天妃物語2
黒緋の寝殿を出た私は都の大通りを歩き、人でごった返す市を抜けます。
私は前を向いて歩き続けます。後ろを振り返れば立ち止まってしまいそうなのです。だって。
「あうあー、あー!」
「せいらん、シーだ。シー。しずかにしないと、ははうえにきづかれるだろ?」
「あうー……」
紫紺と青藍が隠れながら後をついてくるのです。
何度も帰りなさいと言っているのに、そのたびに紫紺はぐっと唇を噛みしめてついてくる。おんぶした青藍は私に向かって「あぶぶっ、あー!」と呼びかけてくるのです。
二人の気配を感じながらそれでも歩き続けました。
しばらく歩き続けて都の正門に差しかかります。
この正門を越えれば都の外。もう二度と都の地を踏むことはありません。
私は一歩踏みだそうとしましたが。
「わあっ!」
「あぶ!」
背後で紫紺が転びました。
思わず立ち止まってしまう。
「あ、あう〜、うっ、うっ」
青藍の泣き出しそうな声。
紫紺が転んだので青藍はびっくりしたのです。
「せいらん、なくな! だいじょうぶだから! いたいとこないから!」
「うっ、うっ、うええええええええん!! えええええん!!」
聞こえてきたのは青藍の大きな泣き声。
泣き声を振り切って前へ歩きたいのに、後ろから聞こえてくる紫紺の声と青藍の泣き声に足が動かない。まるで地面に縫い付けられたよう。
私は震える指先を握りしめました。
今すぐ駆けよって転んだ紫紺を抱きしめたい。泣いている青藍を抱きしめたい。
大丈夫ですよ、抱っこしてあげます、いい子ですね、そんなたくさんの言葉をかけて慰めてあげたい。
だって二人は私の可愛い子どもたちなのです。
「ははうえ……」
立ち止まったままの私に紫紺が声をかけてきました。
その声は心細そうに震えていて、胸が痛いほど締めつけられる。
紫紺、青藍。今すぐその名を呼んで抱きしめたい。抱きしめたいのです。
「ははうえ……」
また呼ばれて、後ろから着物の裾をぎゅっと握られました。
離しなさい。そう言わなければならないのに言葉が喉に貼りついて出てこない。
だって紫紺の小さな手が縋るように私の着物を握りしめていて、私の視界が涙で滲む。
「っ……、どうして、どうして言うことを聞いてくれないんですかっ……」
いつも紫紺は聞き分けがいいのに、どうして今はそんなに言うことを聞いてくれないんですか。
でないと私は、わたしはっ……。
「……オレもいっしょにいきたいんだ」
「うええええん!!」
「せいらんもいっぱいないてる……。ははうえに、だっこしてほしいって」
「ぅっ、……紫紺! 青藍!」
私は堪らなくなって紫紺と青藍を抱きしめました。
すると紫紺はぐっと唇を引き結んだかと思うと。
「っ、ははうえ! ははうえっ、ははうええっ! うわああああああああん!!」
私にしがみついて大きな声で泣きだしました。
おんぶされていた青藍も泣きだした兄上に驚いて「うええええええええん!!」とまた泣きだしてしまう。
「紫紺、青藍……っ、ぅっ」
私の視界も涙で濡れて、二人の可愛い顔が滲んでいきます。
あなた達、怖かったのですね。
なにも知らないのに不安を覚えて、必死に私を追っていたのですね。私の背中を見失わないように、必死に。
でも私の腕の中で紫紺が溢れる涙をごしごし拭います。
「だめだっ、だめだ。なくのだめだっ……。せいらん、がまんしろ!」
「あうっ、あうっ。うえええんっ……、ちゅちゅっ、うえええんっ、……ちゅっちゅっ、うええんっ……」
青藍も親指を吸ってなんとか泣きやもうとするけれど、うまくいかなくて嗚咽が漏れています。
一生懸命泣きやもうとする二人を不思議に思っていると、紫紺が涙で真っ赤な目で私を説得してきます。
「ははうえ、オレもせいらんもなかないっ。ちゃんとつよくなるっ。だからいっしょにいく! ははうえといっしょがいい!! グスッ、うぅっ、なかないから……!」
