時計
時計は静かに時を刻んでいた。
その針の動きは、まるで世界の鼓動を映し取るかのようだった。秒針がひとつ動くたびに、目に見えぬ何かが失われ、同時に生まれていく。その音に耳を澄ませながら、私は深く息を吐いた。部屋の空気は、時間とともに沈黙を重ね、まるで見えない波が静かに寄せては返すように、形のない重みを孕んでいた。
机の上に置かれた懐中時計は、祖父の形見だった。銀色のケースには無数の傷が刻まれている。長年の使用によって刻まれたそれらの傷は、まるで時が残した足跡のように見えた。文字盤には優雅なローマ数字が並び、細く繊細な針がゆるやかに軌跡を描いていた。
祖父はよく「時間とは何か」と語っていた。
「時間とは川のようなものだ。流れる水を掌で掬おうとしても、それはすぐにこぼれ落ちてしまう。しかし、水がそこにあったという記憶は残る。それが、時間の本質なのかもしれない」
私は幼いながらに、その言葉の意味を掴もうとしたが、まるで砂のように指の隙間から零れ落ちていくばかりだった。
今になって思う。祖父が言っていた「時間」とは、単なる秒や分の積み重ねではなく、人の記憶や思考、感情までも含んだものだったのではないか。時計の針は単に時間を示すだけではなく、人の生の証を刻んでいるのかもしれない。
私はそっと懐中時計の蓋を閉じた。
カチリ。
その音が、まるでひとつの物語の幕を引くように響いた。
ふと、窓の外に目をやる。西の空には、燃えるような夕焼けが広がっていた。橙と紅が混ざり合い、まるで時の流れが空に溶け込んでいくかのようだった。私は静かにまぶたを閉じ、風のざわめきを聞いた。幼き日の記憶が、微かに蘇る。
祖父と並んで座り、夕暮れを眺めたあの日。彼はゆっくりと時計を取り出し、私に見せながら、こう言った。
「時は、決して留まることはない。だが、それを見つめ、味わい、心に刻むことはできるのだよ」
私は小さな手でその時計を触れた。冷たく、けれどどこか温かさを感じる金属の感触。あの感触が、今も私の指先に残っている気がする。
懐中時計を握りしめる。今、この瞬間も、時計は脈打つように時を刻んでいる。それは私の胸の鼓動と響き合い、まるで私自身の時間が、祖父の時と重なり合っているようだった。
静かに目を開くと、空は紫色に染まり、やがて夜の帳が降り始めていた。時は過ぎ去る。だが、心に刻まれたものは、決して消えはしない。
私はもう一度、そっと懐中時計を開いた。その針は、確かに今を生きていた。