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世界で一番優しくて、世界で一番ひどい男1


 鬼神討伐を終えた翌朝。

 私は早朝から裏庭で薪割まきわりをしていました。

 目の前のまきだけを見つめて、ひたすら、ひたすら薪割りをしています。

 カン! カン! カン!

 薪だけを見つめて、薪を割る小気味良い音だけを聞いて、何度も何度も斧を振り下ろし続けます。集中していなければ余計なことばかり考えてしまうのです。

 こうして薪割りの音を響かせていると、ふと黒緋が裏庭に姿を見せました。


「鶯、お前が薪割りをしていたのか」

「黒緋様……」


 薪割りの手を止めました。

 握っていた斧を地面において深々と頭を下げます。


「おはようございます。薪が少なくなっていたので。……もしかして音がうるさかったでしょうか」

「そういうことじゃない。薪割りなら式神にさせればいいだろう」

「女官の式神は炊事をしてもらっていますから」

「俺に言え。怪力の式神くらいいくらでも出す」

「そんな、黒緋様に直々にお願いするのは……」


 それはおそれ多いことです。

 天帝に仕える斎宮の白拍子としてできないことでした。

 そんな私の反応に黒緋は少し困った顔になってしまいました。

 それに私はなんだか申し訳なくなって、なるべくいつも通りの表情を作ります。


「黒緋様、今日も紫紺と鍛錬に行くんですよね」

「そのつもりだが」

「ではお昼のおにぎりを用意しますね」


 黒緋と紫紺は今日も鍛錬に行くようです。

 私は今までどうして黒緋は紫紺を強くしたいのか分かりませんでした。黒緋の紫紺を強くすることに対する強い思い入れに疑問を覚えていたのです。

 でもね、それは天妃のためだったのですね。

 私は神話でしか知りませんが、天妃は天上から地上に降りて四凶しきょうを封じたのです。天妃は四凶を封じたことで消滅し、地上で転生したのだといいます。その天妃を取り戻すために黒緋は地上へ降りてきました。

 黒緋の地上での目的は一つ、天妃を見つけだして四凶を討伐すること。四凶を討伐しなければ天妃は元に戻りません。だからなのです。だから黒緋は紫紺を強くし、対四凶の戦力にしたいのです。

 ……私は、私はなにも言えませんでした。

 紫紺は私の子です。黒緋の子だけれど、私の子でもあるのです。天妃のために身籠ったつもりはありません。

 でも何も言えませんでした。

 ……怖いのです。

 天妃を取り戻すためだけに地上に降りた黒緋にとって最優先は天妃の奪還。もしとなえれば不快な思いをさせるでしょう。不快な思いをさせて、遠ざけられて、ここを出ていくことになればもう二度と出会うこともないのです。紫紺とも離ればなれになるでしょう。あの子は天帝の血を継いだ特別な子どもなのですから。

 そこまで考えて視線が無意識に落ちてしまう。

 黒緋はとても穏やかで寛大かんだいな人なので私に優しくしてくれますが、それでも私が最愛になることはないのです……。


「もうすぐ薪割りが終わるので座敷で待っていてください。すぐに朝餉あさげの支度をいたします」

「分かった。だが薪割りは俺が替わろう」

「いいえ、薪割りなどしていただくわけにはまいりません。黒緋様は天帝なんですから」


 私は地面に置いていた斧を拾うと背中に隠しました。

 地上の人間にとって天帝とは神です。そんな彼に薪割りなどさせられません。

 でもそんな私に黒緋がため息をつきました。


「……鶯、俺に遠慮しないでほしい。今までのように接してくれないか?」

「え?」

「昨日の鬼神討伐が終わってからお前の様子が変わってしまって、ずっと気になっていた」

「黒緋様……」


 驚きました。

 黒緋が私をずっと気にしていたというのです。

 たしかに鬼神討伐で黒緋の衝撃の事実を知ってから私の態度は変わってしまったかもしれません。でも人間にとって天帝とはおそれ多い存在、私が黒緋にたいしてかしこまるのは仕方ないことなのです。

 でも黒緋は私を見て切なげに目を細めます。


「頼むから以前と同じでいてくれ。お前に遠慮されるのは寂しいんだ」

「黒緋様……」


 胸が高鳴りました。

 叶うことがないと知った今も黒緋のたった一言に心が騒ぎます。


「替わってくれるな?」


 黒緋が手を差し出しました。

 私は困惑したけれど、その手に隠していた斧を乗せます。

 すると黒緋はなんとも嬉しそうな笑顔を浮かべました。


「ありがとう」

「いえ、私こそありがとうございます」


 黒緋は頷くとさっそく薪割りを始めます。


「こんなにたくさん大変だっただろう。もっと早く替わってやればよかった」

「いえ、充分ですから」


 私は側で黒緋の薪割りを見つめていました。

 私の時よりずっと力強い薪割りはあっという間に薪の山を築いていくのです。

 地面に転がった薪を拾っていると、黒緋が薪割りをしながら話しかけてきます。


「なあ鶯」

「なんでしょうか」

「これからもここに、……俺の側にいてくれないか?」

「えっ」


 薪を拾っていた手が止まりました。

 驚く私に黒緋が少し寂しそうに言います。


「それとも、伊勢の斎宮に帰るのか?」


 続けられた言葉に目を丸めました。

 でもじわじわと胸が熱くなって、足が浮くような心地になる。

 鬼神討伐が無事に終わったことで私がここにいる理由が一つなくなりました。私はそれを不安に思っていたけれど、黒緋も私がいなくなってしまうんじゃないかと心配していたというのです。

 驚きで言葉が出ない私に黒緋は勘違いし、「やはり帰ってしまうのか?」と心配そうな顔になりました。

 そんな黒緋にハッとして、私は慌てて首を横に振ります。


「か、帰りません!」


 思わず大きな声で答えていました。

 自分でも驚くほど大きなそれに顔が熱くなって、「す、すみませんっ」と慌てて謝ります。

 でも喜びが溢れてくる。

 だって側にいることを許されたのです。今までの沈鬱だった気持ちが嘘のように晴れて、ああ舞い上がってしまいそう……!


「あ、あなたが許してくれるなら、ここにいますっ……。あなたの、側に……」

「そうか、ありがとう鶯! お前がいなくなるのは寂しいと思っていたんだ! これからもよろしく頼む!」


 黒緋は子どものような笑顔を浮かべて喜んでくれました。

 ありがとうと笑みを向けられて、「し、仕方ない人ですね……」なんて私は頬を熱くして俯く。

 たったこれだけのことが嬉しい。胸がいっぱいになって弾けてしまいそう。


「よし、決まりだな。お前はこれからもここにいるといい」

「ふふふ、あなたが許してくれるなら」

「なにを言う。お前は紫紺の母だろう。堂々としてればいいんだ」

「なんですかそれ」


 思わず笑ってしまいました。

 勘違かんちがいしてはいけないのに、黒緋は天妃を取り戻すためにここにいるのに、黒緋に望まれていることが泣いてしまいそうなほど嬉しい。

 側にいてほしいとわれたのです。これだけで充分じゃないですか。そう、それだけで充分だと思わなければならないのです。

 でも、どうしても考えてしまう。


 ――――天妃なんか見つからなければいい、と。


 しかしそれはてんへの冒涜ぼうとくに等しい感情。

 そんなことを考えてしまう自分の矮小わいしょうさが泣きたくなるほど情けなくて、恐ろしくなりました……。






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