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六 献立選び

 神無月も半ばを過ぎると、寒さを感じるようになってくる。素足の裏にひんやりとした木の板を感じながら、三枝掌膳さいぐさかしわでのじょうは緊張して、承香殿の孫庇を進んだ。庭の木々の中には既に色づき始めたものもあり、秋の深まりを感じさせた。尚膳かしわでのかみおよび、三人の掌膳は頭を下げて、妃たちに敬意を表した。


「よく来た。顔を上げなさい」


 優しげな声が聞こえた。三枝掌膳が恐る恐る顔を上げると、美しい女人がいた。中宮だけが着ることができる白い打ち掛け姿をしている。

 中宮の両脇には、お妃がたがずらりと並んでいて、三枝掌膳は圧迫感を感じた。こちら側から見て、中宮の右隣にいるのが賢貴妃だろう。恐れ多いことではあるが、気が強いという噂どおりの顔立ちだと三枝掌膳は思った。

 そんな三枝掌膳をよそに、中宮は言った。


「今日は、紅葉の宴の献立を決める日であるな。掌膳はそれぞれ、献立を考えてきていることと思う。それを今、この場で発表してほしい」


 中宮に命じられて、三枝掌膳ら三人の掌膳は、それぞれの献立を書いた紙を中宮に献上した。中宮はそれを無言で眺めたあと一つ頷いて、賢貴妃にその紙を渡し、妃たちは一人ずつ、献立を見ていく。それが、三人分続いた。

 三人分の献立を見終わった後に、賢貴妃は中宮の言葉を待たずに、自らの思うところを言った。


和珥わに掌膳の献立はなかなか興味深いな。秋の味覚尽くし、特に木の実尽くしとは。それに果物も含めて、見た目に鮮やかになりそうでよい」


 賢貴妃は高級であればあるだけ、好ましく思う方という勝手な印象があったが、実際はそうでもないらしい。賢貴妃の隣にいた徳妃も同意した。


「仰せのとおりです。わたくしも、栗、銀杏ぎんなん、どれも好きです」

「わたしは、通草あけびに目がない」


 徳妃に賢貴妃も答えて、二人で楽しげに会話する。そんな二人に水をさしたのは、中宮だった。


「秋に秋の味覚を食べるのは当たり前のこと。木の実尽くしとは、庶民の行いそうなことではないか。宮中の宴に相応しいとは思えない」


 厳しい声音だったので、中宮の顔色を恐る恐るうかがった三枝掌膳だったが、うかがい見た中宮の顔には笑顔が張り付いていたので、余計、怖くなってすぐに頭を下げた。


「まあ、中宮さま、せっかく掌膳が考えた献立をそのように無碍にしては気の毒ではありませんか。常に、周りにご配慮くださる中宮さまのお言葉とも思えませんね」


 貴妃は楽しげに言った。中宮の張り付いたような笑顔とは対照的な表情をしている。貴妃は続けた。


「わたくしは和珥掌膳の献立を推します。宮中だからと言って、何事も豪華にしなければならないと言うことはないと思います。わたくしたちの暮らしがあるのも、農業などにいそしむ民があってのこと。秋の様々な収穫物をいただきながら、その者らの暮らしに思いをはせる。そういう時間があってもよろしいのではないでしょうか」


 その言葉に中宮はなにも答えなかった。おそらく、言いたいことは色々あったのだろうが、賢貴妃の言うことは正論だったので、なにも言うことができなかったのだろう。


「淑妃はどう思う? このたびの宴は、そなたが主宰することになる。そなたの意見が重要だ」


 中宮は、自分の左にいる淑妃に話を振った。淑妃は中宮に向かってうやうやしく答えた。


「わたくしは、三枝掌膳の献立に心惹かれます。なぜなら、平群九意へぐりのくいの詩に見立てるなど、心憎い演出ではありませんか。陛下や大臣方も喜ばれましょう」

「平群九意は、我が一族の面汚しであるぞ」


 淑妃の言葉が終わるか終わらないかのうちに、賢貴妃は声を荒げた。三枝掌膳は冷や汗をかく。もしや賢貴妃の気分を害したのだろうか。それを聞いた中宮は、笑って賢貴妃を宥めた。


「五十年も昔のことではないか。いい加減水に流さなければ。彼がどういう立場であったかに係わらず、彼の詩は素晴らしいものだ。何の問題もあるまい」


 中央の名門、平群一族から出た平群九意は、優れた詩を多数残したことでよく知られているが、平群一族間の争いに敗れた悲運の詩人でもあった。朝廷に弓を引いたわけではないので、彼の詩は避けられてはいないが、平群一族の内では、今でも敵対者の扱いらしい。


「わたくしは、反対にございます」


 賢貴妃はまだ反対を続けたが、それに対して、中宮は穏やかに言い聞かせる。


「しかし、今回は承香殿で行われる宴だ。淑妃の意見が最も尊重されるのは、仕方がない。前回の桜の宴は登華殿で行ったので、そなたの意見を尊重したではないか」


 そういうと、賢貴妃は押し黙った。そんな賢貴妃を徳妃は不安そうに見守る。やがて賢貴妃は言った。


「そういえば、そろそろ猫の相手をしてやらねばならぬ時間のようです。中宮さま、申し訳ありませんが、これにて失礼させていただきます」


 そういうと、中宮がまだ何も言わないうちから立ち上がった。その姿に周りの妃たちは頭を下げる。賢貴妃は退出する途中で三枝掌膳の前で立ち止まった。不審に思って顔を上げると、賢貴妃は三枝掌膳をじっと見つめ、何も言わずに再び歩き始めた。三枝掌膳は、血が凍えたような心地を味わった。


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