命を刻む
アルラウネは足元に転がった吸血鬼の頭を左右の腕を用いて拾い上げる。
彼が生きていた頃の温みはもはや無かった。
「ヴァン、ありがとう。私はヴァンに報ゆ為に、私の役割を全うするから」
そうとだけ言って彼女は吸血鬼の頭に口づけをした。
昔よりずっと冷たかった。
それでも、しないよりはずっと温かいから。
――ここよりもずっと東の国で出会ったことも、星の降る夜を共にしたことも、日陰で私を慈しむ姿も、腕だけを残して一度死んだ私をずっと看てくれたことも、全部覚えているから。
貴方で私は個を知りました。
そして、貴方という個を私は喪ってしまいました。
でもせめて、いや、だからせめて、一つの生き物として、私は番となった雌なのだから――
そうして彼女はもう萎びてしまった樹のすぐ隣に吸血鬼の頭を置いた。
「……映像記録出来る物を持っていないのが凄く惜しまれますね」
「そんなに珍しいことなのか?」
「特定の個体に死後までああいった行動を見せるのは非常に珍しい……いや、ありえないと考えられてきたのが魔族という動物ですから」
とてつもない隙を晒してくれたというのに、その珍しさについ息を飲んで見守ってしまった。
三人にはその事実を客観的な事実として記録する術は持ち合わせていないことには変わりないのに。
でも、三人だってこれ以上黙っちゃいない。
得物を構え直す。
「それが、私のするべきことだから」
アルラウネはそう呟いた。
彼女は翅のような葉の下にある背中から、幾つもの木の枝のような器官を伸ばした。
それらは周囲の木々にまとわりついて、三歳児ぐらいならすっぽり収まってしまいそうな巨大な蕾を数十と付けた。
「何だこれ」
「生殖ですよ、吸血鬼の血中の魔力を用いたのでしょう」
「アルラウネの次はあれを潰さなきゃダメって事?」
「勿論」
「うわぁ」
「取り敢えず行きますよ!」
その感嘆の真意は聞かないでおくとして、アルラウネの孵化は半日程度とかなり短い、素早く終わらせなければ大変なことになるだろう。
それを知っているダリルは故に早速魔法で炎を打ち出す。
だが、水分を十分に含んだ樹というのはなかなか燃えないものである。
「精霊魔法じゃ厳しいですね、二人にお願いしますよ」
「了解」「任せとけ」
ダリルが魔法のレールを生み出し、二人がそれに乗る。
レオンが首を狙うが、アルラウネは地面から樹を伸ばし、これを逸らす。
ニコラの弾丸も同様に樹木を盾にいなされてしまう。
だが、レールを用いて三次元的に縦横無尽な動きをする二人をアルラウネは捉えられなかった。
ニコラの銃弾を受け、レオンの刃をそらし続けることもそう長い時間はできなかった。
生み出した樹の樹皮がどんどんと柔らかくなっていくのが分かる。
レオンの振る大剣の刃の入り深くなっていっているのが分かったから。
レオンの刃に両足を切り落とされた。
それでも指は動くから、魔法を扱ってそれでも生きようと抵抗した。
生み出された樹木の繊維がだんだんとスカスカになっているのが分かる、ニコラの銃弾を受けたときの音がどんどん軽くなって、弾が奥まで届いているのが分かったから。
今となっては地面に落ちた赤色が還元される先もない。
数十分程度の攻防の果てに、アルラウネの両の腕が落ちる。
もはや抵抗はできなくなってしまった。
そうして、ニコラが打ち出した銃弾で顔の半分がえぐれた。
「殺した!」
ニコラがそう叫ぶ。殺してない。
でも、もう死にゆくだけだからそう変わらない、些事だ。
三人はアルラウネを殺したつもりになり、軽く一息ついた後、蕾を一つ一つ潰す作業に入った。
アルラウネはそれをただ見ることしかできない。
もはやピントの合わないぼやけた世界で、消えかけた意識の中で我が子達が死にゆくことだけは分かっていた。
彼女はただ、自らが命の営みに失敗したことに嘆いた。
彼から受けた二度目の命を、それを捨ててでも守らなければならない命だったのに。
命脈は全て尽きてしまう。大切な命は全て失われてしまうのだ。
――魔族にも、走馬灯というものがあるのだろうか、彼女は古い記憶を掘り起こした。
――――――――――
なんとも寝苦しかったのか、その夜は目が覚めてしまった。
大きく伸びをした後、暗闇の森の中で、昼間に合成した炭水化物をエネルギーとして体を動かす。
深い森の中での散策をするのはすごく新鮮で、その世界は神秘性を多分に含んでいた。
ただ、随分と生き物の気配がしない。
フクロウやミミズクといった夜行性の動物達もいないのだ。
他の夜を知らなかったから、そういうものだとその時は片付けてしまったけど、これもきっと彼のせいだったんだろうな。
彼は悠々と森の中を歩いていた。
がらんどうとした雰囲気の森の中でそこで唯一あるものとして、そうあるのが当然かのように歩いていた。
私は彼とそこで邂逅を果たした。
「……アルラウネ。こんな時間に歩いているなんて珍しいな」
「ええ、とっても珍しいわ。たまたま寝苦しくて、たまたま目が覚めて、たまたま気が向いて散歩をしていただけだから」
「……偶然の重なりの上に、この会話があるのか」
「偶然?私はそうは思わないわ。だって、我々が受け取る現実はたった一つだけでしょう?ならきっと、必然なのよ全部」
彼はその言葉を聞いて呆然としていた。
目を細めて、私をじっと見た。
そうして最後に大きく笑った。
「それを、吸血鬼に向かって言うか!不確定を体に宿し、現実のゆらぎで身を守る私たちに!偶然の否定は我々の否定に等しいのだぞ!」
「あら、そうだったの。私にとってはあなたとの出会いは、どんな世界でもあらゆる全ての私に起こる出来事な気がしただけよ。気を悪くしたならごめんなさいね」
「いいや、むしろ気に入った。必然論者のアルラウネ、私はお前が気に入った。『アルラウネ』ではなく、お前が」
「うふふ、嬉しい。私も『貴方』と生きてもいいと思えるわ」
アルラウネは艶やかに笑顔を浮かべた。
そうして、そのまま吸血鬼と目を合わせて告げる。
「ねえ、人は種ではなく個を見るらしいわ。そしてそのために名前をつけるの。だから、私は貴方を――そうね、吸血鬼だから――ヴァンと呼ぶわ。人がそうするように、私は貴方を見ているから。」
――――――――――
全部、全部潰えたのか。
そんな事は少し前にわかっていた。
だけども、それでも尚、ああ、ああ!!なんと虚しいことか!
アルラウネはなけなしの生命力で最後の一滴の涙を流して事切れる。空は高くて、青かった。花の全て落ちた樹の下で、二つの亡骸は目一杯の陽を受けるのだった。