公爵家と騎士団
ルッフェ公爵家の朝餐。優雅な響きであることは間違いないだろう。「響き」だけだが。
いかに自己中心的で、傲慢なヘシャル・ド・ルッフェ公爵であっても、家族との食事は欠かすことがなかった。
家庭の安寧は、貴族としての象徴であるからだ。
家庭を顧みずして、領地を運営することはできない。まさしく、封建社会におけるステレオタイプな貴族像だ。
公爵家は愚かにもそれを忠実に再現していた。あくまでも、「ガワ」は。
ここに、仲睦まじそうな七人の家族がいる。
父ヘシャルは妻シルヴィアの話に耳を傾け、ルードは退屈そうに社交界での出来事を右から左に受け流す。興味があるのは次女のアリエルだけである。
ハインは、黙々と食事をしている。弟であるエルへの嫌がらせやいじめは怠らなかった。
エルとマリアは、まだ幼いこともあってか、乳母を傍らに置いている。
ルードの向かい、そしてシルヴィアとアリエルの間に挟まれた座席は「長女」のものであった。
私が食堂にたどり着くと、既に、七人の家族は席についていた。
「遅かったな、のろま」
ルードが憎まれ口をたたく。
「あら、ルード。そんな汚い言葉を口に出すことは良くないわ。あなたまであの汚らしい子に合わせなくても良いのよ」
シルヴィアは、ルードにそう言い聞かせる。アリエルとハインがクスクスと笑った。
公爵はいとおしそうにシルヴィアを見るだけで、私を庇うことはない。
「早く座れ」
そういうだけだった。
私は、今日目覚めたばかりであり、死ぬかどうかの瀬戸際だった。シルヴィアは、先ほどまで涙を流していた女性とは思えないほどケロッとしている。
「私の快気祝いにしては、早いのではないですか?」
私は、公爵に目線を向けたが、彼は、冷たい表情で返した。
「身の程をわきまえろ、小娘が。お前など、死んでも死ななくてもどっちでもよい。目が覚めたなら動けるということだろ。現にこうして食堂まで来ている」
「私が動ける状態だと医者に聞いたのですか? 正直な話、ここまで来いという命令があったから来たまでです。公爵様の命令がなければ、部屋で休むつもりでした」
「なんだと?」
ヘシャル公爵は眉間にしわを寄せ、鋭く私をにらみつけた。
「いま、私に口答えしたのか、貴様!?」
ヘシャル公爵は、ドンッとテーブルに拳を打ち付けた。怒号は耳をつんざき、鼓膜がひりひりと震えた。その剣幕に、使用人と幼いエルとマリアがびくっと体を飛び上がらせた。
私は、微動だにしなかった。
「お許しを。私はまだ病み上がりで、判断能力が鈍っております。メイドたちに着替えを準備させたのにも手間取ってしまったくらいです。まさか、回復したばかりの私を叱責するのでしょうか?」
ヘシャル公爵の「叱責」は、言葉だけではない。相手を威圧し、折檻することを意味する。
病後の人間に対して、ましてや家族に叱責したとなれば、貴族の象徴としてアピールしてきたこれまでの実績に対して、領民や他の貴族が懐疑的になるだろう。
公爵はそれに気が付いたのか、一つ咳ばらいをした。
「そんなわけなかろう。お前のためを思ってのことなのだ」
私のためと思うなら寝かせてくれ。
「私のためを思ってくださるのでしたら、しばらくは自室で食事をとりたく思います。せめてもの公爵閣下への礼儀として、こうしてはせ参じた次第なのです」
私は、ドレスをつまみ、カーテシーをした。
エルとアリスが顔を赤くするほどに、完璧なカーテシーだ。
勇者たちは、皇室に所属するため、一通りの礼儀作法を学んだ。ほとんどは、言うことを聞かなかったが、カズマやアリスなどまじめな勇者は真剣に取り組んだ。カズマは、ほとんどが計算だったのかもしれないが。
「そ、そうか。なら、しばらくは自室にこもっているが良い」
公爵は、娘に対して関心を持っていなかった。だからこそ、娘の変化にも気づいていない様子だった。
しかし、普段のキリエは気弱で、愚図で、鈍間だった。吃音のきらいもあった。そのせいで、キリエは自分の思っていることを上手く相手に伝えられなかったのだ。
