一 入宮
地方から集められた采女は、長月の初めに入宮するのが決まりだ。朝、太陽が東から登って来た頃、見習い采女たちは二列に並んで、上西門から大内裏に入った。浅黄色のお仕着せは、どれもまだ新しい。
「やっと、宮中に来たんだね」
興奮を抑えきれない様子で、伊尾は比野にささやきかけた。
「気をつけて。あまりはしゃがないように」
比野がささやきかえすと伊尾はいたずらっぽく舌を出して、おとなしく列に戻った。比野はそれを見て安心する。比野と伊尾は同い年だが、比野は伊尾のことを妹のように感じていた。故郷を離れて、二人で宮中に上がることになったのだから、伊尾の面倒は自分が見なきゃと責任さえ感じる。
大内裏の中をしばらく歩くと、ようやく内裏にたどりついた。玄輝門と掲げられた門の前まで来ると、新入りの采女を監督する内侍司で三番目の階級で、見習い采女を先導してくれていた掌侍はこう言った。
「ここからは、皇帝陛下やお妃さまがたが御座す場所ですから、決して粗相のないように」
掌侍は念押しして門をくぐり、見習い采女たちも後に続いた。様々な色の羽を持った鳥たちが、賑やかな鳴き声を上げている中、玄輝門をくぐると、そこは既に妃たちの住まう後宮だ。男子禁制というわけではないが、男性官吏は不用意に近づくことは許されない場所である。
「すごい。さすが内裏。立派だねぇ」
「今日からここでお仕えするんだねぇ」
そんなささやき声が、比野の後ろから聞こえてきた。掌侍に注意されたにも関わらず、浮足立っているようだ。無理もない。見るもの、聞くもの、すべてが新しいのだから。
見習い采女たちの目的地は女官長の居室だ。後宮の北西の襲芳舎には女官長の居室があり、新入りの見習い采女は挨拶する必要がある。比野は、後宮に居室が持てるのは、皇帝の妃たちだけなのかと思っていたが、女官を統べる女官長とまでなると、後宮に居室を持つことができるようになるらしい。
襲芳舎に向かう道すがら、ある殿舎の前まで来た。そのとき、小さな白い生き物が、その殿舎の庇のほうから飛び出してきた。そのまま、その生き物は、見習い采女の列に突っ込んできた。初めて見る生き物に、見習い采女たちは悲鳴を上げた。
「なにっ」
「やめて!」
見習い采女たちが驚いて声をあげる中、掌侍が彼女たちを落ち着かせようと声を上げた。
「落ち着け! みな落ち着け!」
しかし、掌侍のその叫びには効果はなかった。白い生き物も、見習い采女たちの混乱に驚いたのか、彼女たちの足元で右往左往したあとに、一人の見習い采女に飛びかかった。しかし飛びかかられたほうは、たまったものではない。さらなる悲鳴を上げて、しゃがみこむ。その上、白い生き物は、しゃがんだ見習い采女の背中の上に飛び乗った。
「いやっ」
飛び乗られた采女は半泣き状態だ。比野もこんなとき、どうしたらいいかと考えているうちに、そばにいた別の見習い采女が、腕を振ってその白い生き物を払いのけた。
「ギャツ」
悲鳴を上げて、その生き物は地面に叩きつけられた。しゃがみこんでいた采女は、周りに助け起こされて、一同が安心しかけたとき、殿舎の御簾が上がって、一人の女官が出てきた。殿舎に仕える女官だろうか。
その女官はあたりを見回して、見習い采女たちの惨状に目を留めると、みるみるうちに恐ろしい顔になった。
「千代丸さま!」
言いながらその女官は、殿舎の庇から駆け下りて、さきほど地面に叩きつけられた白い生き物に近寄った。そしてその生き物を抱え上げると、見習い采女たちを睨みつける。
「誰がこのようなことをしたのだ!」
見習い采女たちは顔を見合わせたが、誰も返事をしなかった。怒り心頭のその女官は、そばにいた掌侍をきっと見据えた。
「誰がこのようなことをしたのか、説明願おう」
掌侍は頭を下げて、どのように説明すればよいのか迷っている様子で、返答をためらっていた。
しかし、その間に、登華殿の奥からさからに多くの女性たちが現れた。その姿を見て、さいほど、采女や掌侍をにらんだ女官も驚いた様子で、頭を下げた。どうやら偉い人らしい。比野も、その女官に習った。
「騒々しい。何の騒ぎだ」
比野はその声を聞いてとても美しいと思った。必ずしも大声ではないのに、一言、言葉を発するだけで、その場を支配してしまうような、美しくて力強い声だった。
「貴妃さま」
女官はうやうやしく言った。この方が貴妃さま。比野は心の中で繰り返した。もう涼しくなったはずなのに、比野は背中に汗をかく心地がしてきた。皇帝の妃たちの頂点はもちろん、中宮だが、序列二位にいるのが、貴妃だ。そして、実際には貴妃は中宮をしのぐほどの権勢を誇っていると、都から遠く離れた千州にも聞こえていた。女官は続けた。
