。
互いに力は拮抗していて2点ずつとって7回を終わった。延長戦は促進ルールが適用され、無死満塁から攻撃が開始される。8回表、先攻の我が校がスクイズと外野フライで2点を取った。その裏「2点差があるからスクイズはない」との読みで、スクイズ対策の前進守備を取らない作戦の裏をかかれ、1塁側にセーフティースクイズを決められた。しかも、それが内野安打になり満塁のまま1点差に迫られた。次の打者には前進守備にしたところ、バントしたはずの打球がハーフライナーとなって2塁手の頭を越え同点になった。ここで1点取られると終わりの無死満塁となった。
もうあとはない。1人で投げ続けてきたピッチャーの小林は、もう気持ちも体力も限界なことが誰の目にも明らかだった。もう1人のピッチャー2年生の谷口は制球よく安定した投球をする。でも、彼は球威がなくこの場面では使えない。
北田先生はセンターの青木をマウンドに上げることにした。今まで何試合か練習試合で登板させたことがあるだけで、青木はピッチャーとしての練習はしてこなかった。それでもセンターからのバックホームで肩の強さは全員の知るところだった。
無死満塁。1点取られればそれで終わってしまうこの場面では、力で押さえてしまう以外ない状況だった。
青木は普段の生活から表情を変えることの少ない生徒だった。ポーカーフェイスというよりも「度胸の据わったやつ」といって良い。学校生活の中で歌を歌うにしても、ステージで演技をするにしてもその堂々とした様子に皆感心することがしばしばあった。
8球の練習投球が終わった。投球に勢いが感じられた。集中力を高めた時の顔をしていた。緊張するとか堅くなるとか、そんなところを見せない彼は、この時もポーカーフェイスで通している。
キャッチャーの森田がマウンドに向かった。
二人が何かを話している。
「カーブはいらねえぞ」
森田は笑顔だったが、マスクを外した彼の目は笑ってなかった。
「どうせ投げれねえって」
「全部真ん中来い!」
「……ああ」
青木はもともとコントロールが良いわけではない。ピッチャーの練習はほとんどしていないのだからそれはしょうがない。真ん中をねらっても適当に散らばっていってくれるだろう。四球さえ出さなければ……スクイズされたらしょうがない。
青木は慣れないセットポジションから3塁走者を見て大きく左足を上げた。ミットだけに集中している。センターからのバックホームと同じように左足にしっかり体重をかけて全身の力をこめた投球になった。
真ん中高めのストライク。
歓声が上がった。
2球目はスクイズにきた。
足を上げた時にスタートをきるのが分かったが青木はかまわずに投げ込んだ。
少しアウトコースにそれた高めの球をファウルにしてくれた。
3球目もスクイズをやってきた。
うまいぐあいにインコースに外れた速球に押されボールはバックネットへのファールとなった。
3振でワンアウト。
次のバッターは初球からスクイズをやってきた。
これもストライクゾーンから外れた速球で1塁ファールフライになった。
ツーアウト満塁。
味方ベンチ上の観客席から大きな歓声が上がった。
そして3人目。
この1番バッターは相手にとってはいやな「うまい」選手だ。
初球、外側に外れてワンボール。次の球が勝負と感じた。
スクイズはないので青木は大きく足を上げて全力で腕を振った。バックネットにファールとなった。タイミングは合っている。
3球目、表情を全く変えない青木は更に力を込めて腕を振った。
すると、インコースに外れた高めの球に対して、右打席でベースにかぶさるように構えていたバッターは左肘を突き出すような動きをした。
ボールがあたった。
いや、ボールにあたりにいった。
誰の目にも明らかな死球ねらいの動作だった。主審がタイムをかけた。バッターは死球のアピールをしている。
「あたった、あたった!」と相手ベンチが大きな声で騒いでいる。審判が協議のために集まった。1塁の塁審からは左肘を突き出してわざとあたりにいったことがはっきり見えている。「ボール!」という判定を主審が下し。バッターに注意が与えられ、ツーボールワンストライクから試合が再開された。
その時相手の監督が主審に抗議にやってきた。監督会議で確認したように判定への抗議は認められていないのだが、相手校の監督は判定が変わらないことをわかってあえてやっていた。ピッチャーや相手守備陣へプレッシャーをかけているのだ。
この監督は中学野球を担当する先生方の中では有名な先生だった。いや、むしろ相手にすることをためらわれていたいわくつきの先生だった。
「やり方が汚くてさ……」
「強いチームは作るんだけどさ、やり方がさ……」
「うーん、ちょっとね……ベテランでいい年なんだけどさ……」
評判はあまりよくはない。
もうボールにしたくない。四球でもサヨナラになってしまう。結果を考えずに真ん中に最高の球を投げてやる。口元に力が入り、歯を食いしばっていることが分かった青木の表情からはそんな気持ちが読み取れた。
渾身の投球だった。
外角の低めに最高の球が行った。
見送った、と見ているもの全員がそう思った。
ところが、バッターはその瞬間に遅れてバットスウィングを開始した。
「バスッ!」という音がした。
