33話
闘技場の騒動が発生した日の夜。貴族街のとある邸宅の一室。
少し小太りな体型をした男が、椅子に深く腰掛けている。ここにいるのはマルヴェックの叔父である学園理事ハンフリー・ザイフェルトだ。
闘技場の騒動に巻き込まれた学園理事の一人だが、バロクトスが倒れた後、落ち着いた中での隙をついて闘技場を後にし、邸宅に戻っていた。
彼はテーブルを挟んだ場所にいる側仕えと話をしている。
「策は失敗だな。騎士階級の悪魔とはいえ、まさか撃退されるとは考えていなかった」
「ダルカス様、誠に申し訳ございません。この学園にあのような隠し玉が居るとは思いもしませんでした」
「…その名は王都内で呼ぶな。誰がどこで聞いているか分からんのだぞ?」
ハンフリーはダルカスと呼ばれたことに対してキッと鋭い目で睨む。彼の風貌に合わない、底冷えのする冷たい瞳だ。
側仕えは「大変失礼いたしました」と深くお辞儀をし、その額にはじっとりと汗が滲んでいた。
(やれやれ、この怠惰な体を使うのもようやく終わる)
内心でそう考えつつ、ハンフリーはテーブルに置かれている血のように赤黒いワインを口に含み、その味を確かめるようにゆっくりと舌の上で転がしたあと、こくりと飲みこむ。
「…あの愚かな人間の決闘に国王が足を運ぶと聞いた時は、少し早いがいい機会と思ったのだがな」
ハンフリーは極秘に進められていたであろう国王の来場を知った。
決闘の話がヴィクター王子から理事会に上がってきた時、学園に残っているもの全員を観覧者を入れるように提案したのはこの男だった。
ヴィクター王子がマルヴェックを糾弾したがっているのを利用し、都合のいいように誘導することには成功したのであった。
「それにしても、まさかピクシーがあの森から出てきているとは。編入生の情報には妖精としか記載がなかったので見落としていた。あの少年は何者だろうか」
ゆっくりと目を閉じてダルカスは反芻する。顕現した悪魔に対して一歩も引かない胆力と剣技。ピクシーの魔法でさえ弾いた体をいとも簡単に切り裂いた技。
11歳とは思えぬ恐ろしいまでの落ち着きと、芸術的な剣筋に得体の知れないものをハンフリーは感じていた。
「剣聖に育てられた、と資料にはございますが少々腑に落ちぬ点もございます。調べさせますか?」
「…いや、良い。仕込みが不発に終わった以上、この学園での我らの仕事は終わった。後はあの方にお任せするとしよう」
ハンフリーはゆっくりと椅子から立ち上がる。体が少し重く感じられるのは、借り物の体のせいだ。もう少しでこの不快感から解放される。
「最良の結果ではなかったが、今回の件で薬のデータも取れた。すべての報告を上げておけ。…あぁ、あの少年とピクシーの情報も一緒にな」
「かしこまりました」
その日以降、マルヴェックの叔父で学園理事、ハンフリー・ザイフェルトに関係していた人々は一斉に王都から姿を消した。
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「素材、すべて確認いたしました。お疲れさまでした」
「よっしゃ~!今日の依頼も終わりなのさ~」
冒険者ギルドでサラから依頼完了の言葉を聞いたレオが飛び上がって喜んでいる。
決闘のあと、学園はすぐに夏季の休暇の開始となった。闘技場での出来事は学園に大きな爪痕を残していた。
想定以上に多くの生徒が悪魔が変貌しており、その際に少なくない数の生徒が無抵抗のまま命を落とした。
戦いの中では多くの重軽傷者も出たが、生徒だけではなく、先生方にも犠牲が出てしまった。
その影響は大きく、学園内の再編なども含めて調整が必要なようだった。
また、実際に闘技場にいた国王からの指示で、ヴィクターがこの一件の調査を任されることになり、精力的に対応を行っている。
