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番外編:木の実

 まただ。

 いつものように朝、調理場に向かうと、その前に木の実が転がっていた。どんぐり、栗、胡桃。

 比野はしゃがんで木の実を拾いながら考える。いったいどうして、ここに木の実が転がっているんだろう。


 少し遅れてやって来た伊尾は、しゃがんでいる比野を見て目を見張った。


「何してるの?」


 伊尾は言いながら視線を比野から地面の上へとずらしたようだった。そして、比野の手の中の木の実に気がつく。


「また? 昨日もあったよね?」


 問いかけてくる伊尾にうなずいてみせながら、比野は木の実を拾いおえると、立ち上がって伊尾に並んだ。


「どうしてここに木の実が転がってるのかな? 木の下ってわけでもないのに」


 比野はそう言いながら周囲を見回すが、調理場近辺には木が生えていない。伊尾も首をひねって言った。


「動物かな? 鳥が落としていったのかもしれないね」


 比野は空を見上げてみた。確かにこの場所はいつも色々な種類の鳥が行きかっている。でも果たして鳥が昨日、今日で同じ場所に木の実を落としていくなんてことがあり得るだろうか。


 比野の納得いっていなさそうな表情を見て、伊尾は比野の腕に自分の腕を絡めた。


「じゃさ、誰が木の実を置いていったか見張ろうよ。動物なのか、あるいは人間なのか、それとも他のなにかなのか」

「他のなにかってなに?」

「えー? 幽霊とか?」


 比野が腕を絡めている伊尾をちらりと見てみると、彼女はやたらと楽しそうだ。

 うーん。まあ、見張ってみるのもありか。伊尾の表情を見ているとそんな気もしてきた。


「わかった。じゃあ今日の夜、見張ってみようか」


 比野が同意すると、伊尾はやったと小さく手を握った。なにがそんなに嬉しいのやらとは思うけど、伊尾が嬉しそうなので、まあよしとしよう。



 ***



 月のない夜だった。

 調理場の陰に隠れて手元の火を消したら、比野のすぐ隣にいる伊尾の顔がようやく判別できるかどうかというほどまで暗くなる。


 空を見上げると、無数の星々が輝いている。こんな日は、星を詠むことが得意だった姉のことを思い出す。


「ねえ、一体なにが現れるかなあ」


 伊尾は、はっきりわかるぐらい浮ついている。普段と違うことをしているのが楽しいのだろう。比野は内心では、早く寝たいと思っていたが、昔から伊尾のこういう顔には弱い。


「どうだろうね」


 楽しそうな伊尾に水をささない程度の感情を込めて比野は答えた。すると、伊尾はさらに続ける。


「わくわくするね」

「うん」


 比野が同意すると、伊尾は満足したらしい。にこにこしながら大人しくなった。あんまり騒いでいては隠れている意味がないと、伊尾もわかっているらしい。静かになった伊尾と比野の二人は、音を立てないようにして、入り口を見張る。




