四 合格者
刻限までに、二人はなんとか料理を完成させた。比野たちが作ったのは、鯖の煮物と、里芋と人参と椎茸の煮付け、蕪のおひたし、そしてわかめの味噌汁だ。
さらに、栗をご飯に混ぜて炊いた。我ながらおいしそうだ、と比野は思った。
そして、できあがるのを待つ膳司の女官たちのもとへと運ぶ。審査担当の女官は膳司の役職についている、尚膳一名と典膳二名、掌膳三名だ。それぞれが、志願者の料理を一口ずつ食べて、合格者が選ばれる。
すべての見習い采女の調理が終わると、審査をする女官を前にして、見習い采女たちは、自分の作った料理を掲げて持った。
比野たちの前に立っている、尚膳は、五十代ほどと見え、朱の打ち掛けを羽織り、威厳あるたたずまいだ。女官長も厳格そうだと思ったが、比野は尚膳にも同じような印象を持った。
ぱっと見の印象で、違うところがあるとすれば、女官長は大柄だったのに対して、尚膳は非常に小柄だという点くらいだ。
見習い采女が尚膳の一挙一動に注目している中で、尚膳は言った。
「今日の試験のために、よく料理を作ってくれて感謝する。結果的に合格・不合格をつけざるを得ない試験ではあるが、そなたたち皆、よい仕事をしたと報告を受けている。例え不合格となったとしても、気落ちせずに精進してほしい。では、一人ずつ前にでよ」
よく通る、はっきりした声音だった。声を聞いた瞬間、比野はこの人は信頼できそうだと感じた。そう思わせるだけの温かさがその言葉にはあった。
尚膳の言葉にしたがって、見習い女官たちは順番に試験官の女官たちに、料理を献上した。
何番目かの順番で、加賀見たちに順序がまわってきた。比野の順番はまだこない。加賀見が作った料理は、見るからに豪華だった。
糸撚鯛の煮付け、焼いた牡蠣、そして、松茸のお吸い物に松茸ご飯。端から見ていても食欲がそそられた。
あれだけの物が作れるなら、わざわざ、比野を敵視しなくても、自分の腕を磨いていけば、それでいいのに。比野には加賀見のことがよく理解できなかった。
そして、比野たちの順番が回ってきた。料理を取り分けて、試験官の女官に献上する。
女官たちは、比野たちの料理を食べると少し頷いた。それを見て、比野たちは料理を下げる。女官たちは受験者の見習い采女の料理に対して、個別の感想を逐一言ってはいかない。最後にまとめて、講評があるらしい。
そうして、見習い女官たちの料理を食べ終わると、見習い采女たちへの質疑の時間となる。試験官の女官たちは、下位のものから順に、見習い采女たちの料理の講評をすることになる。
そして、試験官の指名した采女は試験官から質問を受ける。実際の料理と、その質問の結果を吟味して、最終的に尚膳が合格者を決める、という手順になる。
まず、最初に立ち上がった掌膳は、見習い采女たちに優しく微笑んだ。なんとなく、雰囲気が姉上に似ているなと比野は思った。
「まずは、試験に参加したみなさんお疲れさま。どの料理もとてもおいしくいただいた。この中で合格者として誰かを選ぶのは難しいけれど、あえて、選ばなければならないなら、わたしは比野と伊尾の二人を挙げたいと思う」
やった! 比野は内心でにんまりした。自分が選ばれないはずはないと思っていたが、それでもほっとする。掌膳は続けた。
「まず、料理の見た目が良かった。人参で作られた花は繊細優美であり、食べる前から目を引いた。そして、肝心の味も非常に美味であった。鯖の煮つけは、香り、風味ともに豊かであった。花を作ったのは伊尾、味付けをしたのは比野と聞いている。二人ともよくやったと褒めたい」
比野と伊尾は頭を下げて礼を言った。
「ほんとは、花を作るのだって、比野の方がよくできるのに。ありがと」
伊尾が小さく笑った。比野は首を振る。
「伊尾がうまく作ったから褒められたんだよ」
比野も伊尾に笑いかけた。そんな二人に掌膳は微笑みかけると、質問を行った。
「比野と伊尾は新鮮な食材を選べなかったと聞いたが、食べてみると、それを感じさせなかった。どのように作ったのだ?」
「お答えします。井戸から水を汲んで参りまして、できるだけ冷たい水で野菜を洗うようにしました。冷たい水は野菜の食感を良くする効果がありますので。また、魚類は酒と生姜で煮込むことによって臭みを消すことができます」
比野がどのように調理を行ったか、詳細に説明すると、掌膳の顔の笑顔はどんどん広がった。手応えを感じながら、比野たちに対する質問は終わる。