儂らはというと、数日、事情聴取の為に寮に待機していないといけなかったが、それ以降は事前の予定通り、ヴァリ、レオ、タリムと4人で冒険者の活動を始めた。
まだまだ冒険者としての経験が浅い儂らの為に、サラが状況に応じて適切な依頼を見繕ってくれている。
サラの提示する依頼に感心する部分として、それぞれのメンバー毎の特性をうまく見極めたものを出してくるところだ。
レオは討伐依頼で大活躍しているし、ヴァリは護衛依頼での振る舞いに安定感があり、タリムはイレーネの指導によって薬草、素材などの目利きに長けている。
それぞれ、依頼を通じて冒険者としての自信をつけていることが見て取れた。
一方、ナディアは当初の予定通りクレモス領に戻っている。ただ、彼女の帰領にはヴィクターと、事件調査隊が同行することになった。
調査隊の報告によると、悪魔に変貌してしまった学生はクレモス領の生徒が最も多く、その次に、クレモスの隣の大領地リュカ―ル領の生徒だったそうだ。
変貌した生徒のおよそ三分の二がその二つの領で構成されていたことが分かり、クレモス領へ直接赴いて調査を行うことになったのだ。
検死調査が終わったマルヴェックの遺体をクレモスに戻す必要もあった。
その事を聞いたナディアは悲し気な顔をしたものの、すぐに普段と同じ表情へと切り替え、調査に全面的に協力することを約束していた。
「それにしても…俺達に絡んできていたやつはマルヴェックじゃなかった…なんてなぁ。今でも信じられねぇ」
ギルドから領に戻る道程でヴァリがこぼす。そう。儂が戦ったマルヴェックは、"マルヴェックではなかった"のだ。
この世界で一般的な貴族は子供が生まれた後、教会で魔力の登録をすることで、その戸籍を管理しているらしい。
教会に魔力を登録することで『貴族として正当な血統を持っている』と証明することになる。
この世界の人は死んでも、その体には魔力の残滓が残るそうだ。その魔力の残滓を特殊な魔術具で比較することで、貴族は遺体からの本人確認などが可能だ。
平民は残念ながら教会に魔力登録をすることは殆どないので、遺体から個人を判別をすることはほぼできない。
ヴィクターの調査隊による検死の結果、その場に残っていた干からびた遺体は教会に登録されている魔力と異なっていた。
遺体が身に着けていた衣服や持ち物は全てマルヴェックのものだったが、「マルヴェックではない」と判断されていた。
「教会に登録されてないんだったら、あのマルヴェック?は平民だったのさぁ?私も登録していないし~」
「僕も教会で登録したことはないです…。」
彼が一体何者だったのかは儂も気になる。貴族であって貴族でない、そんな矛盾が彼の行動や振る舞いに現れていたのかもしれない。
だとしても、彼の行為は許せるものではなかったが。
「わたしはナディアが心配なのだわ~。表向きは元気にふるまってたけど、無理がありありだったのだわっ!」
ウルが学園での愛弟子と言っていいナディアの心配をしている。
「私も心配さ~。王子にはちゃんとあの子をフォローしてくれないと私がぼこぼこにしちゃうのさっ!」
レオが王子に若干不敬な発言をしていたタイミングで、遠くから小さな鳥が手紙を持って儂らの所に飛んできた。
鳥は儂らの頭上でくるくると回転し、タリムの腕に止まった。タリムは手紙を受け取ると、鳥はポンっっと煙になって消える。
「その手紙は?」
「…イレーネ様からです。今からシノさんを連れて研究室に来てほしいそうです」
タリムが緊張した面持ちでこちらを向く。
「あぁ、イレーネ先生の呼び出しか。じゃぁ今日はここまでだな」
ヴァリが解散しようと提案するが、儂は引き留める。
「いや、よかったらレオとヴァリも一緒に来ないか?これからは空いてるんだろ?」
