世界で一番優しくて、世界で一番ひどい男5
嫌な予感というものは的中することが多いのだといいます。
市で萌黄と再会してからすぐに黒緋の寝殿に帰ってきました。
しかも黒緋の強い希望で都にいる間はここに滞在することに決まりました。もちろん私に異存はありません。ずっと伊勢にいる萌黄のことが気になっていたので、その萌黄と一緒に暮らせることは嬉しいことなのです。
でも、黒緋が初めて萌黄を目にした時のあの反応。それが脳裏に焼き付いていて離れません。
何度も振り払おうと思うのに、萌黄を見つめる黒緋の眼差しが忘れられないのです。
まさか、まさか……そんなはずありませんよね。まさか萌黄が……。
「っ、いた……っ」
指先に走った痛みに包丁を置きました。
見れば指先に血が滲んでいます。考えごとをしながら食材を切っていたら指を怪我してしまいました。
夕餉づくりに集中しようと思うのに……。
「早く手当てしないと」
頭を切り替えるように言うと指の手当てをして料理に戻ります。
でも座敷がある方角をなんとなく見つめてしまう。
そこからは時折、楽しげな笑い声がしていました。
土間まで届く話し声や笑い声。
今、黒緋と萌黄はどんな会話をしているのでしょうか。どんな顔で互いを見つめているのでしょうか。
そこには紫紺も一緒にいるはずなので、きっと旅の話や鬼神討伐の話をしているのかもしれません。
座敷へは私も一緒にと誘われていましたが、夕餉を作るからと自分から辞退しました。
本当は黒緋と萌黄が気になって仕方ありませんでした。でも一緒にそこにいるのが怖かったのです。見たくないものを見てしまう気がして、どうしても怖かったのです。
「あ、鶯、いたいた!」
ふと土間に離寛が飛び込んできました。
息せき切らせてとても慌てた様子です。
「鶯、あんたにそっくりのあの萌黄が斎宮の斎王だってのは本当か!?」
「なんですかいきなり……」
「さっき黒緋から紹介されたんだ。あんたの双子の妹だって」
「そうですよ。会ったのなら分るでしょう。私と萌黄はそっくりなんですから」
「ああ。顔だけはな」
そう言った離寛に私は内心少しだけムッとしてしまう。
きっと性格が正反対だと言いたいのでしょう。私と萌黄はなにもかも違うのです。
「私は萌黄のように優しいわけでも、ましてや可愛げがあるわけでもありませんからね」
私はそう答えながら夕餉づくりに戻ります。
お話しがそれだけならもういいでしょう。
でも離寛は神妙な面持ちで首を横に振りました。
「そうじゃない。あの萌黄は本当に人間なのか?」
「え、どういう意味です?」
思わぬ言葉に振り返りました。
離寛は真剣な顔で口を開きます。
「萌黄の神気の大きさは異常だ。人間離れしている」
「たしかに萌黄は生まれた時から大きな神気に恵まれています。斎王に抜擢されるほどなんですから」
「あれは恵まれてるってもんじゃない。……そっくりなんだ」
「そっくり? なんのことです」
訝しむ私を離寛がじっと見つめてきます。
意味深さを感じさせる視線に少し居心地が悪いです。なんですか? と問うと、離寛は真顔で口を開きます。
「俺は、俺は……鶯が天妃だと思っていた」
「はあ!?」
予想外の言葉に目を丸めました。
でも離寛は本気のようで、顎に手を当ててしげしげと私を見ます。
「俺はあんたがそうじゃないかって思ってたんだ。あんたは顔も声も驚くほど天妃に似てるから。でも」
離寛はそこで言葉を切りましたが苦い表情で続けます。
「でもやっぱり、どうしても鶯からは神気を感じない。同じ双子の萌黄があれほどの神気を持っているのに、あんたからは不自然なほど一切感じない」
「…………」
私は言葉が出てきませんでした。
離寛が似ているというなら私は本当に天妃に似ているのでしょう。
きっとそのおかげで黒緋は初めて出会った時から私に優しかったのかもしれません。そのおかげで私との子どもを望んでくれたのかもしれません。
……ギリギリと胸が軋む。
身のほど知らずにも黒緋に愛される天妃が羨ましいとすら思ってしまう。
でも今、私と同じ容姿の萌黄が現われました。しかも萌黄は人間でありながら神気に恵まれています。
私は離寛を見つめました。
あなた、優しいですね。私を気遣ってくれているんですね。
だって本当は、萌黄の神気は天妃の神気に似ていると、そう言いたいんですよね。
だから自分から聞きます。
「萌黄が天妃だというんですか?」
「……まだ決まったわけじゃない。でも」
「そうかもしれないと、そういうことですね」
握りしめた手の平に爪を立てる。そうでもしなければ声が震えてしまいそうでした。
決して願ってはいけないことを願ってしまう。天妃なんか見つからなければいいと。
天妃なんか見つからず、このまま黒緋と私と紫紺の三人でと。
私は萌黄が大好きなのに、それなのにもし萌黄が天妃だったらと思うと心の底に沸々《ふつふつ》とした感情が芽生えだしてしまう。
どす黒い感情が心に渦を巻き、腹の底から得体のしれない塊が頭をもたげるのです。そこから生まれる感情はひどく悍ましいもので。
「鶯……?」
黙り込んでしまった私に離寛が心配そうに声をかけてきました。
私はハッとし、慌てて首を横に振ります。
「なんでもありません。天妃が見つかるといいですね」
私は顔に無理やり笑みを貼りつけて、心にもない返事をしました。




