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十一 詮議

 支生しきは宮中の外にも邸を持っていたが、宮中に宿直とのいすることもあった。そんなときは、淑景北舎に滞在することにしている。


 殿舎に入ると、近衛中将の見城亜鈴みしろあれいが待っていた。


「どうしたんだ。夜中に」


 尋ねると、亜鈴は人好きのする笑顔を浮かべた。


「宴での様子を見るに、飲み足りないんじゃないかと思ったんです」


 亜鈴はそう言って、酒を掲げた。さすが乳兄弟なだけあって、支生のことをよくわかっている。支生もにやっと笑って、部屋の中に入った。


 酒を酌み交わしてしばらくたつと、乳兄弟の気安さで、つい口が軽くなった。


「そういえば、最近、采女に会ったんだ」

「それがどうしたんですか」

「身分を隠して会っている」

「身分を隠して?」

「どこで働いているのかと聞かれて、つい近衛兵だと」

「なるほど」


 亜鈴は支生の話に頷いて、座った支生の前に酒の入った器を差し出した。支生はその酒を一気に飲み干してから続ける。


「だから、その采女の前では、おれは近衛兵なんだ」

「本当のことを言えばいいじゃないですか」

「そうなんだが、そうしたら今の関係をつづけられないじゃないか」

「身分を隠してまで、続けたい関係なんですか?」


 支生は再び亜鈴が注いだ、酒の入った器を口に近づけた。自分でもどうして、そこまでして本当のことを言わずにいるのかわからない。


「まあ、驚かせるのも悪い気もするし」


 そう口に出して、酒を一口飲んだ。亜鈴は支生をじっとみていたが、やがて言った。


「わかりました。協力しますよ」


 亜鈴はにやりと笑った。


「協力ってなんだよ! おれは……」


 支生がそこまで言ったところで、にわかに外が騒がしくなった。二人はそろって、声のした方を見た。蔀を下ろしているので外の様子はわからないが、男女の騒がしい声が聞こえてくる。


「どうしたんでしょうか」

「何かあったようだな」


 支生は、酒の器を下げた。


「様子を確認してきます」


 亜鈴はそう言って、部屋から出ていった。


 支生は、亜鈴が出て行ってからも一人で酒を飲んだ。

 亜鈴が持ってきた酒がなくなりそうになったころ、彼が戻ってきた。


 亜鈴は部屋に入り、支生の前に座ると言った。


「どうやら、貞観殿で騒ぎがあったようです」

「貞観殿というと、徳妃のところだな」


 支生が確認すると、亜鈴は頷いた。 


「はい。なんでも、親王さまに毒が盛られたとか」

「なに! それは本当なのか?」

「わかりません。少なくとも、徳妃さまはそう言っているようですが。徳妃さまは今日の宴の献立に毒が盛られていたと考えているようです」

「なんだと!?」


 もしそれが事実だったら、重大な事態ではないか。徳妃の息子、積恵つむえ親王は、兄皇帝の唯一の息子である。それを害そうなどというものがいるとすれば、許すことはできない。


 一方で、支生はこうも思った。もしそういう事態になったのなら、比野ひのという采女はどうなるだろう、と。あの采女とは出会ったばかりだが、彼女がそんなことに係わっているとはとうてい思えなかった。でも、毒を混ぜたなどという話になれば、連座して多くのものが処罰されることになるかもしれない。

 支生はじっとしていられなくなって、立ち上がった。


「様子を見に行こう」


 支生は亜鈴を連れて、貞観殿に向かった。



 ***



 真夜中に、中宮の女官に起こされて、まるで罪人かのように貞観殿まで引き立てられた。

 中には、中宮、賢貴妃、徳妃、淑妃が集まっていた。徳妃は声をあげて泣いており、引き立てられてきた三枝掌膳さいぐさかしわでのじょうをにらみつけた。


 一体なにが起きているのかわからず三枝掌膳はただただ平伏した。しかし、自分にとって、よくない状況になっていることは直感できた。


 何をしでかしてしまったんだろうと考えてみるも、わからない。今日の宴はうまくいった、と思う。

 新しく入ってきてくれた采女の比野のおかげだ。玻璃の器が使えなくなってしまったときも、沢蓋木さわふたぎという実で代用できると言って、わざわざ山まで行ってたくさん取ってきてくれた。三枝掌膳の方が比野より長く生きているにもかかわらず、あんなにきれいな瑠璃色の実があるなんて知らなかった。


 料理もうまく作れたし、陛下にも、他の出席者からも基本的には好評だったように思う。それなのに、今になって、なにかが起きているらしい。


 泣いている徳妃をなぐさめるように、賢貴妃が優しく声をかけているのが聞こえる。その甲高い泣き声が、三枝掌膳には、とても不吉に聞こえた。


 やがて賢貴妃は、三枝掌膳の方を向いて言った。


「おまえが毒を盛ったのか!」


 恐ろしい声で詰問されて、何がなんだかわからずに、三枝掌膳は混乱した。


 毒? 毒とはどういうことだろう?