次に隣の掌膳が立ち上がった。
「わたしは、なんといっても、加賀見が抜けていたように思う。まず、加賀見は非常によく素材を選んだ。そして、どれも素材本来の味をよく引き出している。料理するものにとって、もっとも大切なのは、食材を選ぶ目である。味付けや料理の見た目などは、二の次、三の次である。無論、それが重要でないという意味ではない。加賀見は良い食材を適切に調理し、見た目も非常に食欲をそそった。従って、加賀見を推薦するのは当然のことと考える」
加賀見は喜色満面の表情で礼を述べ、質疑にも答えていった。加賀見の質疑はよどみがなく、料理に対する深い知識が窺えた。
比野から見ても、加賀見を推薦した掌膳の言い分はもっともだと感じた。ただし、比野たちが食材を選ぶのを妨害したりしていなければ、の話だが。
その後も、それぞれの女官による質疑が終わり、比野は自分たちへの質問に問題なく答えることができた。そして、最後に尚膳が立ち上がる。彼女は、試験を受けた見習い采女全員を見回して言った。
「全体の講評としては、これまで試験官を務めた女官が、わたしの質問したいことを聞いてくれた。それに付け加えなければならないことは、ほとんどない。ただし、一つだけ言っておかねばならないことがある」
比野は尚膳の次の言葉を待った。尚膳は続けて言った。
「それは、料理というものを作るときは、いつ誰に出すかを考えなければならない、ということである。加賀見、そして比野、そなたらに質問したい」
指名された加賀見は、顔を輝かせて言った。
「はい。なんでございましょうか」
比野もどきどきしながら答える。
「そなたたちは、今日誰にむけて料理を作った?」
加賀見はすぐに答えた。
「尚膳さまたちでございます」
比野は、どのように答えるのが正しいだろうかと頭を悩ませたが、答えがでず、結局、加賀見と同じことを答えた。尚膳は頷いた。
「その通り、本日、そなたらには、われわれ女官らの昼食を作ってもらった。しかしながら、加賀見と比野が作ったものは全く異なっていた。一方は贅沢な料理であって、もう一方は質素な料理である」
言葉を切った尚膳にむけて、加賀見が胸を張って答えた。
「尚膳さまたちに食べていただく料理ですから、そのために相応しい食材を選び、腕によりをかけて調理いたしました」
「わたしは、そなたを褒めたわけではない」
得意げの加賀見の言葉が終わらないうちに、尚膳は言った。尚膳の言葉はゆっくりとして、むしろ優しいほどだった。しかし、それを聞いた加賀見は真っ赤になった。尚膳は、次に比野に向かって言った。
「そなたらが、なぜこれらの料理を作ったのか、その理由を述べてみよ」
比野は、ごくりと唾を飲んでから、慎重に答えた。
「お答えいたします。女官というものは、皇帝陛下や皇太后さま、お妃さまたちにお仕えするのが仕事でございます。贅をつくした料理はお仕えする方たちにこそ、相応しいもの。素晴らしい食材は、まず陛下たちにお届けすべきものでございます。しかしながら、料理をする立場では、常に創意工夫を忘れてはならないと考えています。豪華の食材でなくても、常に最善をつくした調理を行うことは、尚膳さまたち目上の方への尊敬の気持ちの表すこと、また腕を磨くことでひいては陛下たちにお仕えすることにもつながると考えたしだいで、このような料理となりました」
比野の答えに満足したらしく、尚膳は頷いた。
「よし、比野はよくわかっているな。女官は皇族でもなければ、大臣でもない。さらに言えば、夕食ではなく昼食である。女官には、分不相応な料理は不要である」
比野の隣の伊尾が腕で突いてきた。見ると、こっそり、目で加賀見を示している。加賀見は、端から見てもわかるくらい青くなっていた。さっきは赤い顔をしていたのに、いそがしい顔色だ。加賀見の料理は、鯛、鮑、松茸と高級な食材ばかりを使っていた。正直言って、これだけ多くの人の前で、加賀見が恥をかかされているのをみるのは気味が良かった。比野は神妙な顔をしながらも内心ではこっそり舌を出した。
そこへ、一人の女官が入ってきて、尚膳に何やら耳打ちした。尚膳はそれを聞いて眉をひそめたが、手を振って、その女官を下がらせた。そしてついに、合格者の発表の時間を迎えた。
「では、これから、合格した采女を発表する」
尚膳の言葉に、比野たち見習い采女は、みな体を固くして、誰が選ばれるのかを待った。