レオとヴァリも一緒に行こうと誘う。
「シノ、良いのだわ?」
「…あぁ。二人も知っておいたほうが良いだろうと思うからね」
イレーネ先生からの予呼び出しはおそらく、この間の悪魔についての話しや、精霊の力についての者だと思われる。
闘技場の戦いの後、詳しく話をしたいという連絡が来ていた。
レオ、ヴァリはこれから長い付き合いになると感じているので、儂の秘密などに関連した話を共有しておいた方が良いと思っており。
ウルとお互いに分かりあっているような視線を交わしていると、レオとヴァリが不思議そうな表情でこちらを見ている。
「んだよ、何かあるのかよ?」
「ちょっとちょっと~、私らだけ何か除け者にされていたってことさ~??」
ヴァリはからかうように肩を組んできて、レオは儂の頬をその指でツンツンツンと突いてくる。レオの指先は爪が尖っていて結構痛い。
「ま、まぁ、それは後から。とりあえず行こうか」
ヴァリとレオに少しだけ苦情を言われながら、儂らはイレーネの研究室に向かった。
「やぁ。よく来たね」
以前も来た研究室の2階の部屋で、机の前の椅子にイレーネが腰かけており、手前の客人用のテーブルと椅子にはリセリアが座っている。
その後ろには決闘の時に審判をしていたラドフィンと、もう1人、エルフの女性が立っている。
真剣な表情をしているが、その視線がちらちらと儂の肩にいるウルに向かっているのが良くわかる。
タリムは部屋に入ってすぐにお茶の準備などを始めている。
「へぇ~。これがイレーネ先生の研究室か。本がや資料が一杯じゃないか」
「うぅ~。なんかシノが使った力に似た感覚があってぞわぞわするさぁ~。見てヴァリ!この毛の逆立ち方」
「どうなってるんだ?これは」
ヴァリとレオは物珍しそうに部屋を見分している。
レオは濃い精霊の力を感じて落ち着かない様子だ。見事に体毛が逆立っている。彼女は精霊に好かれている、という訳ではないが、感覚が鋭敏で様々な気配に敏感なのである。
「今日のお話は先日の闘技場の件についてでしょうか。せっかくなのでウルも連れてきました」
マルヴェックの一件以来、冒険者の活動などが中心で学園に居なかったことでイレーネの研究室を訪れたのは、以前訪れて以来だ。
「ありがとう。ウル君も後から色々と話を聞かせてほしいが…今日は客人が来ているので落ち着いてからお願いしよう」
興味深々の瞳をウルに少しだけ向けて、イレーネは続ける。
「こちらはリセリア。すでに面識はあると思うが、エルフの国の正当な王女だ」
イレーネに紹介されると、リセリアはすっと立ち上がって優美な動きで挨拶を行う。
「ご紹介に預かりました、リセリア・ナイアラ・アスタ・ドゥリニアスと申します。改めてシノ様、ウル様、そして皆さま、どうぞよろしくお願いいたします」
「護衛騎士のシンシアです」
「従者のラドフィンと申します。シノ様と、雷牙狼のルーヴァル様におかれましては、危険な戦場にてお守りいただいたこと、深くお礼申し上げます」
エルフの女性騎士と、ラドフィンがそれぞれ名乗りを上げる。
ラドフィンは神炎覇火の炎に焼かれないように対処しているときに、魔力を使い切ったことで戦いの最後まで目が覚めなかったそうだ。
ルーヴァルがリセリアの元まで連れて行った後、魔力回復の薬を使うことで、ようやく回復したらしい。
影の中からルーヴァルが顔をだし、「ワウ」と吠えると、エルフの面々がとても驚いていた。
それぞれ紹介が落ち着くと、イレーネが「かけてくれたまえ」、と座る用に促してくれる。
儂らはリセリアの向かい側の椅子に腰を掛け、レオとヴァリは入り口側の椅子に座る。
一段落したところでイレーネは話を切り出した。
次回更新はイレーネとリセリアのお話です。