しかし、凛とした姿で立っている私を見て、シルヴィアやルード、アリエル、そしてハインは驚いていた。
一部の使用人(これらはおそらくシルヴィアが雇用した者たちであろうが)も、キリエの性格に変化が訪れていることを認識し、驚いた様子だった。
私は公爵に一礼すると食堂を後にした。
愚かな父親だ。あれが、公爵位を持っていることの方が驚きだが。
公爵令嬢は優雅な生活を送っている。世間一般、というよりも、帝国の他の公爵家や他国の公爵家に令嬢がいるのならば、その言葉はあてはまるだろう。
しかし、こと、キリエ・ド・ルッフェ公爵令嬢は世間一般とはかけ離れた生活を送っていた。
豪華絢爛なアンティーク調の家具や天井、壁紙に囲まれた部屋。しかし、主のクローゼットにはドレスがなく、家具の中には必需品が少なかった。
そして、それは食事でもそうだった。
家族に邪魔をされるか、使用人が料理に何か手を加えているかで、キリエはまともな食事をとることがままならなかった。
腹が減って厨房に行っても、料理の仕方がわからない令嬢には何をすればよいかわからなかった。
たまに置いてあったパンは、腐っているか、堅かった。
料理が置いてあったとしても、それは残飯だった。たまに、ハインが残飯を細工して、腹を空かせているキリエをあざ笑っていた。そのため、キリエは常に空腹と嘔吐感に苦しんでいた。
部屋に戻ると、メイドは既にいなくなっていた。
掃除も念入りにしたらしく、飛び散っていた血はふき取られていた。一部、赤みがかった染みはあるが、さほど気になるものではなかった。
油断はできない。
メイドは、突然の暴力に混乱していたが、すぐに徒党を組んでくる可能性がある。
あるいは、食事を終えたシルヴィアに悔しさを訴える可能性もある。
しかし、彼女たちの間に不和を演出することはできた。鞭打ちゲームによって、彼女たちの信頼関係はひびが入ったはずだ。
その前に仲間を集める必要があるだろう。何かを任せることができる仲間が良い。
私は部屋の窓を開けて、階下を見下ろした。そこには庭園や木々、出歩く使用人や騎士たちの様子を見渡すことができる。
そういえば、公爵家の騎士団は、公爵とルードの管理だっただろうか。
皇室と同等の軍事力として、公爵家に忠誠を誓う騎士団が存在する。公爵の護衛にあたる第一騎士団、継承権を持つ子どもの護衛にあたる第二騎士団、そして戦の際に活動する第三騎士団と平民で構成された第四騎士団だ。
さて、私はこの場合、どこを気に掛けてやるべきだろうか。
第一騎士団は、公爵自体に忠誠を誓うわけではない。公爵家に対して忠誠を誓う騎士の臣下たちで構成されている。つまり、実力で人間を判断するだろう。
第二騎士団は、特に公爵家が手を加えやすい騎士団だ。気に入らなければ交代させることができるため、多くが公爵やその妻、子どもに忠誠を誓う。第三騎士団は、第二騎士団に選ばれなかったり、攻撃に特化した騎士で構成されている。そして第四騎士団は、いわば捨て駒だ。
私は、騎士の訓練所に足を運ぶことにした。
レア・スティムガルドは、数少ない女性騎士であった。しかし、女であることが彼女の実力を発揮する機会を失わせていた。
ロンバルディア帝国では、女性騎士を重宝する貴族もいれば、保守的な貴族によって除外されることもある。そして、開国功臣で根っからの保守派であるルッフェ公爵は、「女の分際で」が口癖であった。
レアは、第一騎士団長のケーヒル・バルムンクの推薦によって、騎士団へと入団したが、人事部にいる騎士たちによって第二騎士団へと配属された。
女には女に相応しい場所があるという理由であった。
レアは、キリエの護衛騎士に任命された。公爵家で冷遇された公女の護衛を誰もやろうとは思わなかったからだ。
