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七 里山での出会い

 わずかに色づいていた木々の葉は、またたくまに色を深めた。紅葉の宴は、実際には、紅葉の最盛期よりも少し早い時期に行われる。

 比野ひのたち三枝掌膳さいぐさかしわでのじょうの下についている采女たちは皆、三枝掌膳の献立が宴に採用されるという朗報を知って喜び、今日のために張り切って支度をしてきた。


 朝、新入りの采女である比野と伊尾いおが真っ先に調理場に出た。すると、そこには信じられない光景があった。今日の宴のために使う玻璃の器が一つ、床の上で割れていたのだ。


「嘘でしょ」


 目の前で起きていることが信じられずに、現実を否定する言葉をつぶやいて、割れた玻璃の器に駆け寄った。玻璃はとても高価なものだ。伊尾も駆け寄ってきて、二人でかけらを拾い集めるが、そんなことをしても、割れた器がもとにもどるわけではない。


 玻璃のかけらを拾うごとに後悔の気持ちばかりが強くなってくる。玻璃の器は高価なので、通常は鍵のかかる倉庫にしまわれている。ただ、明日の宴のためにと思って、鍵のかかっていない調理台の上にほかの食器類とともに準備をしておいたのだ。そのせいで、こんなことになっている。

 

 とはいえ、もちろん玻璃の器のすべてが割れているわけではない。たった一つだけだ。それでも、膳司かしわでのつかさの不注意によって、完全な状態で、もとの倉庫に戻すことができなくなってしまったことに間違いはない。

 

 二人で破片を拾い集めたころ、他の采女が入っていた気配がした。


「あら、そんなところにしゃがみこんで、どうしたの?」


 勝ち誇ったような声音だと、比野は思った。振り返ると、案の定、加賀見かがみがそこにいた。加賀見が仕えている和珥わに掌膳は、紅葉の宴の支度を三枝掌膳に取られて以来、三枝掌膳に対する当たりが強くなっていた。きっと加賀見は和珥掌膳に頼まれて、こんな嫌がらせをしてきたに違いない。


「あんた……!」


 伊尾がそう言って、加賀見に詰め寄ろうとしたのを察して、比野は伊尾を押しとどめた。


「玻璃の器を割ってしまったの? ちゃんと管理をしておかないと」

「あんたがやったんだね」


 加賀見の挑発的な言動に、伊尾は怒って言い返した。それを聞いた加賀見はさらに嬉しそうに笑った。


「わたしじゃないよ。わたしがやったなんて証拠もないのに、決めつけるなんて、最低の人間だね」


 伊尾はさらにかっとなった様子だが、比野は伊尾の腕を掴んだ。振り向く伊尾に比野は首を振る。加賀見の言う通り、証拠はどこにもない。結局のところ、油断していた比野たちのせいなのだ。


「ごめん。混乱して、変なことを言っちゃって。謝る」


 比野が加賀見に謝罪すると、加賀見は、二人を見下ろした。そして、二人をあざ笑った。


「わかればいいんだけど」


 そう言って、手伝おうともせずに加賀見は立ち去った。要するに、加賀見は困っている二人をあざ笑うためだけに、ここに来たのだろう。比野はあまりの悔しさに唇をかみしめた。



 しばらく経つと、三枝掌膳や他の采女たちも調理場に現れた、みんな始め顔を青くしたが、とにかく器が全くなくなったわけでもなく、宴自体に支障はない。気持ちを入れ替えて、宴の支度にとりかかろうということになった。


「三枝掌膳、ちょっと」


 昼近くになって、比野たちが忙しく働いていると、尚膳かしわでのかみがそう言って三枝掌膳を呼んだ。どうしたのだろうか。比野は二人の行方を目で追ったが、すぐに離れた場所に行ってしまったので、それ以上、二人の様子を探ることができなくなった。

 比野が二人を気にしながらも食器を磨くのに勤しんでいると、三枝掌膳は、それほど時間が経たないうちに戻ってきた。しかし、戻ってきた三枝掌膳の顔は曇っている。


「なんのお話だったんですか」


 比野が尋ねても三枝掌膳は、なかなか口を開かなかった。その顔をじっとみていると、ようやく言葉を紡ぎ始めた。


「玻璃の器を使うなって」


 小さな声で三枝掌膳が言うと、采女たちは皆息をのんだ。しばらく続いた沈黙を破って先輩采女が語気を強めて言った。


「こんな直前になってどうしてですか!」


 すると、三枝掌膳はしゅんとして言った。


「うん。今日、玻璃の器が割れてしまっていたでしょ。それを賢貴妃に報告した人がいてね。もともと、賢貴妃は平群九意へぐりのくいの詩を使うことにも好意的じゃなかったし。その賢貴妃が皇太后さまのお耳に入れたらしくって。皇太后さまは質素なものの方がお好みだったようで、玻璃の器を割ってしまうようなら、使うなと仰せだったということみたい」


