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三 試験開始

 見習い采女たちが寝静まったころ、比野ひのは一人で寝床を抜け出した。西の空に沈みかけた月明かりを集めて、手のひらに握ったものを見つめた。何年も前に姉がくれた栞だ。姉は比野がまだ小さかった頃の秋の日、黄色く色づいた銀杏イチョウの葉を押し花にして、栞を作ってくれた。姉と比野の分、二つで一つとなる栞だ。その栞を見て、比野はまだ幼かったころの、姉の姿を思い浮かべた。


「姉上、わたしは絶対に、姉上がどうして死ななきゃいけなかったのか、その理由を突き止めてみせる」


 栞に向けて、自らの決意を改めて小声で誓う。比野の姉の捺香子(なかこ)は、五年前に采女となって故郷を去った。そして二度と故郷に戻らなかった。

 都から届いた文によれば、采女となった捺香子は、ある夜皇帝に見初められて、妃の末席に連なることになったらしい。妃には中宮を最上位にいくつもの序列があるが、その一番下が官女子の位を賜ったらしい。采女が皇帝のお手つきとなった場合、その女に与えられる位だ。

 

 でも、そうやって官女子になったという文が届いて、それほど間がない内に卒去し(なくなっ)たということが、紙切れ一枚で知らされた。理由や経緯は何もわからなかった。

 だから、反対する父を半ば騙すようにして、叔父の養子になって名前も変えて、こうして都にやって来た。それもこれもすべて、どうして姉が死んだのか、その理由を知るためだった。

 

 比野は月明かりの中で、握った栞を、大切に寝間着の中にしまった。


 ***


 一月の見習い期間を経て、比野たち見習い采女はそれぞれ希望の官司の試験を受けることになる。とは言っても、各官司の試験は同時に行われるので、第一希望の官司に落ちたら第二希望の官司を受ける、というわけにはいかない。

 もし希望する官司に不合格になった場合、欠員のある官司にまわるか、あるいはどこの官司にも属さない、下働きになる他ない。下働きを一年続ければ、改めて、希望の官司の試験を受けることができるものの、二年目以降に受かる采女は多くない。


 比野は、初めから後宮の料理を担当する膳司かしわでのつかさに入ると決めていた。なぜなら、比野は料理の腕に自信があるからだ。しかし、膳司は見習い采女たちの人気の高い官司であり、同期の見習い采女五十九人のうちおよそ三分の一の十八人がこの膳司の試験を受けることになっている。競争率が高い官司に全く不安がないとは言えない。

 

 なお、一番人気が高いのが、皇帝の近くに仕えたり、後宮の人事に携わったりする内侍司ないしのつかさである。歴代の女官長も内侍司出身者が多く、後宮十二司の中でも一番重要とされている官司だった。


 比野も、内侍司を希望するか、実は迷った。皇帝に接近する機会もあるし、後宮の秘密に最も近いのは内侍司ではないかとも思った。でも、内侍司に入ったからといって、すぐに皇帝に仕えられるはずもない。結局、出世していく必要があるのは膳司かしわでのつかさと同じである。膳司も出世すれば、皇帝や妃たちとの接点の多い職場だ。自分の得意なことが活かせる官司に入るべきだと、最終的には決めた。


「どきどきするね」


 やっぱり同じ膳司を受ける伊尾いおは比野にそうささやきかけて、比野の手を取り、自分の胸を触らせた。比野は、確かに鼓動が速くなっているのを感じた。


「ほんとだ」


 比野は少し笑った。伊尾のおかげで、緊張が少しほどけた気がする。


「比野は緊張しないの?」

「緊張してるよ」

「嘘。全然、平気そうに見えるよ」


 比野は昔から、実際には緊張しているときも、緊張していないように見えると、よく言われた。緊張が表に出づらい人間のようだ。


「頑張ろう」


 比野は笑って伊尾に言った。

 膳司の合格人数は年によって異なるものの、だいたい毎年四人前後だ。十八人の中から四人になるわけだから、受かる方が少ない。


「うん」


 伊尾もそう言って比野の前に拳を出してきた。比野はその拳に自分の拳をくっつけて、試験のための気合いを入れ直した。


 試験の内容は、膳司の女官たちの昼食を作ることだ。料理は指定されてはおらず、見習い采女たちは並んでいる食材の中から料理を作る。試験開始が告げられると、比野は、まず主菜となる魚を選ぼうと、魚が並べておいてある台へと向かった。