と同時に、森田のミットからボールがこぼれた。
バットがミットをたたいた音だった。
投球は低めのストライク。
バッターはミットにボールが収まってから「ミットを」打ちにいった。
主審が再びタイムをかけ、塁審を呼び集めた。
長い協議の結果「インターフェアー」の判定が下った。打撃妨害。バッターが打つのをキャッチャーがじゃましたという判断だった。しかし、バッターは明らかにミットを狙ったスウィングをしていた。
北田先生がベンチから勢いよく飛びだし激しく主審に抗議した。塁審たちが間に分け入った。
「なんだよあれー」
「きったねーぞー」
スタンドのあちこちから観客のヤジが飛ぶ。本部席にいた他校の監督たちも顔をしかめ、小声で話している。
だが、いったん下ってしまった判定は覆さないのがルールだ。3塁ランナーがホームを踏んで試合は終了した。ミットを打ちにいった相手校のバッターは両手をたたきながら1塁ベースを踏んだ。
「ヨッシャー!」という声がグラウンド内に響いた。
何とも悲しい気持ちになった。
彼は何に対して喜びの声を上げたのだろう。自分の上手な演技にだろうか。審判をうまくだませたということになのだろうか。勝ったことで喜びの声を上げ、ベンチを飛びだした相手チームはみんながハイタッチを繰り返している。
自分たちが負けたという事実が悲しいわけじゃなく、こんな勝ち方を喜ぶ人がいることに悲しくなった。相手校のベンチでは監督や部長先生も大喜びだった。これで念願の全道大会に出場できるのだ。
青木は硬い表情のままマウンドに立ち尽くしていた。
森田は左手を押さえたまま泣いていた。
7月22日、この日で三年生たちの部活動は終了した。
相手校の監督は全道大会の常連で、彼の赴任した学校は何度も全道大会へと出場していた。そういう意味では名監督であり、実績たっぷりのベテランだった。だから、彼の赴任を野球部員たちは喜び、そういう意味での期待を持つことになるのだ。あと三年で定年を迎える年齢で、担任も長い間持つことなく部活指導のために教職を
続けている。というのが彼の自慢なのだと聞いた。
定年後も体が動く間は部活だけでも指導したいことを明言しているのだそうだが、ちょっと待ってくれと北田先生は考えていた。
彼の、中学教諭としての存在意義はどこにあるのだろう。自分よりかなり年上の先輩にあたるこの先生のことを「彼」などと呼ぶのは失礼にあたるだろうが、実は……「彼」は北田嘉男という名前なのだ。北田道生と同姓であるため何度も彼との関係を聞かれてしまう。そのたびに丁寧に無関係なことを説明しているのだが、決して楽しことではない。
部活動を指導している目的は何だろう。勝つチームを作る。それはよくわかる。けど、どんな勝ち方でも良いと言うのか?
勝つためには相手に嫌な思いをさせ、ルールの隙間を突くような方法を生徒たちに植え付けてもいいというのか?
こうやって勝利を勝ち取ったチームを学校単位で褒め称えようというのか?
今こうやって大喜びしている人たちは何に喜んでいるのだろう?
もちろん全道大会に進出することなんだろうが……。
同じ苗字を持つこの監督は中学校の先生として長い間野球に携わって来て、ずいぶんと多くの生徒たちを送り出してきたのだろう。でも、それに疑問を抱いた生徒たちはいなかったのだろうか?
良い結果を出した中学時代の部活動に満足して卒業していったのだろうか?
彼らはその後どんな人生を歩んでいるのだろうか?
幸いなことに(?)この先生のもとからプロ野球に進んだ選手はいなかった。社会人野球で名をはせた選手もいなかった。
もしも自分がこの先生と同じ学校に赴任したならどうしただろう。北田先生はそう考えるたびに不愉快になって思考を停止する。この先生が担任を持っていたこともあたはずで、その時にはどんな指導をしていたのだろうか?
学校の先生が、中学の先生が、人の生き方を語ることはたびたびあるはずなのだから、その時この先生は……。
そんなことを考えているうちに野球の試合はすべて終了し、負けたチームの監督である北田先生は中学最後の大会となってしまった自分の学校の野球部員たちに「最後の言葉」をかけることになる。
部活動の指導をしている限り、負けた自分の学校のチームに向き合うこの時間は必ずやってくる。そして、彼らにねぎらいの言葉や慰めの言葉、未来へ向かう意識づけを語りたいのだが……なんとも、こんな試合の後では……。
中学生はまだまだ子供だが、善悪の判断ははっきりと認識している。いや、大人以上にそういうことには敏感だ。試合に勝っても負けても、その認識ははっきりしている。であればこそ、彼らのチームはこの勝ち方を続けていってはいけないのではないか。その純粋な中学生たちの感覚をつぶしてしまうのが学校の先生であってはいけない。
そんなことをいつまでも考えてしまう北田道生先生は20年たっても30年たっても変わらない「青臭さ」を身に着けていた。そしてそのことは年配の先生たちにはちょっと気になる存在になっていたらしいのだ。
延長8回裏ツーアウト満塁から勝ちを逃してしまった北田先生に、全道大会進出のチャンスは二度とめぐってはこなかった。
それでも彼、北田道生は定年を迎える年までノックバットを握って真上にキャッチャーフライを上げ続けた。