 俯いた三枝掌膳は泣きそうに見えた。質問した先輩采女は慌てて、手を顔の前で振ってみせた。


「三枝掌膳のせいじゃないですよ。こんな直前に変更することないのにってことです! でも器を変えれば料理自体は作って問題ないわけですよね! なんの問題もありませんよ!」


 すると、三枝掌膳はすこし唇を持ち上げた。


「うん、そうだね。器がないから、詩に見立てることはできなくなっちゃうけど、でも心機一転して頑張ろう!」


 そう言って、無理やり明るい声を出す三枝掌膳を見ているうちに、比野はあることを思いついた。


「あの! わたしに考えがあります!」


 そう叫ぶと、周りの目が一斉に比野の方を向いた。


 ***


「見つかるかなぁ」


 比野と一緒に里山までやってきた伊尾は自信なさそうにしているが、それでは困る。比野は、伊尾の背中に手をまわして軽く二回叩いた。これだけで比野の言いたいことは伊尾に伝わると思う。


 平群九意の詩の意味を表すもの、比野が出した結論は、木の実を使うというものだった。

 もともと今日の献立は、木の実を使った献立を気に入っていたという賢貴妃への配慮から、木の実を多めにしていた。だから、ちょうどいいと比野は考えた。

 

 沢蓋木さわふたぎという植物の実は瑠璃色の実をつけることで知られている。千州ではそれほど珍しい植物ではなかったが、比野は都近くの里山にはまだ行ったことがないので、どうかわからない。それに時期も少し遅い。

 

 三枝掌膳や、他の采女も沢蓋木を知らないと言っていたので、見つかるか不安もあるが、とにかく探してみようと、里山に探しに出ることにしたのだ。


 里山は宮中からもよく見える場所にあって、遠くはない。急いで宮中をでると、昼過ぎには里山まで到着した。宮中では、小袖姿で袴など履かないが、山に行くというので二人とも旅装をとり、動きやすい袴を履いてきた。

 

 見つかるかどうか心配していたが、それほど山深くに入らない内に、沢蓋木を見つけたときは二人して手を取り合って喜んだ。


「やった!」

「あったね!」


 飛び上がって喜んで、その場でひとしきりはしゃいだあとに、持参した布に大切に実をとって行く。十分実を摘んだところで、二人は、今度は足取り軽やかに山を下った。

 想像したよりも早く沢蓋木の実を見つけられたので、日の入りが早いこの季節でも、太陽が沈む前には宮中に戻ることができそうだ。宴は日が落ちてから始まるので、何とか間に合いそうだ。

 

 そうやって気持ちよく山を下りはじめ、道が三つにわかれているところに出た。大声が聞こえてきた。比野と伊尾は驚いて、道の脇によけた。さらに複数人が駆け下りてくる音も。

 

 最初に一人の男が降りてきた。その男は足取り軽く、あまり大きな音を立てずに駆け下りる。驚いている二人をよそに、三つに分かれた下り道のうちの一つの方へ、その男は駆けていった。しかしその時、男は何かを落とした。興味本位で、比野はそれを拾う。  

 

 すると、そのすぐ後に三人組の男たちがどたばたと、駆け下りてきた。


「男が通っただろう。その男はどちらに行った!?」


 三人の内の一人が高圧的な調子で尋ねてきた。彼らは髭を生やし、むさ苦しい姿だった。比野が先に行った男の進んだ方とは別の方を指差すと、男たちはそちらに向かって駆けていった。


「どうして、追われていたんだろう」

「さあ」


 伊尾が首をかしげるのに、比野も同調した。何があったのかは、知らないし、比野たちには関係のないことではある。


「行こう」


 比野はそう言って、男たちが進んだのとは別の方向に歩みを進める。しかし、途中まで行ったところで、やはり気が変わって、抱えていた沢蓋木の実の包みを伊尾に押しつけた。


「先に戻ってて、すぐ追いつくから」

「え? なんで?」

「さっきの男の人が、落としていったものがあるでしょ? それを帰さないと」

「そんな、危ないよ!」


 返事を待たずに走りだした背中に、伊尾の声を聞いたが、ごめんとだけ返して比野は急いで元の道を戻った。先ほどの分岐点までたどり着くと、最初の男が向かった方向に進んだ。

 男に追いつくだろうか。わからないが、追いつきたい。しかし、下りとはいえ山道を走っているせいで、息が切れてきた。

 もう走れそうにないと思ったところで、男たちが倒れている姿が見えた。

 

 不審に思ってゆっくり近づくと、男を追いかけていた方のむさ苦しい男三人組だった。あの三人が走り去ったのはこっちじゃなかったのに、しかもどうして倒れているんだろう。

 

 恐る恐るさらに近寄ると、突然喉元に刀が突き出された。いつの間にか背後には誰かがいて、後ろから首筋に小刀が当てられている。比野は驚いて、運動を終えて落ち着いてきた心臓の鼓動が再び早くなった。



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