「この者らが、千代丸さまを傷つけたようなのです。それゆえ、その経緯を問いただしていたところでございます」
「ほう」
貴妃の声が一段低くなった。比野たち見習い采女たちはみなその場にひざまずいているが、そこに緊張が走る。貴妃は、手招きして呼びつけた女官から白い生き物を受け取ると、悲しげな声をだした。
「千代丸や。このように傷ついてしまって、かわいそうに」
貴妃のその声を聞いて、女官は直ちに大声を出した。
「犯人ははやく名乗りでよ。さもなくば連帯責任を取らす」
その言葉を聞いても比野は何も言葉にできず、視線も下に向けたままだったが、何人かの見習い采女は、先ほど白い生き物を払った見習い采女に視線を向けたようだった。
「そなたが犯人のようだな」
女官が、その見習い采女の前へ進んだ。その圧力に自然と見習い女官たちは、ひざまずいたままで、後ろに下がった。
「このようなことをしでかして、死をもって償わねばならぬ」
女官がその見習い采女に迫ると、見習い采女たちは思わずざわめいた。比野も思わず死を命じられた見習い采女を見たが、真っ青な顔だ。これが死ななければならないほどの罪なのだろうか。宮中では、人の命はこんなにも軽いものなのだろうか。比野は拳を握りしめた。
緊張感が高まる中で、貴妃は女官を止めた。
「お待ち。確かに死にあたいする罪ではあるが、わたくしは慈悲深いゆえ、死罪は免じてやろう。しかし、罪は罪。杖罪百とし、その後追放だ」
死を免じられたこと自体はよかった、と比野は思う。でも、貴妃は自らを慈悲深いと称してはいるが、口にした内容はそれとはほど遠かった。杖罪は木の杖で体を叩かれる刑罰で、死に至らしめてはならないとはされているものの、実際には、刑罰を受けたものの中には死ぬものもいた。
たとえ死を免れたとしても、線の細い少女の体に百回も杖が振りおろされては無事ではすまないだろう。少なくとも、一生残る傷となることは間違いない。
「お待ちください」
見習い采女を任されている掌侍が貴妃に向かって懇願した。
「見習い采女たちは、本日入宮したばかりにございます。寛大な貴妃様、どうか見習い采女の罪をお許しください。采女たちは半年ごとに地方の長官や国王から、毎回決まった数が皇帝陛下に献上されることになっております」
掌侍はそこで言葉を区切った。彼女の言うとおりで、地方からやって来た采女というのは、国によって定められた制度に基づくものだった。
昔、上弦国が国を統一する前、いくつもの小さな国が互いに争いあっていたという。その争いの中で、徳の多い皇帝が周りの国々を従えて、今の上弦国は成り立った。皇帝は小国を滅ぼしたりはせずに、それぞれの王にその国を支配しつづけることを認めた。そして郡国制と呼ばれる制度を敷いた。
もともと上弦国の領土であった都周辺には郡を設置して都から長官を派遣し、後から従った国々の国王には引き続きその国を統治させた。
そして、各郡と各国は年に一度、良家出身で容姿の整った若い女を二名ずつ、采女として皇帝に献上するのが決まりとなった。これを疎かにするのは、皇帝への反逆の証ともみなされかねない。
掌侍は続けた。
「采女がきちんと献上されたか否かは、入宮した日の朝、女官長が采女たちを検分し、皇帝陛下にご報告することによって判断されます。しかし、この采女たちは未だ、女官長の検分を受けてはおりません。女官長が検分を行う際に、欠員があれば、諸国の統治にも係わる重大時となってしまいます。この采女は、厳しく叱責しいたしますので、どうか、どうか、伏してお願い申しあげます」
地面に頭を擦りつける掌侍にも、庇の上の貴妃は心を動かされなかった様子だ。掌侍を見下ろしながらいっそ優しい口調で言った。
「女官長は陛下に規定の人数が入宮したと申せばよい。これから襲芳舎に向かうのであろう? 女官長の検分が終わるころには、まだ刑も完了してはいないだろう。それまでは、まだ見習い采女の身分であるのだから、何の問題もあるまい」
自らの行く末が決まりかけていると察した見習い采女は、泣きながら許しを請うた。
「お許しくださいませ。もう二度と致しませぬ。お許しくださいませ」
見習い采女は頭を何度も地面に擦りつけた謝罪したが、貴妃の気持ちは変わらなかった。貴妃が御簾の向こうに去ると、他の見習い采女たちが見ている前で、貴妃の女官によってどこかに引きずられていった。