天妃物語4
「……まさか人がいないなんて思いませんでした。でも夜の山は野犬がうろうろしていて危険なんです。どこか休める場所を探しましょう」
私はそう言って紫紺とひとつひとつ廃墟の家を覗き、ひと晩休めそうな家を探します。
公家や貴族の寝殿と違って平民の住居は粗末な造りをしていて、雨風にさらされた土壁には穴が開いていたり、屋根が半分崩れていたり、ほとんど野外と変わらないような酷い状態でした。
でもふと気付く。
廃墟の家に入って中をたしかめると、すべての家に白い小石が置かれていました。最初は偶然かと思っていたのですが、どこの家に入っても白い小石が置いてあるのです。
「いったいなんでしょうか……」
呪いの類いでしょうか。首を傾げてしまう。
しかし考えても分かりません。
今は今夜の寝床を探すのが先決です。三歳の幼い子どもと赤ちゃんを休ませてあげなければならないのですから。
こうして集落中を回って、ようやく休めそうな家を見つけます。
「ここなら大丈夫そうですね。紫紺、青藍、今夜はここで休みましょう」
さっそく中に入ってみます。
狭いですが壁や屋根に穴は開いていません。ここなら大丈夫ですね。
私は安心しましたが、でもいつまで待っても紫紺が入ってきません。
「紫紺、どうしました?」
声をかけてたしかめます。
でも紫紺はというと、今にも壊れそうな家を見て愕然としていました。
「こ、ここなのか?」
驚きを隠しきれない紫紺に私は首を傾げましたが、「ああそういうことですか」と納得します。
紫紺は京の都で生まれ、広い寝殿でなに不自由なく育ったのです。このような粗末な住居は見るのも入るのも初めてなのです。まだ三歳ですからね、仕方ないですね。
私は苦笑してからかいます。
「大丈夫、ひと晩くらいで壊れたりしませんよ。それとも怖くなってしまいましたか?」
「こ、怖くない! オレはそんなんじゃない!」
紫紺はハッとして声を上げると私と一緒に家に入りました。
私は火打石を見つけると囲炉裏に火をおこします。囲炉裏の薪が残っていたので助かりましたね。
囲炉裏に暖かな火が灯り、狭い室内を橙色に染めました。
私は青藍を膝に抱っこし、紫紺が正面にちょこんと座ります。
囲炉裏の灯かりで私と紫紺の影が壁に長く伸びて、紫紺が興味深そうに手を上げたりして動きを楽しみだしました。無邪気な様子が可愛らしいです。
「あまり火に近づいてはいけませんよ? 火傷でもしたら大変です」
「わかった。きをつける!」
「いい子ですね。寒くありませんか?」
「さむくない」
「お腹は空いていませんか?」
寝殿を出る時におにぎりを持参しましたが、道中でぺろりと食べてしまいました。育ち盛りの紫紺と青藍には少なかったかもしれません。
でも紫紺は首を振ります。
「だいじょうぶだ。おなかへってない」
紫紺がきっぱりと言いました。
……うそですよね。いつももっとたくさん食べるじゃないですか。
でも私を困らせまいと平気な振りをしてくれるのですね。
抱っこしている青藍は食欲よりも眠気のほうが強いようで、私の腕の中でうとうとしています。そんな青藍に今夜のところはほっとしました。
私は紫紺を見つめて目を細めます。
明日からの旅路は今日より厳しいものになるでしょう。行く宛もなく、休める場所の目処もたてられず、食料を確保しながらの旅路になります。舞をしながら日銭を稼ぐのです。
「……紫紺」
「なんだ」
「明日は今日より辛い思いをするでしょう。いいえ、明日だけではありません。この先ずっとです。それでも私と一緒にいてくれますか?」
「いっしょにいる! オレはぜったいははうえといるんだ! それに、オレはつよいからだいじょうぶなんだ!」
「紫紺……」
きっぱり答えた紫紺に胸がいっぱいになりました。
そうでしたね、あなたは強い子どもでした。
「ありがとうございます。私もあなたと青藍を決して離しません」
「うん、やくそくだぞ!」
嬉しそうな紫紺に私は優しく笑いかけました。
「はい、約束です。では紫紺、こちらへ来なさい。そろそろ眠りましょう」
そう言って手招きすると、紫紺がすぐに私の隣にきました。
青藍を抱っこしたまま紫紺の背中にそっと手を当てます。
そうすると紫紺は照れくさそうにはにかんで私の膝を枕にしました。まるで子猫のように膝枕にすりすりされて、私はクスクスと笑います。
さっきは強いんだと言っていたのに、こういう時は甘えん坊になるのですね。
「紫紺、疲れたでしょう。今夜はゆっくり休みなさい」
「せいらん、もうねてる?」
「よく眠ってますよ。さっきからうとうとしてましたからね」
気が付くと青藍はとっくにスヤスヤ眠っていました。
赤ちゃんですからね、疲れたらすぐに眠ってしまうのです。
紫紺も私の膝枕で横になるとすぐにうとうとし始めます。
私は紫紺の額に手を置いて、頭を優しくなでなでしてあげました。
「紫紺、おやすみなさい」
「ははうえ、おやすみ……。……スースー」
なでなでしていると紫紺からすぐに寝息が聞こえてきました。どうやら限界だったようですね。
いつもとは違う状況に紫紺と青藍は疲れてしまったのです。
私は青藍を抱っこし、膝枕の紫紺をなでなでしながら今後のことを考えます。
この旅に目的地はなく、目的すらもありません。黒緋と萌黄に二度と会わないように流浪するだけの旅です。
こんな旅に紫紺と青藍を一緒に連れてきたことを申し訳なく思います。でも二人の子どもだけはどうしても断ち切れなかったのです。
私は紫紺と青藍を見つめて明日からのことを考えます。
紫紺と青藍に空腹の悲しみや寒くて眠れない夜など経験させたくありません。空腹と寒さは容赦なく心を削っていきます。惨めさに身も心も縮こまっていくのです。二人をそんな目に遭わせたくありませんでした。
ならば私ができることは一つだけ。
私の特技である舞で銭を稼ぎます。その銭で紫紺と青藍にお腹いっぱい食べさせてあげるのです。
そこまで考えてハッとしました。
一緒だったのです。白拍子でありながら殿方に舞や色を売って銭を稼でいる女たちと。
私は以前、そんな白拍子たちを卑しいと思っていました。伊勢の白拍子でなければ本物の白拍子でないとすら思っていたのです。ましてや好きでもない殿方と肌を重ねるくらいなら死を選ぶとすら。
でも今の私は死を選べません。紫紺と青藍を育てるためにどんなことをしても生きねばならないのです。たとえ好きでもない殿方と肌を重ねることになったとしても。……それが現実でした。
「わたしは、なにも知らなかったのですね……」
視界が涙で滲んでいく。
恥ずかしいです。私は知らないことばかりで、ほんとうに恥ずかしい。
「グスッ……」
鼻を啜って着物の袖で涙を拭いました。
泣いてはいけません。
泣いても銭は稼げません。
私は眠っている紫紺と青藍の寝顔をじっと見つめます。
かわいい寝顔です。
私の宝物です。この宝物を守るために強くあらねばなりません。
その夜、私は紫紺と青藍をぎゅっと抱きしめて眠りについたのでした。