 そのとき、誰かにうしろからぶつかられた。その衝撃で、比野は思わずつんのめった。


「ちょっと!」


 比野が呼び止めると。ぶつかってきた女は少しだけこちらを振り向いた。その瞳には、比野に対するまぎれもない敵意が浮かんでいる。


「人にぶつかっておいて、謝りもしないってどういうこと!?」


 怒りを声に出すと、その女は比野を見下すように笑った。


「あら、そんなところにいたんだ。気づかなかった。ごめんなさい」


 そう言うが早いが、さっさと比野のもとを立ち去った。言葉だけの謝罪で、中身は少しもない。


「比野、今は試験中だから」


 そう言って、伊尾は比野を宥めた。伊尾の言うとおり、現在はまさに膳司の試験の最中だ。


 ぶつかってきた女は、最近やたらと比野に突っかかってくる、同期の加賀見かがみだ。比野を突き飛ばした後、わき目もふらずに魚が置かれた台に向かっていく。魚を選び始めた。

 比野は何か言い返したかったが、ここでこれ以上騒ぎ立てても仕方がない。騒ぎを起こせば、試験自体がうまく行かなくなる可能性がある。

 

 比野は悔しい気持ちを抑えて、伊尾に頷きかけ、魚を選ぶために台に近の方に歩いた。ただし、台に近づいたころには、よさそうな魚はすべて加賀見とその取り巻きによって占められており、残った魚は鮮度の落ちた魚ばかりだった。


「これしか残っていないだ」


 伊尾が残念そうに言う。比野も気持ちは同じだったが、ここで残念がっていても仕方がない。自分の籠に鮮度の低い鯖を入れた。


「でも大丈夫。考えがあるから」


 比野は伊尾に笑いかけた。もちろん本来であれば新鮮な魚を調理するに越したことはないが、多少鮮度が落ちたとしても、おいしく食べる方法はいくらでもある。それに主菜だけが、料理ではない。切り替えて次の食材に向かった。

 しかし、野菜の台でも状況は同じだった加賀見には、取り巻きがたくさんおり、よい食材は既に奪われてしまっていた。


「みんな、すごいよね。いくら加賀見が女官長の姪っ子だっていっても、加賀見自身が偉いわけじゃないのに」


 伊尾は不満そうに言った。その言葉に思わず比野も同意する。


「確かに。あんなに取り巻きを作っちゃって」


 十人近い見習い采女が加賀見を囲んでいる。膳司の採用人数は二組四人なので、そんなことはあるはずもないが、仮に加賀見とその取り巻きから採用されるとしたとしても、全員は選ばれないのに、よくやるよな、と比野は思う。そして、十日程前のことを思い出した。



「宮中に上がったら、おいしいものがたくさん食べられると思ってたけど、いつも同じ食事だよね」


 夕食時に一人の見習い采女が言った。その日の、というかいつも見習い采女の夕食は、強飯に鰯が一匹、茹でた野菜、それから、調味料として、少しの味噌、塩、生姜だった。

 

 そう思うのも無理もないなと比野は思った。采女は地方の長官や国王によって、毎年二人が選定される。ただし選定されるには、一定以上の家柄を持つこと、という条件がある。比野だって、父親は千州の国王だ。地方では良家の子女として生まれ育ち食べ物もいいものを食べてきたはずだ。突然質素な食事に戸惑うのも無理はないと思った。

 ただ、質素な食事でも、少しでもおいしく食べる方法を考えるのは、楽しかった。


「こうしたら、おいしいよ」


 比野はその見習い采女に、自分の食べ方を披露してみせた。懐から小刀を取り出して、生姜を細かく刻むと、味噌と混ぜた。それをご飯乗せて食べる。生姜と味噌と味噌の香りが良い感じに鼻に抜けて、おいしい。


「へー!」


 周りの見習い采女たちもこぞって比野の真似をした。


「すごい! おいしい」

「本当だ!」


 見習い采女たちは口々に喜びの声を上げた。


「ねぇ、比野はやっぱり膳司を志望するの?」


 見習い采女は研修期間を半分以上過ぎて、ここしばらくは、皆どこの官司を受けるのかを気にしていた。


「うん」


 もう決めていることなので、肯定した。すると見習い采女たちはやっぱりねと頷きあった。するとそこに横入りしてきたのが、加賀見だった。


「比野も、膳司を受けるつもりなの?」

「そのつもりだけど」 


 そのときはまだ、加賀見は女官長の姪だという噂は広がっていたが、比野と加賀見との仲は別に悪くなかったので、比野は素直に答えた。


「それで、味噌と生姜なんて誰でも思いつきそうな組合せを大きな顔で語ってるんだ」


 加賀見が嫌味な口調で言った。比野もむっとした。


「だったら何? みんな喜んでるんだからいいでしょ?」


 言い返すと、加賀見は思いっきりこちらを睨んできた。それ以来、比野は加賀見に何かと目の敵にされている。多分、同じ膳司に入ることを狙う敵だと思われたに違いない。さらに取り巻きを増やして、一緒にしょうもない嫌がらせをしてくるからかなわない。


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