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九 清涼殿

 都近くの里山で出会った、ちんまりしてかわいい采女を送った後に、兄のもとに顔を出そうと、支生は内裏に向かった。庶民に身をやつしているので、途中で新入りの近衛兵に止められそうになったが、なんとか、清涼殿まで通ることができた。


支生しき、遅かったではないか」


 皇帝である兄にそう言われると、弁明の余地がないので、おとなしく頭を下げた。


「申し訳ありません。途中で、盗賊に出会ったもので」


 盗賊退治をしていたせいで、帰るのが遅くなってしまったのであって、かわいらしい采女に声をかけられて、喜んでいたからではない。

 というわけで、もちろん采女に出会ったことは、はぶいて事情を説明すると、兄は一応納得してくれた。


「ふむ。それで、出光しゅっこうの様子はどうであった?」


 支生はしばしば、兄の命で各地の様子を窺うために、派遣されることがあった。そういうとき、支生はだいたい一人で都を出て、兄の目となって代わりに現地の様子を見てくるのが常だった。

 十数年前に地方の王が結託して反乱を起こしたことはあったが、それを鎮圧して以来、現在の上弦国は安定していて、反乱の兆しなどは見えない。しかし、それでも都にいてはわからないことがあるだろうというのが、兄の言い分だった。

 

 支生は兄と違って気楽な身分なので、こうして兄の希望に添って、各地をめぐっている。


「異常なしです。今年は良い年だったので、豊作のようです。明るい表情の民が多かったですよ」

「そうか・・・・・・」


 支生から見れば、豊作に越したことはないと思うのだが、皇帝の立場で考えると、豊作すぎるのもあまり歓迎できない事態らしい。まあ、その辺りのことは兄に任せておけば間違いがない。支生の役割は、ただ見たままを報告することだから。


 兄としばらく話していると、兄の侍従がやってきて言った。


「皇太后さまと中宮さまがお越しです」

「お通ししろ」

「はい」


 兄の命によって、にわかに騒がしくなってきたので、支生は兄に暇を告げようとした。


「わたしはこれにて」


 しかし兄は良しと言わなかった。


「お前も、ここにいろ」


 仕方がなく支生は兄とともに二人を迎える。やがて、皇太后と中宮が部屋に現れた。支生や兄は母に対して、頭を下げて礼を取った。母は上座に、中宮はその下座に腰を落ち着けると、母は言った。


「顔をお上げください」


 母に言われたので、支生も兄も顔を上げた。


「母上、どうされたのですか?」


 兄が尋ねると、母は眉をひそめた。


「息子を訪ねるのに、理由が必要でしょうか」

「いえ、そのようなことはありませんが」

「大したことではありません。中宮と話をしていたら、あなたたちの話になったのです。それで、帝の様子を聞いたら、今まさに二人が一緒にいると言うではありませんか。だからこうして、二人のお顔を見ておこうと思っただけなんです」


 母の言葉に中宮も頷いた。


「皇太后さまの仰せの通りです。ご兄弟仲が良くて素晴らしいというお話になりましてね」


「同母の兄弟は支生だけなのだから、仲が良いのは当然です」


 兄が言った。支生も首を縦にふって、兄の言葉に同意を示した。

 兄と支生は年が一回り違った。もう少し年が近ければ、嫉妬心のようなものを感じたかもしれないが、支生が物心ついたころには、既に兄は皇太子という立場を自覚した行動を取っていたので、そういう気持ちは生まれなかった。ただ、兄を支えることが、自分の生きる道なんだと思っている。

 

 その様子に、母は満足そうに目を細めた。母からは皇太子であった兄以上に、寧ろかわいがられてそだったと、支生は思っていた。ただし、母が最も重要視しているのが長幼の序であることは明確で、皇帝にならない立場だからこそ、かわいがられているのだと、早いうちから理解していた。そして、英明な兄はそんな支生の気持ちを理解していて、疑ったりもせずに信頼してくれている。


「すばらしいことです」


 中宮も笑った。


「中宮、陛下の子どもたちも皆、仲良く育てねばなりませんよ」


 母が中宮ににこやかな顔で言った。兄には多くの妃がいるが、まだ子どもは少ない。中宮には公主はいるが、親王はいない。女では皇帝になれないという決まりはないし、実際にかつて女性が即位したこともあるものの、皇帝となるのは男が望ましいという漠然とした雰囲気があるのは確かだ。

 現在、兄には息子が一人しかいない。皇太子が立てられていない今、中宮も含めて皇帝の妃たちはお互いに牽制しあっているというのが実際のところだ。


「もちろんでございます。陛下たちご兄弟を模範として、陛下のお子たちも育てていきたく思ったおります」

「他の妃たちのことも妹のようにかわいがらねばいけませんよ。母親どうしの仲が子どもたちにも影響を与えますからね」

「仰せの通りにいたします」


 母は息子の支生から見ても威厳のある女だった。母親としては、何一つ文句はないが、姑だったら、嫌だろうな、などと母の中宮への接し方を見て思う。ちらりと横を見ると、兄は自分の母と妻の会話を関心なさげに眺めている。


「他の妃と言えば、今日の賢貴妃が申してきたことには、紅葉の宴で、膳司かしわでのつかさは玻璃の器を使おうとして、それを破損したとか。宴を主催する麗景殿にもあまり贅沢なことをしないよう言うべきだが」


 皇太后が言うと、中宮は頭を下げた。


「朝のうちに皇太后さまからご指摘をいただきましたので、わたくしから淑妃には玻璃の器を使わないように申しました」

「ならばよい。そなたはよくできた中宮であるが、少々派手好みなところがあるゆえ」

「申し訳ありません」


 その様子を見て、支生はついつい口を挟んだ。彼から見れば、本当に派手好みなのは賢貴妃の方だ。それなのに、母に責められる中宮が気の毒になったのだ。


「まあまあ、よいではありませんか。盛大な宴を開いて宮廷の財力を示すことも、お妃方の役目の一つだと、以前母上も仰っておいででしたよね。ところで、今日の宴では、親王や公主も参加するとか、母上も参加されては?」


 支生が孫たちのことを持ち出すと、母の頬が少し緩んだ。しかし、母はその誘いを断った。


「年を取ると、夜更かしができなくなるのだ。宴は若いものたちだけで楽しみなさい」


 母の言葉に兄が言った。


「それは残念ですね。淑妃が言うことには、趣向を凝らしたようですが」


 言葉とはうらはらに、口調はさして残念ではなさそうだった。母は笑って、首を振って言った。清涼殿から見える空はすっかり暗くなっており、そろそろ宴が始まる時刻だ。


「随分、長居をしてしまいましたね。そろそろ失礼しましょう。そなたたちは宴を楽しみなさい」


 女官たちが格子を下げるのを見て、母はそう言って立ち上がった。そうして、中宮を引き連れて、自分の宮殿に戻っていく。中宮は自分の殿舎に戻ったあと、麗景殿に向かうつもりだろう。その背中を見ながら、支生は、中宮も大変だなと少しの同情を感じた。




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