さようなら、私の愛しい御方。どうかおげんきで。4
翌日の朝。
黒緋と紫紺と青藍と萌黄と私で朝餉の時間を迎えていました。
でも私は青藍のお世話ばかりをしています。自分の食事を進める気にならなかったのです。
昨夜の庭園で見た光景が目に焼き付いていて、聞こえた声が忘れられなくて、なにも喉を通らなかったのです。
昨夜は一睡もできなくて、気を抜けば表情すら取り繕うことができなくなってしまう。
本当は黒緋や萌黄と食事を囲むことすら心は拒否していました。今は二人を見たくなかったのです。
「鶯、どうしたの? 食べてないみたいだけど」
萌黄が心配そうに声をかけてきました。
顔を覗きこまれて、さり気なく顔を逸らしてしまう。
「……なにもありませんよ。青藍はまだ小さいですから食べさせてあげないと」
私は忙しいのですよ。
青藍はまだ小さいのでお世話してあげないと。ほら小さな口に米粒がついています。
「ほら青藍、口元に米粒がついていますよ」
「あぶっ」
「綺麗になりました。青藍、あーんしてください」
「あー」
「上手ですね。もぐもぐです」
「あむあむ」
青藍が小さな口をもぐもぐさせて、柔らかく煮込んだ粥をあむあむ食べます。上手に食べられてえらいですよ。
青藍を見守りながら紫紺に声をかけます。
「紫紺、焼き魚をこちらに。小骨を取り残していないか見てあげます」
「ははうえ、ありがとう!」
「たくさん食べてくださいね」
私は紫紺の魚に小骨が残っていないか確認してあげます。
御膳に並べる前に骨は取っていますが、もし残っていたら大変です。私は忙しいのです。自分の食事も取れないほど忙しいのですよ。だから私のことは気にしないでいいのです。
こうして誰も私を気にしないように忙しくしていました。
でもそんな中、黒緋が改まった様子で口を開きます。
「突然で悪いが、お前たちに話しておきたいことがある」
突然のそれに紫紺がきょとんとして食事の手を止めました。
でも萌黄だけは緊張した顔になります。
その萌黄の僅かな変化に気づいてしまって、嫌な予感を覚えてしまう。
しかし表情には出しません。私も青藍の世話を止めて黒緋に向き直りました。
「ちちうえ、はなしってなんだ」
紫紺が不思議そうに聞きました。
黒緋は頷いて真剣な顔になります。
「天帝の俺がどうして地上に降りたか知っているな」
「うん、てんひをさがしてるんだろ?」
「そうだ。天妃は天上から落ちて四凶を封じた。俺は地上に落ちた天妃をずっと探していた」
黒緋はそこで言葉を切ると、萌黄を見つめました。そして。
「俺は萌黄を天妃として迎えようと思う」
紡がれた言葉。
私はみるみる強張っていく顔を俯いて隠す。
でも隠すもなにも今は誰も気づきません。黒緋が告げた言葉に紫紺は驚き、萌黄は顔を赤くしてしまったから。
紫紺はびっくりした顔で萌黄を見ます。
「もえぎがてんひだったのか!?」
「わ、私が天妃なんて信じられないよねっ。私も信じられなくて……っ」
萌黄は半信半疑な様子でした。
でも萌黄は斎王です。天帝に仕えることを役目とした立場です。天帝に迎えたいと乞われれば、それを断るなんてできないのです。
「そっか。それじゃあ、もえぎはちちうえのてんひになるんだな」
「う、うん……」
躊躇いつつも萌黄が頷きました。
そんな萌黄に黒緋は優しく目を細め、次に私を見つめます。
「鶯、聞いてくれたとおりだ」
話しかけられて私の肩がぴくりっと跳ねました。
ゆっくりと顔を上げて黒緋を見ます。
そこには長年探し求めていた天妃を見つけ、とても嬉しそうに微笑む黒緋がいました。
その微笑みに心が引き千切られる。
大きな声で泣き喚いてしまいたくなる。
でも震える指先を痛いほど握りしめて、なんでもない振りをして微笑みました。
「おめでとう、ございます」
声が少しだけ上擦ってしまいました。
でも賑やかな紫紺の声がそれをかき消してくれます。
「おどろいたぞ! もえぎがてんひだったんだな!」
「う、うーん、天帝がそうおっしゃるなら……」
萌黄が答えて、黒緋が優しく微笑んで、紫紺がびっくり顔でした。
この出来事は私以外にとって幸せな報告なのです。
「それなら、ちちうえはもえぎとけっこん?」
「ああ。人間の婚礼に則って三日夜餅をしようと思う」
「みかよのもちい? なんだそれは」
「俺が萌黄の部屋に三夜通い、三夜目に餅を食べる儀式だ。これで婚姻成立になる」
「ふーん、そうなのか」
紫紺は首を傾げながらも答えました。三歳には少し難しかったようですね。
でも当然です。それは三夜も夜這いをするということですから。
こうして黒緋は三日夜餅を宣言すると、また私たちを見回します。
「話はこれだけだ。みな、よろしく頼む」
黒緋はそう言うと、「鶯、萌黄を頼んだ」といつもの穏やかな口調で言いました。
その言葉に胸が押し潰されそうになる。
ぎりぎりと締め付けられていく。
でも拒否することはできません。
私は僅かに頷いて、逃げるように顔を逸らしました。そしてまだ赤ん坊の青藍のお世話に没頭します。
「……ああ青藍、野菜をべーしてはダメじゃないですか。せっかくあなたでも食べられるように長く煮込んだのに」
「あうー。……べー」
「ほらほら、またべーして。ダメですよ?」
私は忙しく青藍のお世話をします。
忙しいので黒緋と萌黄が視界に入ることはありません。
そう、私は忙しいのです。青藍のお世話で忙しいのです。紫紺だってまだ三歳なんですからお世話が必要です。だから忙しくて傷ついている暇もないのです。
私はお世話に没頭して無理やり黒緋と萌黄を頭の片隅へ追いやりました。
そもそも私が勝手に黒緋に恋しただけなのです。
天帝とは知らずに勝手に恋をし、天帝だと知ったあとも忘れることはできず、それどころか青藍を誕生させてまで側にいようとしました。
だから、だからこうして傷ついているのも私の勝手で、誰も悪くない。誰も悪くないのです。
私は握りしめた手の平に爪を立てる。爪を立てた痛みで胸の痛みを誤魔化しました。
そうでもしていなければ、天妃なんか見つからなければ良かったのにと罰当たりなことを思ってしまいそう。黒緋のことをなんて酷い男だと、なんて残酷な男だと、理不尽に罵ってしまいそうだったのです。