 しかし、目の前が暗くなるぐらい、恐ろしいことが起きている。


「わたくしには、なんのことだかわかりません」


 三枝掌膳はせいいっぱい、自分の潔白をわかってもらうために、主張したが、恐ろしい嫌疑をかけられていることに動揺して、声が裏返ってしまった。


「とぼけたことを! おまえのせいで、積恵は!」


 徳妃も泣きながら、三枝掌膳に迫った。このままでは、やってもいない罪で、処罰されてしまうのではないだろうか。三枝掌膳も泣きたくなった。


「いったん落ち着け」


 混乱した場を収めたのは中宮だった。三枝掌膳は、中宮が事実を明らかにしてくれることを願って、顔を上げた。なぜだかわからないが、徳妃や賢貴妃は、三枝掌膳が毒を盛ったと思っている。この状況では、もはや頼れるのは中宮しかいない。


「子どもが夜中に突然、体調をくずすことはそれほどめずらしいことではあるまい」


 中宮は、興奮した場を鎮めるような静かな声で言った。その中宮の言葉に賢貴妃がくってかかろうとしたところで、皇帝の先触れが来た。


「ただいま、皇帝陛下、皇太后陛下がいらっしゃいます」


 賢貴妃は居ずまいを正しながら言った。


「ちょうどよいところに陛下がいらっしゃることになりましたね。ご裁可は陛下にしていただくのが、よろしいのではありませんか」


 賢貴妃のその言葉に、中宮は肩眉を上げた。


 後宮の最高責任者は中宮である。妃や女官たちに対する裁きも基本的には中宮が行うことになっている。皇帝や皇太后は、それを飛び越える権利をもっているが、ふだんは中宮にまかせて、それを使わない。

 賢貴妃の言い分は、中宮の体面を傷つけることと言えた。


「どちらにしろ、そなたが判断することではない」


 中宮は顔をこわばらせて、賢貴妃に冷たく言い放つと、皇帝が到着するのを待った。誰も何も口にしようとせず、徳妃の泣き声だけが響く状態に耐えられなくなりそうになったころ、皇帝が貞観殿に到着した。


「積恵はどうだ?」


 皇帝は、部屋に入って周りを見まわし、徳妃に向かって言った。そして貞観殿の女官によって、皇太后とともに几帳によってさえぎられた奥に導かれていく。そこに積恵親王は寝かされている。


 しばらくして、几帳の向こうから皇帝がこちら側に出てきた。つづいて、積恵親王についていた、内薬司の侍医もこちら側に出てくる。


 皇帝は、もう一度、その場に集っている女たちを見まわすと、侍医に聞いた。


「それで、積恵が体調をくずした理由はなんなのだ?」

「お答えいたします。 おそらく、なにか毒になるものを召し上がったと思われます。」


 徳妃は侍医の言葉が終わるや否や、訴えた。


「陛下。積恵は宴が終わって以来、何も口にしておりません。水さえもです。それなのに突然頭が痛い、お腹が痛い、と言いはじめて。淑妃が毒を盛ったに決まっています!」


 泣き伏す徳妃をすぐさま中宮が叱責した。


「控えよ! 証拠もなくそのような讒言は許されないことである!」

「中宮さまも、積恵がいない方が好ましいとお考えなのではありませんか? だからそのようにおっしゃるのです」


 徳妃は普段は丸い顔に、ぱっちりした目とふっくらした頬を持つ愛らしい女性だったが、今は泣いたせいで化粧もくずれて、表情も歪んでいた。


 しかし、中宮は冷静だった。


「そうではない。どこで毒を摂取したのかわからない上に、仮に紅葉の宴のときに食べたものに毒が入っていたとしても、淑妃の企みとは言えないといいたいのだ」


 その中宮の言葉に賢貴妃は小首をかしげて言った。


「でも、中宮さま。紅葉の宴は淑妃の主催ですから、淑妃が膳司に毒を混ぜるように命じれば、膳司は従わざるをえないのでは? そもそも献立を選んだときから、淑妃はそこにいる掌膳をひいきにしていたようですし」


 三枝掌膳に視線が集まる。三枝掌膳は恐ろしくなって、震えた。どう考えても、まずい方向に進んでいる。


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