記憶の対岸
「もし、僕が誰かを殺したとして……ニコラは僕をどう思う?」
聞いてしまった。今から殺しに駆り出される事を伝えてしまった。ベンは固唾を呑んでニコラの言葉を待つ。
数か月前の話だった。いつものように母を待って食事の支度をしていたら、いつも通り母が帰って来た。
「お帰り」
「ただいま」
母の表情はいつも通り疲弊していた。ベンが父を亡くした時、彼にはまだ物心が無かった。女手一つでできる仕事など街には殆どなかった。あるとしてもそれは母を受け入れられるモノではなく、或いは受け入れたとしてもとてもじゃないが買い手がつかないだろう。だから逃げるようにしてこの里に来た。母はエルフの女性たちと一緒に一日中皮をなめし、または狩られた動物を解体した。
「ねぇ、ベン。貴方、この場所の地理はよく分かるわよね?」
ベンの母は家に入るや否やそう聞いた。
「うん……まあ分かるけど、どうしたの?」
「あなたに街で働いて欲しいの。もちろん私も一緒に引っ越すわ」
「え……?街に……?」
ベンは物心ついてからの殆どの時間をこのエルフの村で過ごしてきた。そこにいたことでされた虐めもあるしそれでできた縁もある。彼にとって街と言う知らない場所が少し恐ろしく感じられた。それでも、毎日疲弊して、痩せこけて行く母を少しでも楽にできるのなら、それは彼にとって喜ばしい事だったのだ。
「もちろん、僕がんばるよ」
「嬉しいわ……ありがとう、ベン」
ベンは母に感謝されたことが嬉しかった。なんといっても、一人しかいない肉親で数少ない絶対的な彼の味方だったから。けれども――
「お母さん?大丈夫?」
ベンの母は浮かない顔を浮かべたままだった。
「ええ、大丈夫よ。安心して頂戴……いいえ、隠しても仕方ないわね」
そうして彼女は一つ紙を差し出した。そこには文字がずらりと並び、幼いベンには理解しえない単語も複数あった。それでも、ベンは丁寧に文脈を拾い、大よその意味を掴んだ。
「……お母さん。これ、本当なの?」
その文章の中には、街の公的な警察組織がエルフの集落を焼き払うための人材を募集している旨が書かれていた。地理に詳しいもの、腕に自信のある者、その他何か役に立てる者。
「あなたにとっては此処がふるさとなのはわかっているの。でも、街に住めば、ここで認められて冒険者として雇ってもらえればきっと忘れられる。だから――」
「お母さん」
ベンの母は純朴に子の幸せを願っていられる状況ではないという事実に彼は幼いながらも勘づいた。子として母に報いなければならないと、思ってしまった。
「大丈夫。僕やるから」
ベンは母にそう告げた。けれど、総言葉にしているさなかの彼の眼に母の表情は写らなかった。
――だからニコラに訊いたのだ。もはや正常ではない母の代わりに、自らの行為を肯定してくれる人が欲しくて。
お久しぶりです。サワラのテンジクです。本当に多忙だったので更新出来てませんでした。今週からまた復帰します。




