八 姉の栞
「何者だ? 何故追ってきた?」
背後の男が尋ねた。おそらく、この三人に追われていた男の方だろう。
「あなたが、落としたものを返したくて」
そう言って、さっき拾ったものを懐から取り出して見せた。
「落とし物?」
男は自分が落とし物をしたことに気づいていなかったようで、不思議そうに言ったが、比野が取り出したものを見ると、小刀をしまった。
「悪かった。追われていたもので、つい過敏になっていたようだ」
彼はそう言ったあと、比野をじっくり眺めた。
「怪我はないか?」
聞かれたので頷くと彼はほっとしたようだった。その男は比野より少しだけ年上に見えた。こうやって正面から眺めると、顔立ちも整っている。また、地味な色味の服装をしているが、よく見れば仕立てがいいことがわかる。どこぞのおぼっちゃんと言ったような、雰囲気だ。
「落とし物を届けてくれてありがとう。俺は支生。お前の名前は?」
間違いなくおぼっちゃんだ、と比野は思った。お礼を言っているにもかかわらず自然な上から口調で、しかもそれに嫌みがない。生まれつき、人にかしずかれることに慣れている人特有の話しぶりだ。たぶん、どこかの貴族の家の子弟に違いないと、比野は当たりをつけた。
「わたしは比野」
支生に名前を教えながらも、落とし物を受け取ろうとする彼から、その落とし物を遠ざけた。
「どうしたんだ? 落とし物を返しにきてくれたんじゃないのか?」
「返すけど、この栞について、あんたに聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと? まあじゃあ、とにかくここから離れよう」
支生が気安い口調だったので、比野もそれにならった。そして、支生に誘導されて、二人は地面で伸びている三人の男をそのままにして、山を下り始めた。
道すがら支生が説明したことには、この山を越えた先から都に帰る途中に三人組に行き会い、その三人組が都の民家から盗んで来たというものの分け前の相談をしていたので、男たちが盗んできたという荷物を失敬したのだという。
それが途中でそれがばれて、追いかけられたものの、途中で木の上から、吹き矢で倒したというから驚いた。
「あんたって猿なの?」
思わず聞くと、彼は苦笑いした。
「そう見えるか?」
「まあ、見えないこともないけれど」
「ひどいな」
そう言って、くしゃりと笑った顔が、人間くさくて、比野はなぜかどきりとした。
「それで、その男たちたちが盗んで来たっていう荷物はどうするの?」
「ああ、あいつら、どこから盗んできたのかってことも話していたから、あとでこっそり家の前にでも返しにいくさ」
「ふーん」
支生がそのままもらっていくって言わなくて良かったと比野は思った。
「それより、聞きたいことってなんなんだよ」
聞かれて、比野は支生が落としたものを見た。もちろん、これを聞くために彼を追いかけて来たのだ。
「この栞、実はこれわたしの知り合いが作ったものなんだ。それで、その知り合いが持っているはずのものだから、どうしてあんたが持っているのか、それを聞きたくて」
言うと、支生は首をかしげた。
「そうだったのか。俺は、うーん、いつからこの栞を持っていたのかな」
彼は笑いながらそう言ったが、比野の真剣な顔を見て、その笑顔を引っ込めた。そして顔を比野の方に近づけて声をひそめて言った。
「実を言うとな、俺は、宮中に仕えているんだ」
「? うん」
比野はわざわざ声をひそめてまでなにをいうのかと身構えていたが、支生のことばに肩透かしをくらったような気持ちになった。だからなんなんだろうと、話の続きを待つ。
「驚かないのか?」
「あんたが貴族の若君だってことはわかってる。到底庶民には見えないもん」
支生はなぜだか衝撃を受けたようだが、すぐに立ち直って言った。
「それにしては、気安い口調だが・・・・・・」
「あんたが先に気安い口調でしゃべりかけてきたんじゃん。気に触るなら丁寧な口調にしますけど。若君」
じろりと見返すと、支生は手を振った。
「いや、気安くしゃべってくれ」
「で、宮中に仕えていて、その続きは?」
「そうだった……それで、おれは宮中の書庫に出入りできるんだが、そこである本を読んだときに、栞が挟まっていたんだ。これがすごく綺麗で、印象に残っていたから、しばらく経ってからもう一度その本を見てみたらまだその栞が同じところに挟まっていたから、もらってきたんだよ」
「勝手じゃない! 栞を挟んだ人の許可もなく!」
ふつうはそんなことしないだろう。自分のものでもあるまいに。
「でも、最初に見つけたときから二月も経っていたんだぞ。本当に大切なものなら、書庫の本に挟みっぱなしにはしないだろう。頁だってずれていなかったんだからな」
「それって、いつのことなの?」
「そんなに前じゃない。この栞をもらってきたのは、多分十日ほど前だな」
「そんなに最近なんだ」
支生の話したことが事実だとすれば、少なくともその二月前から書庫の本に栞が挟まれていたことになる。
しかし、その本に栞を挟んだのが姉本人なのか、そうでないのか、判断できない。
「お前の知り合いのものだと言うなら、返しておいてくれ」
支生は比野の手の中にある栞を見ながら言った。
「ありがとう」
お礼を言うと、支生はまたさっきの笑顔を見せた。だからつい言うつもりじゃなかったことを言ってしまった。
「この栞は、わたしの栞と対になってるんだ」
言いながら比野は自分の懐の中から、姉が作ってくれた栞を取り出した。そして、それを支生が落とした姉の栞と並べた。
姉は、秋のある日色づいた葉を、押し花にして栞を作ってくれた。そして、その大きい栞を二つに切り離して、一方を比野にくれたのだ。だから、二つの栞は割り符のようのなっていて、くっつけると、本来の葉の形が現れる。
それを見て支生は本当に感心しているようだった。
「なるほど、素晴らしいな」
支生は、そう言って、姉が作った栞を誉めてくれた。
そう姉は素晴らしい人だったのだ。でも遺体すら見ていないので比野はまだ姉が死んだということを受け入れられずにいる。
「そして、その人はお前にとって大切な人なんだな」
比野の気持ちを読んだみたいに語りかけてきた、支生のその口調があまりにも優しく感じので、無意識のうちに頷いていた。
「うん、でも今は会えないんだ」
彼は比野の言葉にそうかと言ったきりそれ以上はなにも言わずにそっとしておいてくれた。
多分比野が姉を思い出して少し感傷的になっているのを察してくれたんだと思う。
そして、しばらくしてから、一言言った。
「帰ろう」
比野も頷いて、二人は一緒に山を下りた。
比野は断ったのだが、支生は家まで送ると言って聞かず、その流れで宮中の采女だということも、しぶしぶ支生に話してしまった。
ただ、それを聞いても支生はあまり驚かなかった。比野がそれを指摘すると、支生は言った。
「だって、お前はいかにも采女ですといった雰囲気をしているぞ」
今度は比野がなんだか衝撃を受けた。自分ではそんな雰囲気を出しているつもりはなかったのだが、外からみたらそんな風に見えるのか。
ともかくそういうわけで、宮中のそばまで支生に送ってもらった。女官は必ずしも男女交際禁止というわけではないが、あまりいい顔をされないのは確かだし、誤解されるのは面倒だった。