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五 紅葉の宴

「ここでみんなで寝るのも、今日でお終いか」


 一人の見習い采女が言った。一月(ひとつき)に渡った見習い期間も今日で終了。見習い采女たちは皆、配属先が決まり、明日にはここを出て各官司に移ることになる。あっという間の一月間だった。比野ひのもそう思っていたところ、伊尾いおに横から突っつかれて、一緒に外に出た。空を見上げると、星が良く見えた。


「明日からも一緒に居られて、良かった」


 比野もそれに頷く。


「うん。二人とも膳司に受かったから、安心した」

「でもさ、尚膳かしわでのかみさまは絶対初めは、加賀見かがみを落とそうとしてたよね」


 比野と伊尾の二人は、無事に合格した。それはいいのだが、尚膳に叱られているようにみえた加賀見まで、膳司に合格したのだ。伊尾は、加賀見を合格させたのは尚膳の意思ではなかったと主張しているようだ。


「どうなんろう?」

「絶対だよ。尚膳さまに耳打ちしたのって内侍司の女官でしょ。女官長さまの差し金だよ」


 伊尾は握りこぶしを振った。女官長はもともと内侍司ないしのつかさの女官だったので、内侍司には女官長の息がかかっているといいたいのだろう。確かに、耳打ちされてすぐに、合格した女官を発表したので、そこに因果関係があるのやもと疑いたくなる気持ちは、比野にもわかった。真実が明らかになることはないだろうが、ともかく、比野たちも加賀見もそろって明日からは膳司かしわでのつかさの采女となる。


「でも、加賀見の料理の腕が確かなのは間違いないよ。明日から一緒に働くわけだし、それなりにうまくやるしかないんじゃないかな」


 同じ膳司に入るための敵だと思っていたから、比野に嫌がらせのようなことをしてきていたとするなら、もう膳司に入ってしまったんだから、嫌がらせは落ち着くだろうと、信じたかった。


「その考えは甘いよ!」

「ほっぺ、膨らませてかわいいね」

「もう! わたしは真剣に言ってるんだけど!」


 伊尾がそう言って、頬を膨らませたその姿が可愛くて、指でつついてからかったら、伊尾を怒らせてしまった。しかしそのままじゃれ合いに移る。こうして、見習い采女として最後の夜は更けていった。


 ***


 比野たちが膳司に入って、すでに十日過ぎた。夜の膳司で、比野は食器を洗い終え、掃除も済ませて、一人で調理場を出る。新入りの采女四人の指導には、三人の掌膳かしわでのじょうが当たる。 比野と伊尾は、試験のときに最初の講評で二人を褒めてくれた三枝さいぐさ掌膳の指導を受けることになった。

 

 膳司は典膳かしわでのすけ二人と掌膳三人による五つの班があり、その班ごとにそれぞれ食事を担当する。例えば、今日の夕食は某典膳の班の担当で、明日の夕食は某掌膳の班の担当というように決まっている。

 

 最近掌膳となったばかりだという、三枝掌膳の下には、比野と伊尾の他にも五人の先輩采女がいた。その先輩采女たちは思いがけず全員が比野たち二人に優しかった。一年くらいは、先輩たちにまともに相手にしてもらえないと思っていたが、そんなことはなかった。


 しかし、三枝掌膳は、最近は紅葉の宴の献立に頭を悩ませているようだ。先輩采女たちと、よく話をしている。

 紅葉の宴というのは、宮中の宴のうちの一つで、後宮の妃によって主催されるものである。今年は淑妃が紅葉の宴を主催することに決まっている。しかし、参加者は妃だけに限らない。皇帝や大臣も参加する、本格的な宴だった。

 

 その宴のための献立案を、今回は掌膳三人が提出することになっていた。その中からもっとも優れたものが宴の献立となる。

 

 とはいえ、献立を決めるのは、三枝掌膳であり、入ったばかりの比野や伊尾たちにできることはなかった。

 比野たち新入り采女の仕事は、水くみ、掃除、食器洗いで、次の采女が入るまでは、包丁一つ持たせてもらえない。ただ、調理場に最後まで残って、後片付けをするのが仕事だ。 


 

