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十二 罪の重さ

 支生しきが貞観殿に着いたとき、そこには張り詰めた空気が漂っていた。亜鈴あれいを外に残して部屋に入ると、兄はちらりとこちらを見たが、声をかけてはこなかった。妃たちは、お互いを意識し合っていて、支生が入ってきたことにも気づいていないようだった。


 下座の庇には、女官が一人震えながら跪いている。おそらく膳司かしわでのつかさの女官だろう。


 支生が辺りを見回していると、母が口を開いた。


「中宮、積恵つむえは宴の後、何も口にしていないというのは、徳妃だけではなく、周りの女官も皆証言している。となると、毒は、宴で口にしたと考えざるをえまい。淑妃が故意に毒を盛ったかどうかまではわからないが、どちらにしろ淑妃の責任は明らかだ」


 母は中宮に向けてそう言った。

 それを横で聞いていた淑妃は母の言葉にあせったようだ。母に哀れっぽい声を上げて訴える。


「皇太后さま。確かに、本日の宴の責任者はわたくしですから、もし親王さまが体調をくずされたのが、宴の料理を口にしたことが原因であるなら、責任はわたくしにもございます。ですが、誓ってわたくしは毒など盛ってはおりませんし、毒を盛るように指示もしておりません。きっとなにものかの陰謀にちがいありません」


 しかし、母が淑妃を見る目は冷たく、淑妃には、返事一つしなかった。

 そして中宮に決断を促す。


「中宮、そなたが判断しなければならない」


 中宮はちらりと淑妃に目をやった。

 支生の知る限り、後宮の中で、淑妃は中宮に最も近い妃である。賢貴妃と対立している中宮は淑妃を処罰して、賢貴妃や徳妃を増長させたくはないだろう。しかし、処罰しなければ、後宮の長としての能力を問われることになりかねない。どちらを選んでも中宮にとっては、つらい決断になる。

 しかし、中宮はどちらかを決めなければならない。


 しばらく後に中宮は重い口を開いた。


「まずは、積恵親王が、どのように毒物を摂取したのか詮議せねばならない。現状、もっとも疑わしいのは、紅葉の宴の席上である。本日、料理を作ったもの、料理を運んだもの、すべて捉えて詮議せよ。そして、宴の責任者である淑妃も、正式な詮議が終わるまで、麗景殿からの禁足とする」


 淑妃は顔をこわばらせた。自分を守ってくれると信じていた中宮の言葉に、顔をゆがめる。そして、切々と中宮に訴えた。


「中宮さま! わたくしは何の罪もありません」


 しかし中宮は、それを退けた。


「淑妃を麗景殿に連れて行け」


 中宮が命じると、淑妃は次は兄の方を見たが。兄は淑妃を見ていなかった。淑妃は、それで諦めたらしい。女官に促されると、おとなしく貞観殿を出て行った。


 淑妃が連れ出されると、中宮は膳司の女官に目を向ける。


「その女官は牢に入れろ。他にも、料理に係わった女官がいるはずだな。その者たちも捕らえて牢に入れ、明朝すぐに詮議せよ」


 中宮が膳司の女官を捕らえるよう命じた。支生は女官が身の潔白を主張して何か言うかと思ったが、女官は顔を青くして震えるばかりで何も言わない。思いがけない事態に、理解が追いついていないのかもしれない。 


 そのまま、ほとんど何も言わない女官が引き連れて行かれるのを見ながら、支生は考えた。どのようにすれば良いだろうか、比野を助けるためには。もちろん、支生には女官に対する中宮の命令を覆す権利などない。したがって、女官を許してやってくださいなどと口にすれば、逆効果になる可能性が高い。


 しかし、朝になる前に何か手を打つ必要がある。支生は悩んだまま、顔をこわばらせた中宮、その横で気分の良さそうにしている賢貴妃、泣き濡れる徳妃の様子をただだまって見つめた。