私は言葉を失くし、唇を噛みしめました。
……ああ、私ほど酷い親はいないでしょう。
二人が一生懸命泣きやもうとするのは、私がそうあるように望んでいたからなんですね。
強い子になるために泣いてはいけないのだと、事あるごとに伝えてきたからなんですね。
だから私と離れまいとする今、泣きたくても涙を我慢しようとするのですね。
ごめんなさい。ごめんなさい。
私は二人の親だと言いながら、二人のことをなにも分かっていなかったのです。
私は紫紺と青藍の顔を覗きこみました。
涙で滲んでいるけれど、かわいいかわいいお顔です。
「泣いてもいいですよ」
紫紺の目元にそっと触れて優しく笑いかけます。
「たくさん、たくさん泣いてもいいですよ」
「ははうえ……」
紫紺が大きく目を丸めました。
びっくりして零れそうな大きな瞳。かわいいですね、いい子いい子と紫紺の頭を撫でてあげます。
次は紫紺におんぶされている青藍です。帯紐を解いて抱っこしてあげました。
「あなたの泣き声を聞かせてください。赤ん坊……いいえ、あなたはかわいい赤ちゃんです。赤ちゃんなんですから、たくさん泣くものですよね。赤ちゃんは笑っていても泣いていても可愛いのです」
「う、うええええええん! ええええええん!」
両腕に収まる小さな体。
青藍が泣きながら私にぎゅっとしがみついてきました。小さな手が私を離すまいと着物を握りしめて……。ごめんなさい、たくさん怖い思いをさせました。
いけませんね。私はすべてを捨てようとするあまり大切なものを見失っていたのです。
紫紺と青藍はこんなにも私を必要としてくれているのに。
泣いている紫紺と青藍を見ていると私まで涙が溢れてきます。
行き交う人々が不審そうに私たちを見ていましたが、今は気になりませんでした。
こうして泣いて、たくさん泣いて、私は涙を拭って紫紺と青藍を見つめます。
「一緒に行きましょうか。私も紫紺や青藍と離れたくないんです」
「うん、ははうえといっしょがいい!!」
「あうあ〜! あい〜!」
私は紫紺と青藍に笑いかけて、ゆっくりと立ち上がりました。
青藍を片手に抱っこし、紫紺と手を繋ぎます。
そして都の正門を見つめました。
「紫紺、あの門を出ればもう都の外です。もう都に帰ることはありません」
そう言って手を繋いでいる紫紺を見下ろします。
紫紺は私をじっと見上げていました。
幼いながらもまっすぐな瞳です。だから私も嘘偽りなく伝えます。
「あの門を出たら、もう父上には会えません。温かな寝床で眠ることも、お腹いっぱい食べることもできなくなります。それでも、それでもいいんですね?」
「オレはははうえといっしょがいいんだ! いっしょじゃないといやだ!」
紫紺がきっぱり答えました。
繋いでいる手にぎゅっと力をこめられて、私もぎゅっと握り返しました。
抱っこしている青藍も「あぶっ」と私にぎゅっとしがみつきます。
幼い二人の覚悟に胸がいっぱいになりました。
きっと黒緋のことを生涯忘れることはできないでしょう。どんな時もいただいた翡翠の櫛を握りしめて生きていくことになるでしょう。
だって今も黒緋のことを思うと胸の痛みに苦しくなります。でもね、そんな時は嵐に耐える草花のようにじっと蹲って耐えます。嵐は何度も襲ってくるけれど、そのたびに蹲って耐えるのです。
それを何度か繰り返すうちに、いつか、いつか思い出にすることができるでしょう。私は一人ではないのですから。
黒緋には申し訳ないことをしたと思っています。黙って出ていくこともそうですが、息子である紫紺と青藍を一緒に連れていくのですから。
だからせめて私は紫紺と青藍に約束しましょう。
この繋いでいる小さな手を、抱っこしている小さな体を、もう決して離したりしないと。
「紫紺、青藍、行きましょう」
「うん!」
「ばぶっ」
私と紫紺と青藍は都の正門を潜りました。
そして、すべてを断ち切るように都の外へ踏み出したのでした。




