太陽は落ちなければならない
慣性の法則によりふわりと自分の内側が浮き上がるような感覚を覚える。
体を全て預けさせられた挙げ句上空の百メートルは下らない高さから身を投げさせられたダリルはもはや薄っすらと涙を浮かべている。
ぐんぐんと地面が近づいて来る。
あの程度の高さならば地面に体を打ち付けても死にはしないと分かっていてもこの落下の感覚は嫌なものだ。痛いものは痛いのだから。
地面への衝突に備え、ダリルが目を閉じたその時、グンと内臓が押し下げられる感覚がした。
ニコラが足具から魔力を強く噴射し、落下の勢いを無理やり殺したのだ。
噴射の勢いは落下する二人の運動量をゼロにするだけではあり余り、二人の体は空中で一回転し、横になった体をニコラは地面に叩きつけた。
「二人共大丈夫か?」
落下地点へとレオンが駆け寄って聞く。
「――まあよし」
「何が良いんですか!徹頭徹尾ヒヤヒヤでしたよ!良くない汗がびっくりするぐらい出ましたからね!」
「クソ暑かったしちょうど良いんじゃねぇの?」
「うるさいです!黙ってください!」
「はいはい。最後のアレで魔力だいぶ出したから体が動かんぐらい疲れた。後は二人でなんとかして」
「そっか、ありがとうニコラ。ダリル、二人でアレを止めるぞ」
レオンが指さした方へ注意をむけると空を飛ぶ太陽鷹はある点を中心に三次元的な旋回を繰り返している。太陽鷹がなぞる球の内側には丁度半径が十メートルほどの巨大な赤い球が形成されている。
「あれさ、確実に殺しに来てるよね?」
「まあ奥の手とか切り札とか……そのへんに準ずる手札ではあるでしょうね」
「アレが地上で炸裂したらノストルの人のとこ辺りまでは焼けるよね?」
「まあおそらくは……」
「なぁ、ニコラの足具借りて良い?」
「いいぞ」
「僕の体を借りる許可も取ってくださいよ!」
「借りたらダメか?」
「やらざるを得ない状況じゃないですか!」
「めんどくさいな」
「置物は黙ってください!」
レオンは足具をつけ、ダリルはまた同じ様に体を預ける。
杖はニコラに預けた。摩擦のない状態など雪国に生まれていない彼らが生きている上ではそう立ち会うことは無い。
だが、レオンは天才でこそ無いが常々優秀な人間だった。
自身がそれなりの志のもとそれなりの努力をすれば一部を除き大概のことはすんなり理解できた、習得できた。
六年かけたとは言え二十一歳のAランク冒険者などそういないことがその証左である。
故にすぐに感覚を掴んだ、滑るということを、足首の機微による細やかな加速度の調整を。
それを少し動いただけで解し、ニコラよりもずっと小さい円を描いて、ニコラよりずっと小刻みな上昇を繰り返して登っていく。
太陽鷹が居る高度の三分の二ほどのところまで上昇したとき、太陽鷹がその巨大な太陽の如き球体を落とした。
「ダリル!頼んだ!」
レオンはそう言ってダリルを上方へと投げ上げる。
「ああもう!かつての日に我々を天へ匿した彼の神よ!この度、いつにも増します膨大な加護を受けさせ給へ!不肖、この悪戯好きの嘘好きダリルで在りましょうが、信心に偽りが有ったことがございましょうか!世……ひいては社会の為かは解しかねますが人の為にはございます!私の祈りに応え給へ!」
レオンが落ちてゆく一方、投げ上げられたダリルはそう叫んで聖書の上にTの字を描く。
神が言葉を聞いたのかは神のみぞ知る、だがダリルにはその見えない壁がいつもよりずっと大きく、地上の総てを覆うように現れたのを肌で感じた。
巨大な魔法障壁と衝突した球体は森中に響き渡るような破裂音を発して炸裂。
落下を始めたダリルの体を膨大な熱量が襲う。
だが、森は燃えなかった、始めは地面の方への速度を持っていた水蒸気達も次第に上昇気流となりついぞ地に降りる事はなかった。
――ダリルが落ちてゆく一方、それよりもずっと早く太陽鷹が下降する。太陽鷹は全ての魔力を使い切った。もはや魔法は使えない。それでも堂々と縄張りに入り込んで来た不届き者共を排さない事は本能が絶対に許さなかった。体の動かないニコラに狙いを定めて地面スレスレの低空飛行で決死のタックルを仕掛ける。――だが、それが間違っていたいのだろう。
「ずいぶんと真っ直ぐ来るじゃないか、読みやすくて仕方ない」
ニヤリと笑って彼女はそうこぼした。
確かにニコラは歩けないほどに疲弊していた。
だが、彼女は右手でショットガンを構え、引き金を引いた。
銃弾としては規格外の質量を持ったスラグ弾が太陽鷹の頭部と正面衝突する。
――太陽鷹は死んだ。その時点で死んだのだ。
しかしそれでも、惰性で脈を打つ心臓と、体を流れる血液と、肉を動かす神経までが死んだ訳では無い。
死後数秒の亡霊が、時速に換算して九十キロメートルほどでニコラに衝突した。
人よりもずっと大きい質量を持ったモノが、人が出すよりもずっと早い速度でぶつかった。
踏ん張りの聞かないニコラの体は大きく吹き飛び、森の奥へと消えていった。
「ニコラ!」
ニコラよりもずっと上手に着地していたレオンが叫ぶ。丁度ダリルも落ちてきた。
「ダリル!?大丈夫か?!ニコラが森の中まで吹っ飛ばされた!行けるか!?」
「一度に言い過ぎです。容態の方は全身に打撲と軽い火傷、歩けはしますが正直めちゃくちゃつらいです」
「わかった!とりあえずおぶって行くぞ!」
「助かります」
一方森の中に飛ばされたニコラはやはり自分では動ける状態でなかった。
それでも、上位魔族がやられたのだ。
そんじゃそこらの奴らは近づいてこまいと思っていた。
だが、ニコラの予想に反して、ある者が近づいて来ているのが分かる。
動けない、だから銃だけは撃てるように準備をした。
それが近づいてくる。森の中をかき分けてそれが現れた。
「すごい音がしましたよね!?大丈夫ですか!?」
そいつは猫のような瞳孔を持つノイマン……人のように見えた。だが、ニコラはそれを了解した上で引き金を引く。見てくれこそ人だがそれではニコラを騙すことはできない。
「あんたいっつもこんな事やってるのか?折角の上位魔族サマだと言うのに不意打ちばかりで鉄火場での練度に欠けてるんじゃあなぁ」
スラグ弾を受けたはずのその体からは血液が流れている様子も無く、ずいぶんと綺麗だった。それは喋らなかった。
ただ彼女を見つめるだけだった。
しばらくするとダリルをおぶったレオンが近づいてくる物音がする。
レオンたちが現れるその瞬間それは霧散した。
「……」
ニコラはもはやレオンとダリルの二人しか感じることができなかった
「遅いじゃないかふたりとも、太陽鷹の亡骸を運ばなければならないのだから取られない様に早くしなければならないだだろ?」
「人の心配を他所に好き放題言ってくれるな……」
「一番元気なのレオンさんですし、私とニコラさんは動けないので運んでくださいね」
「んな!?二人ともおぶるの大変なんだが!?」
「助かる。レオン、頼んだぞ。よくわからないのにも襲われたからそれについても話さにゃならんしな」
レオンはなんとか二人を運び、ノストルの兵達の手伝いも受けて無事に街へ帰ることができた。