レアは、キリエの護衛任務にあたろうとして何度も先輩騎士たちに邪魔された。他の騎士たちは、レアに対して訓練と称して過激な木刀での殴打を続けていた。レアの騎士を志す夢を挫くために、男たちは絶え間なく彼女を酷使した。
その日も、レアは先輩騎士たちに訓練と称したリンチを受けていた。
レアは、木刀を握りしめて、先輩騎士たちを見据える。
相手は三人の騎士だった。レアよりも大柄で筋肉質な男性騎士だ。彼らは、次男ハインを護衛する騎士たちであった。
彼らは、外見ではわからない服の下に痣が残るくらい強力な殴打を毎日のようにレアに食らわせていた。
そして、レアが倒れると、立つまで思い切り踏みつける。
「女のくせに生意気なんだよ」
「女が剣を持つなんて百年はぇえよ」
彼らは、才能によって騎士団長に選ばれたレアに醜い嫉妬をしていた。
ハインの護衛騎士たちは、全員が貴族の出身であった。そして、努力して公爵家の騎士団に入り、生え抜きで第一騎士団に所属することもできた。
しかし、公爵の前妻が最後に雇用したケーヒル・バルムンクによって、彼らのキャリアは大きく後退した。
5年前の人魔戦争で、公爵領での防衛任務を行った騎士たちは、勇者たちが来るまで敗走していた。このままでは、公爵領が陥落する可能性があり、領民からは文句を言われ続けてきた。
その中で、新人だった騎士がソードマスターとして覚醒した。それがケーヒルであった。
侯爵令嬢であったシルヴィアに選ばれた彼は、侯爵領の男爵位を持つ貴族であった。シルヴィアが結婚した際に、彼女の護衛騎士として公爵領へと定住した。
ケーヒルは、男爵位を持った貴族であった。
実力が伴わなければ、いくら権力者であっても庇うことは難しいのが騎士の世界であった。
公爵領のソードマスターとして、魔族との戦いによって、頭角を現し、勝利を収めたケーヒルは、領民から熱狂的な期待を受けた。
公爵は彼を重宝した。
ケーヒルの戦いぶりに、他の公爵家の騎士たちも触発された。それまで騎士団の幹部であった騎士たちは、ケーヒルの陰に隠れてしまったのだ。
公爵領の防衛によって、ケーヒルは領地の英雄として騎士団長の栄光を与えられた。
そして、そのケーヒルやケーヒルに選ばれた騎士たちに、嫉妬する者たちがいたのだ。
ハインやルードの護衛騎士たちは、ケーヒルによって第二騎士団に追いやられた。
こうして、ケーヒルのリーダーシップの下で公爵領の防衛の要として日々奮闘する堅牢な第一騎士団、そして、シルヴィア公爵夫人の私兵となった第二騎士団が誕生した。
ケーヒルは、攻撃に特化した第三騎士団と平民にも機会を与えるために第四騎士団を設立した。シルヴィアたちの反発はあったが、公爵は貴族としての矜持を守るため、表向きであるが、平民に機会を与えることで、傾きかけた領民からの支持を獲得した。
そんな、騎士団間の冷戦の真っただ中に、レアは放り出されたのだ。
レアは、木刀の剣先によって腹を突かれた。
胃液が逆流し、吐き気がこみあげてくる。
「お、吐くぞ?」
男たちはレアの無様な姿を嗤った。
「なんだこの状況は?」
レアの背後で少女の声が聞こえた。
レアは顔を上げたが、日差しによって声の主の顔が見えなかった。
騎士たちは嗤い声を止めた。
「これはこれは」
「没落中の公爵令嬢ではありませんか」
騎士たちは丁寧な言葉遣いであったが、喜劇でも観覧するかのように、相手に対して馬鹿にするような笑顔を浮かべた。
「今は訓練中です。箸しか持てないお嬢ちゃんの出る幕はありません」
三人の騎士は破顔した。
「さっ、ここから出ていってください」
騎士は、少女に近づき、首根っこを掴んで、つまみ出そうとした。しかし、少女はその手を思いきり払いのけた。
「無礼な連中だ。公爵家の騎士団というのは、どこか浮ついた連中が多いのだな」
少女は、ため息を漏らしながら言い放つ。
その物言いに対して、騎士の一人が青筋を立てた。
「本当の無礼をお教えして差し上げましょうか? 公女様」
「こ、公女様?」
それは、レアの護衛対象である少女。
つまるところ、私だった。