 今日も遅くまで残っていたが、伊尾は、頭が痛いと言っていたので、早めに帰らせて、比野が一人で最後の片付けをした。膳司から女官たちが寝泊まりする、采女町までは近い。

 比野は自分だったら、紅葉の宴の献立をどうするかと考えながら夜道を歩いていると、采女町をちょうど出たところの路上で何やら独り言を言いながら、行ったり来たりしている三枝掌膳を見かけた。


「ううん、これではない気がする」

「どうなさったのですか?」


 比野は三枝掌膳に声をかけた。三枝掌膳ははっとして振り向いた。そして、ばつの悪そうな顔をした。比野が近づいていることに気づいていなかったらしい。


「もう、片付けは終わったの?」

「はい」

「お疲れさま。それにしても変なとこ見られちゃったね」


 三枝掌膳は、親しげに話してくれた。


「いいえ。紅葉の宴の献立についてですか?」


 聞くと、三枝掌膳は頷いた。


「うん。大方、料理の内容は決まったんだ。でも、主題みたいなものが決まらないんだよね」

「主題ですか?」

「そう。紅葉の宴なのだから、赤い鯛を主菜にして、緑の青野菜、黄色い、銀杏なんかを配置しようと思うんだよね。そうやって木々の葉に見立てるように。でも、それだけだと、なんとなくしっくりこなくて」


 三枝掌膳は首をかしげながら言った。あまりいい考えが浮かんで来ないようで、眉間に皺を寄せている。

 秋の涼しい夜風が、二人の間を吹き抜けていくのを感じながら、比野はこう行ってみた。


「わたしの考えをお話してもいいですか?」


 新入りが意見を述べるなんて、おこがましいと言われたらすぐに謝るつもりだった。でも、掌膳は顔を輝かせて言った。


「うん。なんでも言って。ちょっとした意見が、別の考えにつながることもあるしね」


 掌膳は、とても鷹揚な人だと比野は思った。


「それでは、わたしの考えを述べさせていただきます。お作りになった料理を、詩の一節を見立てるというのをいかがでしょうか。例えば、わたしの好きな秋の詩にこのようなものがあります。

《洞中には清浅せいせんたり瑠璃の色 庭上には蕭条しょうじょうたり錦繍きんしゅうの林》

これは、宮中の庭の池にそそぐ瑠璃色の水と刺繍の美しい錦のように色づいた庭の木々についての詩です」

平群九意(へぐりのくい)の詩だね。確かによさそうだけど、瑠璃色の食材は思いつかないけど」

「はい。瑠璃色のものは、食材でなくともよいのではないでしょうか。瑠璃色の玻璃の器が宮中にはたくさんありますよね。これに水を入れれば、まさに瑠璃色の池に見立てられるかと存じます」


 そう言って、比野は頭を下げたが、三枝掌膳はしばらく黙っていた。不安になって、ちらりと顔を上げると、三枝掌膳は抱きついてきた。


「すごい! あなたって天才! そうしよう!」


 言いながら、三枝掌膳は比野の背中をばしばし叩いた。比野の鼻がちょうと、三枝掌膳の肩に当たる。すごく良い匂いがした。膳司の女官は香をつけることが禁じられているのに、いったい何の匂いなんだろう。


「ありがとう! 比野はすごい子だね!」


 そう言って、三枝掌膳はあっという間に采女町の方にかけていってしまった。その姿を呆然と見送りながら、比野は思う。本当にすごいのは三枝掌膳の方だ。

 新入りの意見をこんなに素直に、すごいすごいと受け入れられる人は、中々いない。普通は、自尊心が邪魔をしてしまうから。でも、そんなところも、本当に姉上に似ている。



作中で平群九意の詩として引用しているのは、実際には『和漢朗詠集』所収の慶滋保胤の詩です。

参考文献:藤原公任(編)菅野礼行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19和漢朗詠集』小学館 1999年

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