 ***



 喧噪の後、支生は母の在所である弘徽殿を訪ねた。


「積恵親王の具合はどうなのでしょうか。先ほどは、具合を尋ねるいとまもなかったのですが」


 母に向かい合うと、支生は、まず積恵親王の様子を聞いた。積恵親王は支生にとっても可愛い甥っ子だった。現在四歳で、可愛い盛りだ。無事であったほしい。


「良い、とは言えない状況のようだ。今夜が山らしい」


 母がため息をつくと支生の心も暗くなった。あれだけ可愛い子どもが、今、生死の境を彷徨っているとは。世は無常というが、なんとか助かってほしかった。


「それにしても、一体誰が毒を盛ったのでしょうか。母上は、膳司の女官の仕業だと考えますか?」

「いや、そうではあるまい」


 この宮中では誰が敵対していてもおかしくないが、と思いながら支生が尋ねると、母は首を振った。


「宴の責任者だったあの女官をみたであろう。確か、三枝掌膳さいぐさかしわでにじょうと言ったか。あの女は、震えるばかりで、自分の申し開き一つまともにできていなかった。毒を盛るなどということをしでかす度胸はあるまいよ」


 母が話している間に、母の女官が炭を入れた火櫃を、支生と母のそばに置いた。冷たかった晩秋の夜の空気がじんわりと暖かくなっていく。

 支生は、それを感じながら口を開いた。


「では、犯人は誰なのでしょうか」

「それが問題だ」


 母は、手に持った扇をぱちりと音を立てて閉じた。


「淑妃なのでしょうか」

「自分の主宰する宴で毒を盛るような馬鹿は、妃のうちにはいないだろう」

「では、まさか賢貴妃ですか?」

「徳妃は賢貴妃の派閥だからな。自分に男児がいない以上、積恵を殺そうとする道理がない」

「すると、徳妃の自作自演ということは、さすがにありませんよね」

「積恵は陛下唯一の親王だぞ。あえて、危険にさらすはずがない」


 支生はあごに手を当てた。そう考えていくと、誰が毒を盛ったのか、全くわからない。


「中宮さまは、一連の出来事で、最も打撃を受けているようでしたね」


 支生が母に問うと、母も肯定した。


「政治的な、という意味なら間違いなくそうだろう。淑妃が処罰されれば、貴妃の増長は大きくなるばかりだろうしな。中宮も犯人とは考えづらい」


 支生は母の言葉に黙って頷いた。そして、改めて誰が積恵親王に毒を盛ったのだろうかと思いを巡らすも、答えはでなかった。支生が黙っていると、母の方が先に口を開いた。


「しかし、犯人は必要だ。誰かが処罰されねば、後宮はおさまらない。例え真犯人でなくとも、処罰されるものがいれば、秩序は保たれる」


 これまでの支生だったら、母のこういった言葉に特に反応しなかっただろう。むしろ、当然のことだと考えたはずだ。

 でも、今は違った。


「つまり、人身御供的な犠牲者が必要だということですね。そして、それには膳司の女官がふさわしいと」


 苦々しく思いながら言うと、母はじろりとこちらを見て、ため息をついた。


「そなたが、女官に同情するなどめずらしいではないか」

「そうでしたか?」

「仕方があるまい。後宮では、弱い女から死んでいく。あの女官は弱かった。それだけの話だ」


 そして、比野ひののような新入りの采女は、もっと弱いということか。母の言うとおり、自分の前に入れ替わり立ち替わり現れては消えていく女官たち、自分の乳母は、まあ別として、彼女たちを一人の人間として見たことがあっただろうか。女官という名前の、欠員がでればまたどこからか補充される、そういう生き物としてしか見ていなかった気がする。


 でも、今は違う。なぜなら支生は比野に出会ったから。

 今日、出会ったばかりなのに、彼女には絶対に死んでほしくないと思う。もっと笑っている顔もみたいし、怒った顔もみたい。


 だから、支生は母にこう聞いた。


「膳司の女官のどこまでが処分の対象になるでしょか」


 母は片眉を上げて見せた。こんなことを聞く支生の真意を探っている様子だ。だが、一応、支生の質問には答えてみせた。


「そうさな、毒を盛った犯人が他に現れなければ、宴の料理の責任者だった掌膳と、料理に携わったもの、料理を運んだもの、それらは処分されることになるだろうな」

「処分というと、死罪でしょうか」

「さあ、どうであろうか。それは中宮が決めることだからなあ」


 母は、明言しなかった。だが母だけでなく支生も、そしておそらく中宮も膳司の女官に対して厳しい処分をくだすことは、避けられない情勢だということはわかっていた。



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