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天妃物語3


 ■■■■■■


 鶯が紫紺と青藍とともに都を出て数刻後。

 陽が沈む頃、都の見回りを終えた黒緋は寝殿に向かって歩いていた。

 寝殿しんでんには鶯と二人の子どもが待っている。御所ごしょへ行っていた萌黄もそろそろ帰っている頃だろう。

 帰ったら鶯が出迎えてくれる。


『おかえりなさい。お疲れさまでした』


 炊事中の土間どまから出てきて、帰ってきた黒緋を出迎えてくれるのだ。

 今日もいつものように迎えてくれるだろう。今朝の朝餉あさげの時、昨夜のことなど何もなかったように振る舞ったように。

 黒緋は複雑だった。

 鶯が何もなかったように振る舞うのは萌黄のためだ。三日夜餅みかよのもちいの最中なので萌黄を傷つけてしまうと思ったのだろう。

 それは黒緋も理解できることだ。

 萌黄を天妃として迎えるなら、秘密にしてくれるのは黒緋にとっても都合つごうのいいことである。

 しかし無かったことにされて苛立いらだちを覚えたのもたしかだった。

 鶯にとって自分はその程度ていどの男なのかと理不尽な怒りを覚えるほどだ。


「俺はろくでもない男だな……」


 一人、ぽつりとごちる。

 自分がこんなにもおろかだとは思わなかった。

 過去に複数の女性をめとって平等に愛したことがある。しかし天妃を心から愛し、複数を平等に愛するなどできなくなったのだ。

 それなのに鶯にかれていく自分を止められなかった。

 天妃以外を愛することはないと決めていたのに、どうしても鶯が欲しくなった。鶯を愛してしまったのだ。

 三日夜餅みかよのもちい中の萌黄と肌を重ねる夜よりも、鶯を手放したくない衝動が勝ってしまうほどに。


「今帰った」


 黒緋はいつものように寝殿しんでんの正門を潜った。

 しかしいつもなら出迎えてくれるはずの鶯が出てこない。声も聞こえない。

 それだけじゃない。いつもならにぎやかな子どもの声も聞こえるはずなのに、それすらも聞こえなかった。


「鶯……?」


 不審ふしんに思っていると、少しして萌黄が血相けっそうを変えて寝殿の奥から飛び出してきた。


「大変ですっ、大変です! 鶯と紫紺様と青藍様がいないんです!」

「なんだと!? なにがあった!」

「……三人は出かけたきり帰ってこないんです。式神の女官によると昼餉の後に鶯が出ていって、紫紺様と青藍様が後を追いかけたとか。それから帰ってきていません」

「っ……」


 黒緋の全身から血の気が引いた。

 鶯は出ていったのだ。

 昨夜、黒緋は引き止めるために鶯を抱いたが、鶯の気持ちは変わっていなかった。

 鶯は黒緋に抱かれながらも別れを決意していたのだ。


「クソッ……」


 底のない喪失感。

 抱くことでこの手に掴んだと思ったのに、まやかしのようにするりと消え去ってしまった。


「すぐに探すぞ! おそらくすでに都の外に出ているだろう。離寛を呼べ! 式神にも捜索させる!」


 黒緋は式神を出現させた。

 すべての式神に鶯たちを捜索させるのだ。

 激しい剣幕けんまくで捜索の指揮をとる。

 黒緋は目の前が真っ暗になる心地だった。

 勝手に出ていった鶯に怒りすら覚える。そしてなにより自分の不甲斐ふがいなさに。

 だが今はすべて後だ。なにがあっても鶯と紫紺と青藍を見つけ出さなければならない。


「俺は先に探しに行く。萌黄はここに残っていろ、離寛が来たら事情を知らせてくれ」

「畏まりました」

「後は頼んだぞ!」


 黒緋は焦った顔で寝殿しんでんを飛び出した。

 こうして鶯と紫紺と青藍の捜索が始まった。

 しかし今夜は三日夜餅みかよのもちいの三夜目である。黒緋が天妃の萌黄を取り戻せる大切な夜である。

 だが、今夜中に鶯たちを見つけなければもう二度と会うことはできなくなるだろう。

 萌黄か鶯か。迫られる決断に黒緋は苦々しく舌打ちしたのだった。


■■■■■■




「ははうえ、みろ! しかだ! しかがいる!」


 手を繋いでいる紫紺がはしゃいだ声をあげました。

 抱っこしている青藍も鹿しかを見つけて「ばぶぶー!」とおおはしゃぎです。


「ふふふ、可愛いですね。小鹿もいますよ」

「うん、ちっちゃいしかだ! かわいい!」


 楽しそうな紫紺に目を細めます。

 私は夕暮れに染まる空を見上げました。

 みやこをでた時は真上にあった太陽も、今や西の山間やまあいに沈もうとしています。

 私は紫紺と青藍と一緒に街道を抜けて険しい山道を登っていました。

 旅人が利用する山道ですが、そこは獣道より少し広いだけの道です。足元も悪く、気を付けなければ地面に張り出た木の根に足を引っかけてしまいそう。


「紫紺、疲れていませんか?」


 私は手を繋いでいる紫紺に聞きました。

 この子は一緒に行くと決めてからもずっと歩いているのです。まだ三歳の細い足ではつらいはずです。

 でも紫紺はきょとんとする。


「つかれてないぞ」

「慣れない山道です。無理しないでください」

「むりしてない。たんれんで、ずっとやまをはしってたんだ。だからだいじょうぶだ」

「そうでしたか」


 少しだけ安堵しました。

 紫紺は天帝の血を引いているので普通の子どもではありません。今はその強さにほっと胸をなでおろしました。


「この山道を少し行った先に小さな集落があるはずです。今晩はそこで休みましょう」


 こんな幼い子どもたちに山で野宿させることはできません。陽が沈んでしまう前に集落に入り、事情を話して納屋なや馬小屋うまごやでも借りましょう。せめて屋根のある場所で夜を越えたいのです。

 険しい山道を歩いていると、少しして木々が開けた場所に出ました。

 目的地にしていた集落です。

 でも。


「そんな……」


 愕然がくぜんとしました。

 集落は不気味なまでに暗く静まり返って、人間の気配を一切感じないのです。

 集落内にぽつりぽつりと点在する土とわらでつくった粗末そまつな住居は、打ち捨てられて今にも崩れそうになっていました。

 そう、集落は廃墟ばかりになっていたのです。

 私は誰もいない集落を困惑しながら歩きます。

 つい最近まで誰かが暮らしていたように思えるのに、どこにも人の気配がありません。もしかしたらこの集落は捨てられたのでしょうか。


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