 どれくらい時間が経っただろうか。触れるほどすぐ近くにいた伊尾の体重が比野の肩にかかってきた。隣をみると伊尾が目を閉じている。


「伊尾、伊尾」


 比野がささやき声で呼びかけても、伊尾は返事をしない。どころか、前より一層、比野にもたれかかってくる。


 これは寝ているな。


 比野は伊尾を揺すって起こそうかとも思ったが、伊尾の幸せそうな寝顔が目に入ってしまい、考え直した。

 そして、伊尾を背負うと、自分たちの部屋に戻ることにする。これ以上、ここにいてもしかたがない。


 えっちらおっちら、自分たちのへやに戻りながら比野は思う。ううっ、伊尾、重いよ……。




 翌朝、自分が布団の上で寝ていることに気づいた伊尾が悔しがっていたが、比野はその叫び声を右から左に聞き流して、二人で調理場に向かう。


「ある!」


 調理場の入り口を見た伊尾が大きな声を出した。比野も伊尾の右に立ってそれを確認する。たしかにそこには木の実が置いてあった。


「比野! あなたは見てないの?」


 比野はそう聞かれて、黙って首を振った。


「あんたが寝ちゃって、揺すってもおきないから、あきらめて部屋に戻ったし」


 そう言うと、伊尾は地団太を踏んで悔しがった。


「なんでわたしは寝ちゃったんだろ? それに比野も比野だよ。わたしが寝ちゃってたとしても、監視を続けてくれたってよかったのに!」


 えー、だって徹夜したら、翌日つらいもん。とは言わず比野は伊尾に謝罪する。


「ごめん、ごめん」


 比野の言葉に伊尾はなおも唇を尖らせながらも、しぶしぶ自分の方も謝罪してみせた。


「わたしこそ、途中で寝ちゃってごめん」

「全然いいよ」


 伊尾のこういうところがかわいいんだよな、と思いながら比野は返事を返した。


「あー! それにしても気になる。一体どうして、木の実がこんなところに落ちてるんだ!!」


 伊尾の叫びに、比野も確かにそうだと思いながらも答えた。


「確かに疑問だけど、今は仕事をする時間だよ」



 ***



 仕事が終わった後、支生しきに会った比野は昨日あった出来事を話して聞かせた。なぜだか調理場に木の実が置いてあって、誰が、あるいはどんな動物がそれを置いたか知るために伊尾と二人で待ち伏せしたこと、結局伊尾が寝てしまったので、真相を突き止めることができなかったこと。


「ふーん、なるほどなあ」


 支生は置いてあった木の実を混ぜ込んだご飯で作ったおにぎりをぱくつきながら言った。

 前に膳司の女官が冤罪で処刑されそうになった事件を解決するのを手伝ってくれて以来、支生にはこうして食事をつくってあげている。食材はだいたい廃棄処分予定の残りものだが、今日はいい具合にに木の実が落ちていたので、それを混ぜてみた。


 支生はどんなものを出してもうまいうまいと言って食べるので、もしかしたら味覚がないのかもしれないと比野は最近疑うようになってきていた。


「それにしても、木の実が転がっているなんて、いったいどうしてだと思う?」


 比野が尋ねると、支生はおにぎりをぱくつくのをやめて彼女の方を向いた。そして、首をかしげる。


「うーん、なんでかなあ」


 支生は空を見上げながら考え込んでいるようだった。


「こういうのはどうだ?」


 彼にはなにやら案があるらしい。


「例えば、妖しがそこに置いていった」


 支生は指を一本立てて見せた。何を言うかと思ったら妖しなんて。比野は肩をすくめた。


「うーん、どうかなあ。わたしは妖しとか信じてないけど」


 比野の素っ気なさに支生は苦笑いすると、二本目の指を立てて見せた。


「じゃあ、つむじ風のようなものが起きて、木の実が運ばれたとか」


 妖しに比べれば、少しはまともな考えだ。でも、やっぱりそれもない。


「それなら、葉っぱとかも運ばれそうだけど」


 比野の反応が思わしくないのを見るや、彼は三本目の指を立てた。


「じゃあ、膳司で無念の死を遂げた女官が料理を作りたくて、今も彷徨っていて、そこに木の実を置いていったとか」


 三つ目にして、早くも考えがつきたんだな。妖しと大差がない。比野は支生の想像力の貧困さに呆れる。


「なんで木の実なの?」


 言うと、支生はむっとしたようだった。


「木の実が好きな女官だったんだよ!」

「ちょっと無理のある設定だと思うんだけど」


 比野が、ごくごく自然なつっこみを入れると、支生は立てていた三本の指を折って怒鳴った。


「悪かったな! もう知らん!」


 そう言って、比野の作ったおにぎりをさっきよりも早い速度で口に入れはじめた。

 何を怒ってるんだろう、変なのと思いながら比野は顔を赤くしておにぎりを頬張る支生を見て首をかしげた。



 ***



「それで、怒鳴ってごまかしたってことですか?」


 自分の部屋で、支生は亜鈴あれいの言葉を聞いて、気まずくなって自分の頬を掻いた。


「だって、仕方ないだろ」


 座ったまま支生は、立っている亜鈴に言い返すと、亜鈴は呆れたような顔を向けてきた。


「何が仕方ないって言うんです?」

「だって、あれ以上話したら、おれが木の実を置いたってバレるかもしれないだろ?」


 支生の主張に、亜鈴はため息を吐くことで答えた。


「あなたって本当にばかですね」

「ばかとはなんだよ、ばかとは」

「はじめから正直に言えばいいじゃないですか。木の実の入った料理が食べたいって。なんだって、あんなまどろっこしいことを」

「それは、だって、その方がおもしろいかなって。比野だって、夜中に原因を探ろうとまでしたらしいからな」


 亜鈴は支生の前に座りながら、首を左右に振った。


「あなたが木の実の料理が食べたいのに、それを直接言えずに、膳司の前にこっそりおくのが、あなたの言うおもしろいことなわけですね。嘆かわしい」


 支生は亜鈴の言葉にむっとしながらも答える。


「とにかく、目的は達成できたんだから、これでよかったんだよ」


 支生がそう主張すると、亜鈴は再び首を振り、それ以上返事をしなかった。

 それをいいことに、支生は次はどんな方法で比野に好きな食材の入った料理を作ってもらおうかとあれやこれやと考え始めた。





 

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