天妃物語5
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夜空の月が輝きを増す刻。
鶯たちを探していた黒緋は自分の寝殿に戻ってきていた。
まだ鶯たちは見つかっていない。三人が寝殿を出てから半日近くが経過し、捜索範囲を都の外にまで広げているが手がかりすら見つかっていなかった。
だが今、黒緋は捜索を離寛に任せて苦渋の決断で寝殿に戻っていた。
それというのも、萌黄との三日夜餅のためだ。
昨夜の二夜目は鶯と肌を重ねていたのである。これは萌黄に対するひどい裏切りだ。その申し訳なさもあって黒緋は萌黄との三夜目のために戻っていたのだ。
今、黒緋と萌黄は寝間にいた。今から婚姻の契りを交わさなくてはならない。
「……本当にお戻りになってよかったんですか?」
「鶯たちなら大丈夫だ。今、離寛や式神が探している。赤ん坊の青藍が一緒ならまだそんなに遠くへ行っていないはずだ」
「でも……」
萌黄の視線が落ちる。
萌黄にとって鶯は大切な姉である。その鶯が行方不明で気持ちが落ち着かないのだ。
それは黒緋とて同様である。今から萌黄を抱くつもりでいるが、頭の片隅には鶯がいる。どうしても鶯と紫紺と青藍に心が囚われていた。
しかしそれは許されないことである。
黒緋は萌黄を見つめた。
「お前は俺が地上で出会った人間の中で最も天妃に似た神気を宿している。それだけは間違いないんだ。俺はこうしてまたお前と出会えたことを嬉しく思っている」
「天帝……」
黒緋と萌黄の間には三夜目に食べる餅が置いてある。
肌を重ねた後、二人でこの餅を食べれば婚姻成立となるのだ。
緊張で強張る萌黄に黒緋は「大丈夫だ」と優しく声をかける。
そして怖がらせないようにそっと手を取り、その体を寝床にゆっくり横たわらせた。
萌黄が怯えた瞳でおずおずと黒緋を見上げる。
それを宥めるような優しい手つきで黒緋は萌黄の夜着を乱していった。
黒緋の下で露わになっていく白い肌。その姿に、鶯に少し似ているな……と頭の片隅で考えてしまう。
だが脳裏によぎった鶯の姿をすぐに追いやった。今、萌黄の前で鶯を思うのは不義理だ。
やっと見つけた天妃に似た神気の輝きなのだから大切にしなければならない。
「……萌黄」
黒緋は囁くように名を呼んで萌黄の頬に触れた。
甘い声で名前を呼んで唇を重ねればいい。そうすればかつての妻たちは喜んでいた。そうすればずっと探していた天妃が戻ってくるはずで。
「天帝」
唇を重ねようとした寸前、萌黄が声を上げた。
萌黄は緊張に強張りながらも、なにかを伝えようとするように黒緋を見つめている。
「……どうした」
「あの、その、今夜こんなことを言うのはどうかと思っているんですが、でもどうしても気になってしまうことが一つ……」
「気になること?」
「はい」
萌黄は頷くと、押し倒されたまま黒緋を見上げた。
すると夜着を乱していた黒緋の手が止まり、萌黄はほっとしたように息をつく。
押し倒されたままだが躊躇いながらも口を開いた。
「天帝、私は本当に……天妃なんでしょうか?」
「何度も言っているが、お前はこの地上で最も天妃に似た神気を宿している。それはお前だけだ」
黒緋がどんなに鶯が天妃だったらいいのにと望んでも、鶯からは一切の神気を感じない。それが事実なのだ。
だが、そんな黒緋の言葉に萌黄は首を横に振った。そして。
「もしそうだとしても、私は貴方様にとっての天妃なんですか?」
「……どういう意味だ」
黒緋が訝しむ。
険しい顔になった黒緋に萌黄は怯みそうになったが、まっすぐに言葉を続ける。
「貴方様にとっての天妃とはなんでしょうか?」
「決まっている。天妃は俺の唯一であり、最愛だ」
黒緋ははっきりと答えた。
その言葉に迷いはない。天妃を取り戻すためだけに地上に降りたのだから。
だが、黒緋の答えに萌黄が少し困った顔になる。
「それは本当に私なんですか?」
「萌黄……?」
「貴方様の唯一は私なんですか? 私が最愛なんですか?」
「そ、それは……」
黒緋は答えに詰まった。
この答えは簡単だ、愛していると言えばいい。お前だけだと言えばいい。そうすればずっと探していた天妃が戻ってくる。
しかし、言葉が出てこない。
二人の間に沈黙が落ちた。
その沈黙に、押し倒されたままだった萌黄がゆっくりと身を起こす。
そんな萌黄の動きを黒緋が制止することはない。黒緋も一緒に身を起こし、萌黄の体からなんの未練もなく離れた。
黒緋は不思議だなと思った。
昨夜は自分の下に組み敷いた鶯に激情が抑えきれなかった。鶯にどうしようもなく欲情し、ここから出て行こうとする鶯が許せなくて強引に抱いたのだ。
だが今、夜着を乱した萌黄を前にしても激情を覚えない。鶯に似た容姿は魅力的だが、昨夜の嵐のような激情も欲情もないのだ。
……その答えは一つしかない。
「萌黄。俺は、俺は……っ」
「天帝、貴方様の天妃を探しに行ってください。天妃が貴方様にとって最愛の存在なら、私は貴方様の天妃ではないんです」
萌黄がはっきりと言い切った。
そこに普段のような明るさや可愛らしさはなく、まるで子どもに言い聞かせるようなそれである。
その様に、やはり鶯に似ているなと黒緋は思ってしまう。そんな自分に苦笑した。
鶯をひと時も忘れられない自分が少し可笑しくなったのだ。
「そうだな、萌黄。お前の言う通りだ」
黒緋は穏やかな眼差しで言った。
そこに惑いも迷いもない。
まるで枷から解かれたような清々しささえ覚える。
黒緋は立ち上がった。
「萌黄、ありがとう。お前を振り回してすまなかった」
「いいえ。鶯を……、私の姉さまをどうぞよろしくお願いいたします」
萌黄はにこりと微笑み、床に両手をついて頭を下げた。
萌黄の見送りに黒緋は頷くと寝間から飛びだす。その足取りは力強く、迷いはない。
こうして月明かりの下、黒緋は鶯を探すために寝殿を出たのだった。
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